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内なる小さな男のコ 

起きがけに胸に手を置いてヒーリングしていると「まだここにいるよ」とイマジナリーフレンドの小さな男の子に話しかけられた。この感じ、久しぶりだ。

ときどき登場するやんちゃな男の子。どのひとの中にも小さな異性のイマジナリーフレンドがいるのかも。ずいぶん前にある人もそんな話をしてくれた。そのコと仲良くなることで自分の中にある男性性と女性性が統合されていくのかもしれない。

女の子だから危ないことはしちゃダメ、男の子だから泣いたらダメ、そう言われて育つうちに自分の中にいる異性のイマジナリーフレンドとのつながりが否定されていって、どんどんお互いが離れていってしまう。そうしているうちに異性というものが文字通り「異物」みたいに感じられるようになって相手の気持ちや行動がどんどんわからなくなって、お互いが理解不能な存在になってしまうのかも?!

自分自身の中に男性的な冒険心や強さ、たくましさを見つけられれば目の前にいる相手にそれらを必要以上に求めることはなくなるのだろう。自分にないから相手に求めてしまう・・・本当に自分自身を愛して信頼できれば、目の前の相手も愛し信頼できるようになるのだろう。

すべては自分から始まって、自分にちゃんと帰って来る。

ひと組の男女が出会うとき、その内側では4人(ふたりのそれぞれ中にある男性性、女性性も含めて)のひとが出会っているというのは、まさしく、そのとおり。自分の中にある男性性、女性性、どちらも等しく受け入れて、のびのびと発揮できたらいい。この二区分もけっこう曖昧というか、もっと柔軟なものなのかもしれないな、最近そう思うようになった。

それは子を孕み産むことを望まれる役割から降りたからかもしれない。そして、それはさみしさと同時に小さな開放でもあった。

7月はNノード 軸にT太陽がふれるからかな「自分がどこから来て、どこへ向かうのか」ということを再確認させられる出来事が多い。自分の霊的な部分も含めて、こころもからだも動かされるというか、今も動き続けている感じがする。こういうときに植物が近くにいる、自然がそばにあるというのは何と心強いのだろう。家にいる植物たちも外に立ってる木々や植物も自分を助けてくれている感じがする。

生きているものは、また何か別の生きているものに常に励まされているのだろう。
可愛い燕たちにも元気をもらう。
巣立ちの日が楽しみでもあり、ちょっと寂しくもある。

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