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自分を悪く思う事は、悪口を聞いている事と同じ

僕のお金の価値観は特殊なもので、いや、価値観なんてみんなまっるっと違うのか。

しかし、他称ではあるもののミニマリストな僕は、不特定多数のひとよりもいくらか価値観が違うから、他人からミニマリストなんて言われるんであって、いくらか特殊なんだと思う。

僕が道具を持たなくなった理由一つは、自分の健康に関することで、さっぱりとした部屋に住むのがひとことで言うなら「気持ちよかった」のだ。かわいいとかかっこいい部屋もまぁいいのだけど、ものがあると落ち着かない気持ちになるのに気づいた。

その落ち着かない気持ちが二つ目の理由だ。
ものがあるとなぜ落ち着かないのか。

ものは使わないと意味がない。
見るだけでもいいものってたくさんありはするが、そういうものだってほこりくらいは乗っかるだろう。部屋に行き来していれば、そのうちそのうち、何かしらほこりが溜まってしまうものなのだ。

ホコリが溜まってしまうと使う気になれないし、洗わないといけない。
結果的にまた使わなくなってしまう。

使わないとどうなるのかっていうと、またホコリが溜まったままその部屋を過ごすことになるのだ。

それがストレスとなって、気持ちにググッとのしかかってくる。それがつらかったのだ。


いつも自分の部屋に帰ってくるたびにホコリの乗っかった何かを見ては、自分は怠け者で怠惰なんだとか、ひとよりもキレイ好きじゃないんだ、不潔な人間だ、モノですら大切にできない人間なんだ…と毎日毎日思うのだ。

僕は思った。


誰かに言われなくっても、自分の心の中で思っている事は、「自分で自分を罵っているのと同じ事」なんだと。



自分なんて…大した人間じゃないさ。汚い人間なのさ。何もできない最低な人間なのさ。

そんな風に思ってしまう事だって同じ事だ。
思ってしまう事は、誰かに言われてしまう事と同じ事になっている。




インコやオウムは人間の言った言葉をマネるのが得意だが、何も人間の言葉だけでなくケータイ電話の音なんかもそっくりにマネる事ができるそうだ。
しかし、機械のように一度聞いた音はどんな音であってもマネることができるのかというと、そうでもない。じゃあどうしているのか?

実は彼らはちゃんと練習して、マネるように“なれる”だけなのだ。
頭の中にレコードプレーヤーのような、聞いた音をそっくりそのまま記憶できる能力があるのだという。

それを流せばいいだけ。…ではなくって。あくまでもそれを流すスピーカーの役割は口で言うわけだから、ちゃんと脳内で何度も何度も流して記憶した後に口から音を出してみるのだという。

何か、“どこかそっくりなひと”がいないだろうか?


そう、落ち込んだ自分にそっくりだ。


自分の心の中で言い放った自分への悪口を反復して、何度も何度も頭の中で聞いてはいないだろうか?



もし、そうなっているんだとしたら、そうならないようにしたらいいだけの話。
それが僕の場合はものを持たないという事だったのだ。


部屋に何もなければ、汚れているだとか「自分は掃除ができない」だとか、そんな風に思わなくったっていいだろう?
簡単な話だったんだ。
車の税金とか維持費が大変なんだ、本がたくさんあってしまうところを考えなきゃ。
車なんか持たなきゃいいし、本も売ってしまったらいいじゃないか。

これを買ってあれを買って、これも買わなきゃ。…使わないんだけどね。
使わないものを持ってたって仕方ない。生活に欠かせないもの以外で「買わなきゃいけないもの」なんて、この世の中には存在しないよ。

お客さんが来た時用に、椅子とかお皿とか、大きいお鍋とか買わなきゃ。
お店じゃないんだから、そんなに必要ないよ。友達が来たら、どうにか自分のできる限りのおもてなしをしたらいいの。鍋だって借りればいい。


何も、自分が考えている理想が、家族や友人が考えているような「自分という像の理想ではない」という事だ。




友達が入れてくれた丁寧なコーヒーと、友達が焼いてくれた、焼き立てのクッキーとかあれば、お話ができるじゃない。
友達が作った文章を読んだり、DJしてくれたり、ボードゲームをしたり…。


ああ。なんだ、そうか。
全部自分でやらなくったっていいじゃない。


そう思ったらさ、何もいらないじゃないか。
僕は美味しい茶の一杯でもいれられたらそれでいいような気がしてきたよ。





いい友達に声かけて元気出そうぜ。



知り合って良かったと思う、これからの僕は。

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