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SS【聞き上手】#シロクマ文芸部

お題「珈琲と」から始まる物語

【聞き上手】(1061文字)

 珈琲とパンケーキ。それが五十年近く変わらない叔父の朝食だ。
 朝六時に起きて顔を洗いテーブルにつき、叔母におはようと言う。叔母もおはようと言い、叔父のために三枚のパンケーキを焼く。そして叔父の向かい側に座り、自分は珈琲だけ飲む。そして叔父が三枚のパンケーキを食べている間、彼女はちいさな愚痴を言い続ける。
 買ってきたじゃがいもの十個のうち二個が腐りかけていたとか、二軒隣の奥さんが挨拶を返さなかったとか、野良猫が花壇を荒らしたとかそんなことだ。
「最初はパンケーキは一枚だったんだが」と叔父は言う。「一枚分の時間じゃ足りなくなったんだろうな」。

 叔父夫婦に子どもはいない。だから叔父は一人きりで、叔母の愚痴を五十年近く聞き続けている。
「愚痴ばかり聞かされて、嫌にならないの?」叔父の家に遊びに行くことが多い僕は、叔父に聞いてみたことがある。
「あいつの話を聞くのは、わししかいないんだよ」叔父はそう言って煙草をふかす。「パンケーキ三枚食うのは、ちょっと胃もたれするけどな」。
 話の方には胃もたれしないのだろうかと僕は思ったが、叔父は煙草の煙を吐きながら言った。
「覚えとけよ。女の声は風みたいなもんだ。男はそれを避けたりせずに吹かれてればいいんだ」
 僕は神妙にそのアドバイスを聞いたが、なかなか上手くはいかなかった。女の人の声を風みたいに聞いていると「あなたは私の話を聞いてない」と言われるし、意味をたずねると「わかってないのね」と言われるのだ。

 僕は叔母さんにも聞いてみた。
「叔母さんは、叔父さんがちゃんと話を聞いてると思う?」叔母は針仕事の手を止め、なんて馬鹿な甥っ子だろうという目で僕を見て言った。「あの人ほど話を聞くのが上手い人はいないよ」。
 さらに叔母は、「それに…」と一言付け加えた。ちょっとだけ自慢気に。
「あの人は、あたしのパンケーキを残したこともないんだからね」
 考えてみれば、僕も叔父さんに話を聞いてほしくて、しょっちゅう遊びに来ていたのだ。

 叔父は七十歳になる直前、胃がんを患って胃の三分の二を切除した。朝ごはんに三枚のパンケーキを食べることができなくなり、そのことは叔母を大いに悲しませた。しかし叔父はこう言った。
「心配するな、お前。わしは一枚のパンケーキをゆっくり食べるから」
 叔父は言葉通り、一枚のパンケーキを小さくちいさく切り、ゆっくりと一口ずつよく噛んで食べた。叔母はこれまでと同じように、自分は珈琲だけ飲みながら愚痴を言い続けた。
 叔父はとても幸せそうに見えた。まるで丘の上で風に吹かれてピクニックでもしているみたいに。


おわり

(2023/10/28 作)

小牧幸助さんの『シロクマ文芸部』イベントに参加させていただきました。

男と女は入れ替えてもいいですよ。ぷふふ(*´ω`*)

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