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短編小説「マヌカンに月」

丸めた背中から柔らかな羽根が伸びている。

紫や緑や赤であるそれらは背骨の流れに沿って植えこまれ、空調の風にあおられ揺らめいている。

大きな鏡に映る姿はまるで発情期の雄鶏のようだ。

「いたくない?」

あなたが僕の背中と向き合ってからおそらく一時間ほど。鈴の音に応えた僕の「あ」は、雄鶏のようにしわがれていた。

「たまにいたい、けど大丈夫です」

あなたは僕の背中に密集した羽根を確かめ「そう」と呟いた。

固いスポンジにかぶせたシリコン製の人工皮膚に、生花をするように着色した羽根を刺していく。たまに突き抜けた先端が背中を刺し「つっ…」と声がもれるので、そのたび咳ばらいでごまかしていた。

「ツヅキくんの肌に傷がついたらこまるわ」

冷たくて湿った手のひらがそっと僕の肌を撫でる。
動揺を悟られないよう、僕はいったん息をとめ、そしてゆっくり慎重に吐きだした。

漆喰の壁に立て掛けられた姿見には、全身真っ白に塗りたくられた僕と、その背中に揺らめく色とりどりの羽根が映っている。

テンションの高い出立ちとは裏腹に、低血圧かと思しき表情の僕が所在なさげにこちらを見ていた。

「上体を左にひねって、視線は窓の外に、そう」

今夜はひっそりとした満月だ。モダンダンサーのようにポーズをとる僕が窓枠の外に浮かぶそれを眺めるのに、あなたは気がつかないまま、夢中でシャッターをきる。

ストロボの強い光に包まれるたび意識が飛んで、これが天国かと錯覚しそうだった。

「ねえ、夢みたいに美しい景色よ」

あなたは出会ったころから僕に夢中だった。僕の姿に夢中だった。自分でもルーツの知らない血は、肌を白く、髪と目を薄茶色に、厚みのある肉体にした。

造形作家と名乗るあなたが僕に向ける恍惚とした視線に、僕は自分が生身の男であると気付かれてはならないと悟った。僕もまた、ひと目であなたに惹かれたのだった。

連続するシャッター音が心地よく目を閉じた。ふいに影が落ちたので見ると、カメラを抱えたあなたが正面にまわりこんでいた。

「僕は何になったの?」

聞くと、あなたは僕に視線を合わせて優しく微笑んだ。

「私が触れてはならない、神聖な存在よ」

裏切らないあなたの難解な答えに、僕は「なにそれ」とだけ返し、力なく笑った。

どうしてそんなに眩しそうに、憂いを帯びて僕を見るのか。夜更けに肌が触れ合うほど近くにいるのに、どうして僕からは触れられないのか。見つめ合うのに、どうして心が通わないのか。

手のひらでレンズをふさぐと、驚いたあなたが顔を上げた。僕は腕をのばして、カメラに添えられたあなたの指に触れ、腕をつかんで引き寄せようとした。

そのとき、身を固くしたあなたと初めて目が合ったような気がした。

僕を通り越した何かに心奪われていたあなたの目が、うっかり僕自身にピントを合わせてしまった。

そこにはとまどいと恥じらい、そして悲哀と恐怖の色が入り混じる。この先にはきっといける。けれどそれは、あなたの世界を壊す行為だ。

名残惜しい気持ちで手をゆるめると、自由になったあなたの腕がほんの一瞬行き場を失い、空中に浮かんだ。先ほどと変わってしまった沈黙をあなたに委ねてみようか。

ただよう極彩色の羽根と、ずるい顔をした僕の何とアンバランスなことか。たまらず僕は、冷えた月に目をやりそのまま瞼をおろした。

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