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掌編小説【春が来た】

お題「小倉トースト」

【春が来た】
※これは掌編小説【雛祭り】の、その後のお話ですが、これだけでもお読みいただけます。

「もう春なんやねぇ」
あれから一年。サユリの声を思い出す、今日は雛祭り。

「エリコ。私な、子どもの頃家出したことあんねん」
サユリが話を始めたのは、病状が進みホスピスに入った初冬の頃だった。
「へえ、何歳の時?」
「十二歳やったなぁ。お母ちゃんとつまらん事でケンカしてん」
「うん」
「今、そん時のこと思い出してたんや。家の玄関出る時な、ドキドキもしたけど、めっちゃワクワクしてん。ここ出たら何があんのやろ、て。いろいろ想像してな」
サユリの頬に少し赤味がさしていた。
「ふふ」
その時のサユリがいつもより元気そうで、私はうれしかった。サユリは続けた。
「そん時の…その、玄関出る時の気持ちがな……今と似てたんよ」
私はドキンとして顔がこわばるのがわかった。チラリとサユリを見たが、ベッドのサユリは天井を見たまま、こちらは見ていない。
「エリコにわかってもらえるかなぁ」
「ん…ん」
喉が詰まって声が出ないので、あいまいな音で答えた。
「あん時の家出、面白かったわー。丸一日帰らへんかったから大騒ぎになったんやけど。お年玉持っとったから、鈍行で名古屋まで行ってん」
「なごや…」
それは私とサユリが出会って、ずっと一緒に暮らしてきた街だ。
「ここで朝ごはん食べーておかあちゃんに言われたとか嘘ついて、喫茶店でモーニング食べてな」
「サユリは度胸あるからなぁ」
私はやっと声と笑顔を絞り出した。
「そん時はじめて小倉トースト食べて。なんて美味しいんやろって大好きになってん」
「それ以来のあんこ好きか」
「そや」
サユリが微笑んで私の方に首を傾ける。
「結局、夜中にうろうろしとったから補導されて家に戻されたけど…、楽しかったなぁ。あれが忘れられんかったから大学も名古屋にして、そんでエリコに会うたんよ」
「…小倉トーストさまさまやな」
私は笑顔を貼り付かせながら言った。
「ふふ…そやからな、今もそうなんよ」
サユリは目を閉じた。少し息をついて呼吸を整える。
「ほんまやで。楽しみなんよ……だからエリコ、泣いたらあかんよ」
私はまた喉が詰まる。サユリは言葉を続ける。
「私は名前のついた神さんとか信じてへんけどな。なんかわかるねん。ただ、こっちの家の玄関出て、違う所に行くだけやて。きっと向こうでもおもろい事があるんよ」
「…サユリは好奇心旺盛やからなぁ」
私は出かかった涙と鼻水を止めたくてサユリと同じように天井を見る。
「ちょっとだけ先に行って冒険しとるから。エリコは後からゆっくりおいで。小倉トーストよりええもん、見つけといたるわ」
「…あほ」
「…そういえば雛祭りの時の桜餅、美味しかったなぁ。関東風は長命寺、言うんやてな。スマホで調べたわ…ありがとな」
私は天井を見ているのが精いっぱいだった。
「エリコ…、来年の雛祭りにも、桜餅買うてきてな」
約束やで、そう言うとサユリは手を伸ばして私の小指に小指をからめた。

そんな話の後、しかし年が明けるのを待たずに、サユリは玄関の向こうに行ってしまった。
ちょっと行ってくるわ…。そんな言葉を最後に残して。

…そしてまた、春が来た。

「ちゃんと買うてきたよ」
サユリの写真の前に桃の花を飾り、二つ並んだ桜餅を供える。
「今頃、あっちで冒険しとる?」
小声で写真に問いかけながら、目を閉じて桜餅の香りを吸い込む。
瞬間、胸のかたまりがふわりとほどけて、私はハッと目を開ける。写真のサユリが微笑みながら語りかける。
「エリコも冒険しぃや。もう春なんやから」


おわり

(2023/3/8 作)

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