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世界一の自分を作る

ファミレスに行って考えたことがもうひとつありました。

店員さんのお兄さんがめちゃくちゃ優しいんですよ!
うーん…優しいというか。
このひと普段からこんな喋り方するんだろうか?っていうような話し方するんですよ。

友達としてみたいな話し方はそりゃできませんけど、なんというか、自分にできる最大限の“優しそうな”話し方で接客しています。ステキです。
ステキなんですが、僕は逆にそこまでしなくてはいけないのか?
なんて思ってしまいました。

職場だから、職場だからこそ、なんていう考え方もできますが、中には「仕事だからって…」と思う人だっているはずなんですよね。
どんな喋り方なのかというと、「すんごい優しいキャビンアテンダント(昔の言い方だとスチュワーデス)」みたいな話し方です。


ファミレスですよ。


言う人はもしかすると、「たかだか」と言います。
たかだかファミレスで、と。

僕はステキだなとは思っていましたが、こんな記事を描くくらいです。ホントのところや心の片隅では、「たかだかファミレスで…」と思っているのかも知れません。

いや、でも、「たかだか」と言ってもです。自分の限界に挑戦するのは別に悪いことではないんですよね。むしろ良いですよ。
自分の、大きく言えば、“人間の”限界はスポーツなどの記録だけではないのです。


と、幾らか前に思いました。
世界は物理的に考えるとかなり広くて想像できないくらいに膨大ではありますが、その全てが“今この瞬間に見えている訳ではない”のです。だから、世界はものすごく広いようで、実は自分で狭くすることは可能なんです。

どういうこと?


つまり。そう。
今はファミレスのことについて考えているから“ファミレスにいる”と仮定してもらって考えます。
そうするとどうでしょうか?見えるのはファミレスの風景と他のお客さんと、そして店員さん。お料理も見えるでしょうかね。
他には何が見えますか?お隣の家に住んでいるひとやお店の店員さんは見えるでしょうか?見えませんね。では、どこかの国ひとは?見えますでしょうか?見えませんね。

そうなんです。見えないんですよ。見えないんですよね。
いませんね。そうなんです。いないんですよね、ここには。このファミレスにはいないのです。
いないひとの事など考えたって仕方のない事です。
じゃあ、そういう考えを忘れてしまいましょう。無いのです。無かったことにします。

さあ、出来上がりました。ファミレスという世界です。


ここは、“ここだけしかありません”。どこからか新しい世界の住人がやっては来ますが、変わっているのはそれくらいで、ここだけで世界は完結しています。
そう考えると、どうでしょうか。
さっきの優しい店員さんは、世界一優しい店員さんです。
ギャハハハハ!と下品に笑い転げている大学生や高校生の男の子は、世界一下品でマナーの低い男の子達です。
静かにコーヒーを飲みつつお勉強している女の子は、世界一静かな勉強家ですね。
4人で集まってお喋りしているおばちゃん達は、世界一お喋りなおばちゃんですかね。

そうなんです。世界を小さくすれば、世界一なんてまあまあ簡単です。
それで自分がどう行動するのかは自由ですが、どうせなら何か自慢できるような、“良い世界一”になりたいですよね。

そうやって考えていると努力できて、すごく良かった時がありました。
僕が職場で「いちばん優しい」なんて言われた事だってありました。

『今、この瞬間は、「今この瞬間」という世界です。』という考え方です。


どうでしょうか?
学校とか会社の成績などを比べられるのはなんだか嫌な気持ちになりますが、自分の想像しているもっともっと小さい世界で、世界一を自分の中だけで決めるのはおもしろいなと思います。
他人を褒めるのにも役立ちます。誰のどんな能力がどんな風に優れているのか、おもしろいのか。


僕はこどもと接している時に、この、世界を小さく見る方法を思いつきました。
こどもには視野や世界が小さいです。
オトナになるにつれて、世界の大きさを実感して色々な思いを持ったり体験していきますが、色々な“おかしなひと”に出会って何かしらのショックを受ける前に、自分の自尊心をしっかりと持って、気持ちがぐらつくことの無いようにしたいですね。

世界は広くて大きいんだという事には、楽しみやワクワクがありますが、広すぎてたじろいでしまう事もあります。

いきなり大きなところで小さく活動するよりも、小さなところからコツコツとやっていって、大きい場所が必要になれば、それに適応、対応していくという、「だんだん慣れる」ってことが最近は大切かなって思います。
ゲームの世界の主人公ばかり成長させていないで、自分を成長させる事を楽しさがもっとおもしろく理解したかったです。


世界一優しい、これからの僕は。

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