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買い物代行します的な

いつもこの記事を読んでくださりありがとうございます。

考えた仕事の案があって、冗談ながらにも考えています。
非常識な事もあるかもしれないですが、突飛な考えも現実的に考えてみるとおもしろくて、発想がずっと大きくなるのがおもしろいと感じています。
ちなみにここで考えた案でお金をもらえるかどうか、稼ぐことができるかどうかは“とりあえず考えない”ので具体的な収入のことは考えないことにしています。


発想は冗談だろ、と言われるかもしれないです。
しかしそれを実行させようと具体的な案と作戦を本気で考えるのも、なかなかにおもしろいもので、もしよろしければ読んでみたご自身の感想や思いついた案だったりをコメントしてくださるなら嬉しいです。

こどもの頃になりたかったような仕事だったり、こんな仕事があったらいいななんて、こどもみたいに考えてみる。そんな自由な発想をオトナである自分が現実的に考えて、リアルにしてゆく。

僕達は作られた仕事をこなすだけの生き物ではなく、自分で作り出して自分の都合のいい仕方で働いたって何も悪いことなんかないのだと思います。いろんなお店の案や、実在するお店を見たり聞いたりしていると、コトはやり方次第なんだなと感じますね。

お読みいただいているあなたも、「実現なんてムリだろう」なんて意見や考えを持つことでしょう。遊び半分で冗談だと思ってお読みいただけたら幸いです。


いくつか考えた仕事の案をここに残しておこう。


以下、本文です。

前回は、「アウトドアスクール」について考えてみました。
ボーイスカウトとかガールスカウトではない。アウトドアを学ぶ場所っておもしろいなぁと思った。

家族で行くキャンプって、何かと手伝いとか強要されがちだし、塾も何かを教えられることに一生懸命。
外に出て自然の空気を吸いながら、のんびりするのもありだし火の周りで喋りまくるのもあり。

おやつを作りたいって子もいていいだろうし、ひたすらキレイな石を探しまくるとか、川があれば川で、海だったら海に泳ぎに行ったりしてもいいだろう。もちろん勉強したりしてもいいし、夜更かしだって、ちょっとくらいならいいんじゃないかな。
ちゃんと自分の役を果たしているのであれば、ずっと寝ているのだっていいかもしれない。


自由すぎるけど、ご飯の作り方やテントの張り方、火のおこし方、料理の仕方や道具の使い方をちょっとずつ学ぶスクールである。


これを考えてからボーイスカウトガールスカウトについて調べてみたんだけど、なんかええな…ボーイスカウト。おもしろそう。

おもしろそうなんだけど、なんか違うんよな。別にボーイスカウト 的なことを教えたいわけじゃないだな。



今回は「買い物」について考えてみる。

コロナがはやって、外に出にくいとかスーパーマーケットに行きづらいなぁと感じている人は少なくないはずだ。
そういう人がそれこそウーバーイーツなんかを活用して生きるために食べ物を持ってきてもらっているんだけど、毎回毎回食事をするためにウーバーなんて使っているんじゃあお金がかかって仕方ない。


でもなんだかんだでそこにお金を使える人がいるってことでもある。
いやいや、一儲けしようとかって話じゃないんだけど、そこに支払えるお金があるんなら、もうちょっと便利なものがあるならそれに使ってもいいんじゃない?って思うでしょうよ。


ウーバーがはやりだしてから飲食の配達業がポツポツと増えているように感じるのだけど、僕はああいうのって全く使わない。

なぜ使わないかって、特に自分の生活では必要としないから。
じゃあこんなサービスだったら使いたい?ということで考えたのが、食事系のモノもいいけど、ティッシュペーパーとか洗剤とか、調味料とか、何かの道具だったり材料とか燃料だったりも需要があるんじゃないかと思ったのだった。

主にはスーパーやホームセンターで買えるものを考えているけど、そういう買い物って意外と重労働だったりするわけで、たとえば団地の上の方に住んでいたりしたらなかなかに大変な買い物になるわけよな。
ストーブを出したら壊れてたんよとか、布団が欲しいのよねとか、ごっそり3ヶ月分のトイレットペーパーが欲しいのよとか、食器洗剤、お風呂の洗剤、手洗いの洗剤、洗濯洗剤、体を洗う洗剤に、消毒のアルコール、飲料水に酒、それから灯油…これらは全部液体で重いわけよ!


ということで、ほんなら代わりに買ってきてあげるよってことである。

それを考えたのも、コロナがはやって年配の方が買い物に行きにくいだろうなぁと感じたことと、テレビゲームの「デスストランディング」を思い出したから。

長い…



ゲームの中の世界は、なぜか老朽化する雨が降っていて(あんまりストーリーは知らない)一般の人々は外に出たくないから、運び屋さんが荷物を届けまくるという世界になっている(超ザックリ説明)。


今の世界と状況はなんとなく似ているのでは、と思った。

じゃあ運び人がいたっていいでしょ。と、シンプルな発想だ。


僕はど田舎に住んでいたことがあるが、ど田舎ってスーパーマーケットなんかも少ないから、それこそ遠くまで行く足の無い年配者は買い物ができない。
そんな時はどうするかっていうとだ。軽トラックで食料や必需品を満載に詰め込んでお店がやってくるのである。しかも定期的に。田舎じゃ見慣れた光景だ。当然の如くクルマを見逃すと大変不便なことになってしまう。だからいつもクルマには人が砂糖に群がる蟻のごとくに集まってくる。凄まじい。




言ってみりゃあ、それを街でもやってみちゃどうかな?
という話なのである。

田舎でなくったって、住みにくいところに住んでいる年配者は多くいるものだ。
足腰を悪くしているのにもかかわらず、団地とかアパートの高ーいところに住んでいて、時々家に尋ねて来る息子とか孫とかに「なんかいるものある?」なんて電話をもらったりして生活しているのだ。
そんな不便な生活しないで引っ越せばいいのになんて簡単に考えちゃうところだけど、そうもいかないのが現実ではある。


それ以外にも、こどものめんどう見なきゃいけなくて手が離せないとか、病気がちで外に出られないとか、今足を骨折中なんだよねとか、いろんな理由があると思う。



今もそうである。ウーバーに助けられている人は多くいるはず。
だけどその逆で、ウーバーに苦しめられている人だっているはずなのだ。ウーバーを毎回使って、月の飲食代が10万を超えた友人がいる。(じゅ、じゅうまん…)

自分も仕事が無くて大変だって人も多いだろうからウーバーに助けられる人ももちろん多いだろうが、自分ばかり助かろうと考えるよりも、誰かを助けようと考えると、自然と自分も助かる方向になっていくことだってあるのだと思ったのだな。


気軽に読んでいただきたいので、ひとつひとつの記事に値段は付ていません。靴磨きや仕事のお手伝いなどを投げ銭でやってみると、様々な方が僕の仕事にいろいろな価値をつけて下さってすごく助かります。僕の記事にもあなたの価値をつけていただけると嬉しいです。