スタッフロールの期待値
映画を見ることってありますよね。
最近は音響がすごく良いんだとか、爆音なんだとかってやつもいろいろあります。
僕って、ちょっと怖い映画見る時に通常時でもビクっとなることがあるんですが、爆音とかで見ると、そりゃもう大変なわけです。
「あ今、隣のひと、ビクっとした。」
なんて思われていたら恥ずかしいですね。
ところで、映画見た最後にスタッフロールが流れます。
あれ、みんな見てるんでしょうか?僕なんか英語読めないから、洋画ならほとんどわからないワケですよ。つまらないし、意外と長いのでそそくさと出たいのですが、時々最後の最後に、実は続編へと続くちょっとした映像があったりして、そういうのを見逃すとすごく悔しい思いをするわけで、だから会場が明るくなるまでいたりするのですよ。
で、最後までいて、結局そんな映像も無くて、なんかやや損した気持ちになったりして…
ほんとわがままなコトですよね。
“期待する”てワガママなことだと思うんですよね。
それという行為や感情って何かワクワクするのと違って、“自分への益”に勝手な期待をしていることが多くて、それを超えるか超えないかで、文句を言ったり言わなかったりと変わります。
だから僕はある意味で、どんなことにも“期待なんてしていない“のです。
以前何かの事で期待を超えない何かがあってガッカリしたことがあったんです。
「なぁんだ。こんなもんか。」
なんて思うじゃないですか。
たとえば、お祭りで売ってるような光るチープ腕輪なんかがそうです。(あれが好きなひと、売ってるひとごめんね)
その時はキラキラして光るから、1000円とかの価値があるのですけど、次の日になるとぜーんぜん光らない。ガッカリな次の日の朝を経験したことがないでしょうか?僕はあります。(つーか、買ってもらったのかよ。)
実は、食べ物もそうじゃないか?と思いました。時間をかけてゆっくりと味わって食べると、”味わう時間“は多くなります。美味しいと思っている時間もそれと比例して多くなるんですよね。
僕はこどもの頃から、あまり噛まないでものを食べる習慣があります。
パクパクごっくん
こんな感じです。
なので、満足感が増えないのです。
食べたら次、食べたら次となってしまって、結果的に必要以上にたくさん食べたりしてしまっていると思うのです。
もちろん期待以上の美味しさは得られず、というか感じられていないのだと思います。
与える側のひとは、そういうひとがいることを予測していません。みんなある程度噛んで味わうことを予測して、それなりに満足することを期待しているんですよね。
昔から、味がわからない味オンチな理由と太る理由がわかった気がします。
よく噛んで分析、これからの僕は。
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