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人種アイデンティティの形成がバイリンガルの言語維持と発達にどう影響しているのか

今回はTse Lucy が2000年に書いた論文を紹介したいと思います。

Tseは、アメリカに住むアジア人移民をインタビューし、彼らの人種形成(アジア人のバックグランドを持ちながら“アメリカ人”として生きる事)のプロセスにおいて、どうマイノリティ言語(日系アメリカ人であれば日本語がマイノリティ言語)が維持されるのか、また人種アイデンティティの形成について、インタビューの返答を分析しました。


アメリカで移民がそれぞれの継承語を失う理由

アメリカではマイノリティ言語の消滅が社会問題化しており、Tseも論文でそのことについて言及しています。

マイノリティ言語が消滅してしまうことの理由は、やはり英語が“母国語”またはアメリカにおける“公用語”として社会で認識されているが為に、それぞれの言語の継承語教育を充分に提供できていないからです。

また、継承語を学ばない子供も増加していることが、アメリカでマイノリティ言語が消滅している背景だと述べています。


幼少期は継承語に興味がわかない

Cross(1978)、Kim(1981)また、Atkinson et al. (1983)によると人種形成のモデルには四段階から五段階のプロセスがあるそうです。

① マジョリティ文化への興味が湧く時期
② 自身の人種は何かという意識が芽生える時期
③ アイデンティティや文化を探査する時期
④ 人種アイデンティティに対する葛藤を解消し、人種アイデンティティを社会的アイデンティティに組み込む時期

④に関しては、自分の“人種”という境界線を越えて、社会的アイデンティティ(性別や仕事やコミュニティなどへの属性)に属するという意味かと思います。
自分は何人か?というようなことに対する疑問や葛藤が消え、自分は社会で何をしている人間なのかというステータスで自己を表現するようになるということでしょう。


Ethnic Ambivalence Evasion

Ethnic Ambivalence Evasionは、Phinney(1990)提唱したモデルです。

・人種への興味の欠如や心配事
・自身の人種カテゴリは他者の視点ベース
(他人が自身をアメリカ人と言ったら自身の人種がアメリカ人と思う時期)

というようなことが見られる段階だそうです。

この時期は人によって様々で、また持続的なものとして見られています。
自身の人種やエスニック文化に興味がなくなること、そして自身のマイノリティ部分への強い拒絶が見られることが他の研究と重ねて立証されています。

そしてこの人種による葛藤ともいえる時期は、マジョリティに属せるか属せないかで解消できるかどうかで変わって来るそうです。

例えば白人が白人マジョリティのグループに同化できてしまうと、人種への葛藤がなくなるということです。しかし、目に見えて人種が異なるとマジョリティグループへの同化はできません。

前者は社会的にマジョリティとされる人種グループへ属することができるので、自己評価が高くなります。(一国に住むマジョリティは社会的に優勢であると、どの国でも先入観が作られている為)
一方、後者のケースはマジョリティとされる人種グループへ見た目からして属することが出来ない為、社会的にマイノリティだというイメージを背負いながら生活することになります。すると自己評価が下がってしまい、マジョリティグループに属せないという自己非難が生まれてしまうのです。

マジョリティグループに属せないという事実が劣等感や自己非難という感情を引き起こしてしまい、当事者にとってはとても心苦しい状況になってしまうと数々の研究者が述べています。


Tseの研究結果

彼女は今回アメリカ生まれアジア系移民の二世にインタビューを行いました。被験者は先ほど示したEthnic Ambivalence Evasion期の思いを語っています。被験者の年齢は20才から80才までと幅広いですが、だいたい30才の被験者が多いデータとなっています。彼らの言説の特徴としては以下の通りです。

人種やマジョリティグループに対する想い

① 自分は何人か?という問いに対して、何人かの被験者は、自身のマイノリティグループを否定しアメリカ人だと述べた。

② マジョリティグループ(白人)への憧れから自己否定をする意見があった。(いつも白人はかっこよく見えた。自分はアジア人なので自分が常に嫌いだった。など)

③ マイノリティグループと自分がリンクされることへの嫌悪感から、マイノリティグループに対して攻撃的な意見を持っていた。またはもっている。

④ マジョリティグループに決して入ることが出来ない、その基準を自身が満たしてないことから疎外感を感じることがあった


言語に対する想い

① 自身のマイノリティグループを象徴するものは言語であり、また、マジョリティに属するためにはマジョリティの言語(英語)を話せることが必須だった。

② マジョリティ言語に対する想い
・英語の能力と社会的ステータスが比例する
・マジョリティグループといる時も、マイノリティグループといる時も英語を好んだ
・英語が優勢でマイノリティ言語が劣勢であると考えていた、考えている。

③ マイノリティ言語に対する想い
・一度もマイノリティの言語を学びたいなど思わなかった
・マイノリティの言語を話すことは“恥”の一種であった

④ 親の影響
・補習校に通ってはいたが、心はいつも上の空だった
・親がマイノリティ言語を話さないように、英語を出来るだけ上手に話せるようになるよう、促した

まとめ

被験者の言説から

・言語というものはエスニックグループのシンボルであること
・被験者のマイノリティ言語の能力の高さと社会的ステータスは反比例していること(マイノリティ言語のレベルが高いと英語能力が低いとみなされ社会的に劣勢とみなされてしまう)
・アメリカ人としてのアイデンティティを形成するためには英語能力が必要だった
・社会的にマイノリティに対するネガティブなイメージがあることは、継承語を学ぶ、または磨く意欲に影響する
(その社会にマイノリティグループに対する偏見があると、当事者たちは彼らのマイノリティ言語を学ばない)

これらの結果を踏まえて、社会でマイノリティに対してネガティブなイメージを構築しないことの緊急性をTseは唱えています。
また、継承語を通常学校の授業で組み込むことで、それぞれの言語やマイノリティグループへのイメージを向上させることができると、Feuerverger(1989)の提言を示しながら述べています。



自分が身を置いている社会では、マイノリティはどうみなされているのか?


この記事を読んだ人には是非考えてもらいたいと思います。
自身も日本とスイスで生活をしてきましたが、日本では在日朝鮮人や中国人、アイヌ民族や琉球人に対するスティグマや偏見が、彼らの母国語使用の機会を失うきっかけとなりましたし、スイスでも東欧の人達に対する(スイスでいう“移民”と言われる人達)偏見が、彼らの言語使用の機会を狭めているという事実があります。(または東欧移民のスイスドイツ語が社会的に劣っているとみられるなど)

それぞれの国に社会的に差別されてしまう人たちがいますが、彼らのシンボルとなる言語もその差別によって消滅していってしまうのです。

そして、英語が話せることがカッコいいというイメージは何故生まれてくるのか?なぜマルチリンガルが良いと思われているのか?そして、マルチリンガルという言葉を思い浮かべる時に、一体そのイメージにどんな言語が含まれているのか?英語、ドイツ語、フランス語が話せると有利、カッコいいなどのイメージがないか?クロアチア語、タガログ語、ミャンマー語の3言語を話せると言った時に前者言語グループと同じ反応が過半数から得られるのか?などを考えると、現世界には言語による階級が存在し、そしてその階級は人種ベースの階級に影響されていることも見えてくるでしょう。

スイスでは、この論文のまとめにも書いてあったように、マイノリティ言語を学ぶ授業が通常学級であったり、継承語を学ぶモチベーションの1つの策として、継承語の資格が大学入学、Ausbildungに有利になるといったような教育システムを構築しています。

しかし、そこで優遇される言語はもちろん存在し、すべての言語がその政策に当てはまるわけではないのが現実です。

日本語はリースタルのギムナジウムでも学べる言語なのと、また、大学に入ると逆にフランス語のコースがなくなり(ドイツ語圏の場合)韓国語やスロバキア語などといった言語が学べるシステムになっています。

こう思うと、色んな言語が学べるように(もちろん人気な言語が優勢だけど)一般市民に言語の番組を提供しているNHKってすごいなって思うんですよね。

SRFもそういうのやってくんないかな~と思いました。


最後論文とは関係なくなってしまいましたが、読んで下さりありがとうございました。


チューッス!