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火垂るの墓 [幸せと行動]

突然ですが、皆さんが思い描く

「幸せな人生」

とは、どんな人生ですか?

人それぞれによってその価値観は大きく異なると思います。しかし、大金持ちになる・出世する・都内の豪邸に住む・高級車を乗り回す・素敵な人と結婚する。など、現在よりも裕福な生活を送る事によって「幸せ」と感じるケースは多いのではないでしょうか。

しかし、高畑勲監督作品においての「幸せ」という定義は、一般的な「幸せ」とは少し違う。泥臭かったり、地味な事柄もあるかもしれません。

しかしその「幸せ」が高畑勲監督作品の登場人物においては1番の「幸せ」なのです。

今回は火垂るの墓。次回はおもひでぽろぽろ、その次はかぐや姫の物語。この三作に焦点を当て、作品紹介や自身の見解を交えながら、高畑勲監督作品における「幸せ」について探ってみたいと思います。


平成30年4月13日、高畑勲監督追悼という題目で日本テレビの金曜ロードショーにおいて放送が行われ、きっと視聴した方も多いのではないでしょうか。



火垂るの墓は、野坂昭如氏が昭和42年に発表した小説が原作となっている。舞台は太平洋戦争末期の神戸。14歳の清太と4歳のセツ子...2人で生きようとしたものの、力も及ばず戦後に死んでしまう。母を空襲で亡くし、父は戦場へ行ったまま帰らぬ人となってしまった、いわゆる「戦争孤児」の物語。

海軍将校の父、母、清太、セツ子の4人家族。父の稼ぎも多く裕福な家庭だ。父は出兵中であったが、母と清太、セツ子の3人で幸せな日々を送っていた。母がもしもの為にと貯金していた額は7000円(現在に換算すると約1300万)あったと清太が作中で言及していることからも、この家族がいかに上位階級であったかが伺える。清太やセツ子はこれまで幸せな人生を送ってきたことは間違いないだろう。

そんな平穏な日常が一変してしまったのは、アメリカ空軍による空襲だった。

母は防空壕へ避難している途中で被災してしまい、まもなく死亡。家も焼かれた2人は西宮で下宿屋を営んでいる小母(以下 叔母さん と記す)を頼って生活していく事になる。当初は清太が持ってきた豊富な食料と着物に喜び、愛想良く2人に接する叔母さん。しかし14歳である清太は防火活動などの地域活動に参加したり、お国の為に働いている訳でもなかった。

戦時中にも関わらず、毎日遊んでいる2人の状況をみた叔母さんはやがて「働かざる者食うべからず」という言葉を体現しはじめる。お国の為に働いている娘と下宿人には白米のおにぎりや具沢山の雑炊をふんだんに与え、そうでない2人には最低限の食事(主に水っぽい雑炊)しか与えないようになった。亡き母の着物を交換して、手に入れたお米。にも関わらず中々食べさせてもらえないセツ子が「うちのお米やのに...」と不満を口にした途端「よろしい、あんたらとはご飯別々にしましょう。それやったら文句無いね?」と、2人の食事の面倒を見る事を放棄してしまう。ネット上では時より叔母さんの冷酷な言動や行動に対する批判も多々見受けられる。しかし、清太の行動、時代背景や戦局などを考慮すると、叔母さんの発言や行動は当然の事と言えるかもしれない。

清太は当時としては高価な「七輪」を買ってきて自炊を始めるようになる。14歳の清太にとっては何気ないその行動が、不幸な結果へ物事を進めてしまってるとも知らずに...。けれど、片付けや洗い物は全くやらずに仕方なく叔母さんがやっていたりする状況。自炊するために本人が考え、思って行動している事とは非常に矛盾した状況である事が伺える。

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ここで私が疑問に思ったことは、清太は何故「ずっとセツ子のそばにいたのか」ということ。

14歳男児であれば、当時は貴重な労働力や兵力である事は間違いない。当時は女学生までがお国の為に働いていた世の中。時代背景を考えると清太が働かない理由がある訳無いだろう。しかし母を亡くし、父も出兵中、清太まで働きに出たらセツ子は1人になってしまう。子守りは叔母さんがしてくれるだろうが、清太はそれらに対し嫌悪感を感じたのではないだろうか...。(とはいえども、清太の生活態度はあまりにもだらしないように見える)

セツ子を思う気持ちも充分に分かるが、1日1時間でもお国や家の為に清太が行動していたら、違う結果になっていたかもしれない。更に父が海軍将校で裕福な家庭育ちである事から来るプライドや自信から、自分は何もしなくても良いし、父が居れば日本が戦争で勝つとでも思っていたのだろうか。

上記の見解は推測な部分が殆どであるが、いずれにせよ、叔母さんの家で頑に行動を起こさなかった清太の心理は私には分からない...。

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そうした経緯もあり、2人は叔母さんの下宿屋を去る。町から離れた横穴壕で生活を開始する為だ。セツ子だけでなく清太も遠慮する事無く、自由気ままに生活出来るという幸せな妄想から...。7000円の貯金があった清太。炊事道具などを買いそろえ新しい「家」に引越してきた。

始めのうちは真新しい環境に喜んでいた2人。具沢山の雑炊を食べたり、蛍と触れあったりしている2人の様子を伺うと、作中内で2人が最も「幸せ」な時間を過ごしていたときかもしれない。

しかし戦時中、雨風凌げてお風呂もあり、最低限の食事も与えてくれる叔母さん家を出て、洞穴で半分野宿をしながら生活をすることが、果たして本当に幸せといえるのだろうか。山の中なので空襲に合う危険は街中より少ないかもしれないが、衛生状態は遥かに悪く、家が無ければ恐らく食料配給の切符も手には入らないはずだ。更にその後の生活はどうするつもりだったのか。作中では全く伺う事が出来ない。

この状況で洞穴で2人暮らしすることが「幸せ」と答えれられるのはきっと「この時の2人」だけだろう。それは何故か。あの叔母さんの元から逃れる事が出来た。本人の内心は分からないが、恐らくそれだけの理由であろう。

新しい生活は2人の期待とは裏腹に、次第に厳しさを増していく。

追い打ちをかけるようにセツ子が衰弱し非常に弱ってしまう。何とか助けなければならない。


ここに来てようやく兄 清太の本当の行動が始まる。

両親が残した多額の貯金があるとはいえども、お金よりも物の方が信用度が高いご時世。そして食料は配給制の世の中。お金では簡単に手に入らない。

「七輪」の時のように中々金で物を言わす事が出来ないと知ったのだろうか。清太は次第に田畑を荒らしたり、空襲の際に空き家になった家に忍び込み米や鍋、着物を盗み出すようになっていく。いわゆる泥棒に変身してしまう。

空襲警報が鳴り響き住民が避難してる最中、盗みを働くために1人逆方向に向かって走ってゆく清太の描写は非常に(悪い意味で)印象的だ。

B29が上空を飛んでいるのを見て「いえーい!もっとやれー!」と叫びながら走っていくあの姿。私は少し「情けないな」と見てて思ってしまう。あの当時の日本国民がその姿を見たら間違いなく「非国民」と見なすだろう。

そうまでしても、セツ子に栄養のある食べ物を与える為に奔走する清太。

全てはセツ子が生き延びてほしい。という思いから・・・


セツ子が元気で生きていること。セツ子と2人で仲良く過ごすこと。

それが清太にとっての「幸せ」であった。

セツ子のためなら、どんな事もしてきた清太。


しかし、彼の行動や想いとは裏腹に、セツ子は栄養失調が原因で衰弱死してしまった。

水瓜を一口食べたあと「おいしい・・・」「兄ちゃん、おおきに・・・」とつぶやき、天国へ旅立ったセツ子。

ナレーションにおいて「セツ子は、そのまま目を覚まさなかった」と口述しているが、兄 清太がセツ子の死を知った瞬間は描かれていない。

セツ子の死を知った瞬間の清太はどんな表情で、どんな気持ちだったのだろうか。興味深い場面であるが、割愛されている。


両親、セツ子、家。全てを失った清太。

セツ子が死亡した後の清太の目は生きる気力を失ったかのように死んでいる。やがて清太も栄養失調に陥り、路頭に倒れてしまう。

そして昭和20年9月21日夜、三ノ宮駅構内で死亡。

セツ子や両親の後を追うように・・・。


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清太が本格的な行動を起こし始めるのは叔母さんの家を出たときからです。

戦時中にも関わらず養っていてくれた叔母さんの家をいとも簡単に飛び出し「遠慮する必要がないから」という単純な理由で横穴壕で生活を始めた。雨風凌げるとはいえども、食料はマトモに確保出来ず、お風呂も無く衛生状態は最悪。清太はともかく、当時のこの環境で4歳の女の子が生き延びれる確率はまず低いでしょう。横穴壕で過ごすと同時に、2人が弱っていくのは描写からも見て取れます。

更に、妹の幸せや療養の為とは言えども、盗みを働いた事は立派な犯罪であるのは間違いない。

清太のこれらの行動は果たしてセツ子の幸せ、自身の幸せに繋がったのだろうか。

一時的な幸せには繋がったが、最終的に栄養失調に陥り2人とも衰弱死。結末としては最悪です。

本当にセツ子の幸せを思うのであれば、やはり叔母さんの家に留まることが最良の選択だったと言わざるを得ないでしょう。しかし、清太はそれに気づく気配は作中では全く感じられません。

それは目の前の日々をセツ子と全力で生き抜いていたからだと思います。

今日という日を全力で生きるため。だから盗みも働いたし、叔母さんの家を出るという選択をしたのかもしれません。いや、その状況下においての清太とセツ子にはそれしか選択肢が無かったのかもしれません。

アニメーション作品にたらればな話をしても無意味かもしれないが、もし清太が少しでも心を入れ替え、叔母さんの家で生活していたら・・・と思うとやるせない気持ちになってしまう。


目先の幸せの為に行動する事も決して悪いとは言えません。誰もが幸せのために行動する事はあるでしょう。

しかし、先々の事も考え行動しないと時には結果として不幸に陥ってしまう。

清太はそれを体現してしまった。

非常に単純なことと言えるでしょう。


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ここまで「火垂るの墓」を題材に、作品紹介や私自身の見解などを交えながら「幸せと行動」について紐解いてきました。

戦争は本当に残酷なもの。私がこの当時に生まれていたら・・・と思うとゾッとします。平和な日常に改めて感謝しなければならないと、この作品を見る度に強く実感します。

今回の記事作成過程において「幸せとそれに付随する行動」という行為に対し、改めて考える事が出来た良い機会であったと思っています。

この映画で清太の行動から見て取れたのは、何事も「冷静」に行動することが最良の選択である。一見単純な事のように見えるが、凄く大事な事であると改めて実感しました。以上です。


最後までお読み頂きまして、ありがとうございました。


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