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掌編小説【島】

お題「瞬間移動」

「島」

奴隷の子マルティンは、途方に暮れて奴隷小屋の窓から右往左往する人々を眺めていた。
もう奴隷などにかまう者は誰もいない。
太った人々が大きな荷物を抱え、逃げ惑いながら罵り合い、誰もが自分だけは生き延びようと争っている。大人の奴隷たちも逃げ出していた。
島では大変動が起こっている。
火山が噴火し、沿岸部には津波が押し寄せていた。

突然、後ろから声が聴こえた。
「マルティン」
マルティンはびっくりして振り返った。そこにはふわりと軽そうな白いドレスを着た、きれいな女の子がいた。
「誰?・・・君、奴隷じゃないね」
女の子は微笑んだだけで逆にマルティンに聞いた。
「あなたは逃げないの?」
「ぼく、一人だし。どこに行ったらいいかわからないんだ」
「そう・・・だからあなたが選ばれたのね」女の子は少し悲しそうに言った。
「選ばれた?」
「この島の人たちはどこへも逃げられない。そして島はもうすぐ海に沈むわ。これは天罰なの。でもたった一つだけみんなが助かる方法があって・・・そのためにあなたが必要なの」
マルティンの顔が輝いた。
「どうすればいいの?」
「あなたはみんなが助かるのがうれしいの?」
「うん、ほとんどの人はぼくにイジワルしたけど、一人だけ・・・ぼくに優しくしてくれたアルマっていう奴隷の女の子がいるんだ。今はどこにいるかわからないけど、この島の中にはきっといるよ。みんな助かるならその子も助かるんでしょう?」
「そうね、でもあなたにイジワルした人たちも助かるわよ」
「それはそれでいいさ」マルティンは肩をすくめて笑った。
女の子もそんな彼を見て笑った。そして真顔に戻って静かに言った。
「あなた一人だけこの島に残るの。そうすればみんなは助かるわ」
マルティンは女の子の青く澄んだ瞳をじっと見た。それは晴れた日に丘の上から見る海みたいだった。太陽の光がキラキラと反射して眩しくて。吸い込まれそうな。
「いいよ」しばらくしてマルティンは答えた。
「ここに一人だけ残った後、島はしばらくは沈まない?」
「そうね、夕焼けは見られると思うわ」
「みんなはどこに行くの?」
「みんなは時空を超えて瞬間移動するわ。それぞれにふさわしい場所へね」女の子は少し目を伏せたが言い足した。
「アルマはとてもきれいな所に行くわよ」
マルティンは声をあげて笑った。「それなら文句ないよ!」

女の子がマルティンに近づいておでこにキスをした。その次の瞬間、音が消えた。
そして、人々も消えた。
マルティンは誰もいない街を抜けて丘に向かった。女の子は夕焼けは見られると言った。
「最後にあの場所から夕焼けを見よう」。
彼は丘の上からの夕焼けを見たことがなかったのだ。
丘の上に着くと、眼下にはすさまじい光景が広がっていた。ビスケットの欠片のように大地が割れて海へ沈んでいく。大きな波が巨人のように立ち上がり、倒れ込んでくる。巨人になぎ倒された木々や家々が海の中に引きずり込まれていく。
マルティンは揺れている草の上に座った。初夏の草は薄緑色でやわらかく暖かい。空には見たことのない夕焼け空が広がっていた。
マルティンは色の名前を知らない。ただただ様々な美しい光がマルティンの目の前で踊っている。
「なんてきれいなんだ!」
マルティンの胸は喜びでいっぱいになった。この世界にたった一人だけ残されたことも忘れて。

ふと、女の子の言葉を思い出した。
「アルマはとてもきれいな所に行くわよ」。
マルティンは叫んだ。「アルマ!ここにおいでよ!」

その無邪気な願いは天を動かした。火山は鎮まり、海の巨人は去った。
星々が現れた頃、「マルティン」というちいさな声が聴こえた。
目の前にアルマが立っている。
島は蘇った。二人の島となって。

おわり (2020/7 作)

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