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海亀とダンス

エネルギーの反転を体験すること。

陰が極まれば陽に転ずる。陽が極まれば陰に転ずる。
底を打てば上がる、頂にふれれば下がる。

夏至は光が強くなるから、光に誘われて闇が露わになる。どちらも互いに支え合っているから変換する必要もなくて、ただそこにあると認めるだけでいい。

今年の夏至は時が持つ魔法を見せられた気がする。ご縁の再編があったり、大きな癒しがあったり、解放があったり。「時」というメディスンは誰にでも平等にはたらいている。もうちょっと早かったら良かったのに、もう少し後だったら良かったのにと、人が勝手に時が持つ力をねじ曲げなければいいだけなのだろう。

人の手が及ばないところで、いろんなことがちゃんと調整されてるんだな。何かを変えるために何かをしなければならないという思い込みを外す。

時が満ちるのを待つこと。待つというのは一見すると消極的に見えるけれど、時の流れに自らをゆだねることは能動的でもあるし、忍耐力を要することでもあるから見方を変えれば積極的な姿勢の表れと言えなくもない。

太陽が背中を押してくれるタイミングを見逃さないこと、信頼して飛び込むこと。解体と再編、そして始まるもの。怖れから自分を開放する時間。魂の命綱は結ばれているから足が着かないところでも安心して泳ぎ続ければいい。

自分の内にある安心を思い出して味わうこと。

20代はよくハワイを旅していた。あるとき、ビッグアイランドのビーチに案内してもらったことがあって、そこは海亀が泳いでいることで有名なビーチだった。海亀にふれることは禁止だけれど、彼らの好物のグリーンピースを持っていくといいよと教えてもらってスーパーで冷凍のグリーンピースを買ってビーチに向かった。

人気のビーチなのか、そこそこ人出が多くて、あまりゆったりした雰囲気ではなかったけど海亀に会いたくて沖の方に向かって泳いでいった。聞いていたとおり、案外早く海亀に出会えた。手にしたグリーンピースをあげると嬉しそうにパクパク食べてくれた。その様子がとても可愛くて、しばらく海亀と一緒に泳いでいたら、けっこう遠くに流されていたみたいで、ついさっきまでちょっと潜れば海底に足が着くと思っていたのに全然着かない。顔を上げると周りに家族連れが泳いでいたりするものの岸からはずいぶん離れていた。

これはちょっと危ないなと戻ろうとしたとき、まるで羊水の中で浮かんでいるみたいな大きな安心感に包まれた。多幸感といえばいいのか、自分は守られている「大丈夫」だという感覚が身体の内からも外からも押し寄せてくる感じ。自分の命そのものを全肯定されているという祝福。

今でも不安に襲われたりするとこの出来事を思い出す。頭ではなく身体で思い出すのだ。

すべてが愛だとわかったから、もう意味を探さなくていい。
それがわたしにとっての安心なんだな。

天地が逆転してひとつになった。

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