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自分を理想に近づける

晴れたいい日というのは、あったかくて気持ちが良いなぁ、ちょっと出かけたいなぁとか散歩したいなぁとか思う反面で、のほほんと過ごして、ただなんとなく日々を消化して、何かしたいわけでもなく、何かやろうとしてみようと挑戦するわけでもなく、ぼーーーっと今まで過ごしてきたなぁと、情けないような気持ちになる。のは僕だけなのかもしれない。

が、しかし。
そういうことってない?

平和ボケというか、なんというか。
いや、そう言うと、のほほんと暮らしているひと達が悪いみたいだけど、違うんだ。

それが安らぎとか休日だとかと表現もできるのだけど、いつも何か“おもしろいこと”を作りだしていたいとか、そのことについて話したり考えたりしていたいなぁという前向きな貪欲なのだ。かなり綺麗な表現としてそう言っているけど。

それは、あるひとから言わせたら“後悔”と言うのかもしれない。

過去を振り返って「あぁあ〜」とため息をついたりなんかして。
朝起きて何かするつもりだったのに昼まで寝てしまって、朝ごはんなのか昼ごはんなのかわからない“栄養”を取り込んで、だ。
さぁて何しようかなぁと考えていると、いつのまにか時計は13:00とかになっていて、ダラダラと出かける準備をしたらもう15:00に針が動いている。
そういうのに近い気がする。

見たかったことや聞きたかったこと、やりたかったことなどの、今ここでしかやっていないことやそこでしか体験できないことを逃してしまうことよりも、“自分が表現できなかったことや言えなかったこと”なんかの後悔はズシリと重い。そんな気がする。


いつも思うことだが。
こどもの頃に「将来やりたいことって何?」という質問を、もう少し口に出しやすくしてくれるオトナが周りにいて欲しかったなぁと思うのだ。

「そんなの無理よ」
「冗談はよせよ」
「何言ってんの」
「バッカじゃないの」

そうやって言われるんじゃないか?と思って躊躇したことはないだろうか?
なんでこどもがオトナに気をつかわなきゃいけないんだ?きれいごとを言って、警察官になりたいとか消防士さんになりたいと言えば満足か?

なりたいものや、やりたいことを言えるひとっていいな。夢や希望を語ってコーヒーを飲むってことがあっても良いじゃないか。
「いいね!じゃあやってみようよ!」と言ってあげられるひとになりたいね。

おっと、将来の夢ができたな。
きれいごとでもむず痒い話でもいいじゃん。


楽しい自分実現株式会社だ、これからの僕は。

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