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あるメンターの教え⑥~魂が成長すると「試験」がやってくる それは・・・     

 私が親しくしている方から聞いた話です。
 実際にご自身が会われた、あるメンター?の教えについてです。
 
「この教えはあまりに一般常識とはかけ離れている内容が多いため、仲が良い人にも言わずにいた。でも、自分だけのものにしておくのはもったいないと思えてきたので・・・たぶん、頑張っているのにうまくいかない人、空回りしてしまっている人の生き方のヒントにはなると思います(自分がそうでしたので)」
 
とことわりつつの話でした。
 確かに、「え、本当に・・・」「う~ん」と考えさせられ、信じられないと思える内容も多々ありました。しかし、「そう考えると生きやすくなるかも」「人生が充実してくるかも」と思える内容も多々ありました。

 また、実際、その教えを知って生き方をかえられたその方は、現在、作詞作曲もしますし、YouTubeに歌をアップしています。自分で(仲間と)塾(勉強会)を立ち上げられていますし、最近、本まで出版したり、と大活躍しています。その方自身が大きく変わられた、「うまく歯車がかみ合い始めた」様子でしたので、説得力はありました。
 
 とはいえ、私とその方とは別の人間なので、100%当てはまるわけではないと思います。よって、ここでは私が共感できた、腑に落ちた部分について紹介します。
 
*スピリチュアル系な話が苦手な方はスルーしてください。
*あくまで一つの見方、考え方です。それがすべて「正しい」「事実(真実)」と言うことではありません。


1 魂の成長は「幅を広げること」

 科学的には証明されていないので、いきなり、「あやしい」話かもしれませんが、人間には「魂がある」と言う前提で話が進みました。
 そして、魂の目的は何か?ズバリ一言でいえば

 成長すること。

そして、

(魂の)幅を広げること

になります。
 さらに面白いのが、魂は生まれ変わるので「人生の前半(40歳くらいまで)」は、過去世の影響を受けるのだそうです。なので、過去世でストイックな生き方をしていた人は、やはり、その影響を受けて、ストイックに頑張る生き方をしがち。逆に、人のために奉仕する生き方を過去世でしていた人は、やはり、職業などは違うにしても、人に関わり、支える仕事に就きやすいそうです。

 しかし、今世で、過去世と同じような生き方をしていると、魂的には「全く成長にならない」です。過去世で行ってきたこと、卒業した生き方を、今世で繰り返しても、成長がない~魂の幅が広がりません。だから、過去生とは別の考え方、生き方が求められます。
 
 ストイックな生き方(過去世)だった人は、「楽しむ」ことを積極的に取り入れたり、「~すべき思考」になりやすいので、「ゆるく(ゆるす)」生き方を意識したりすると、「魂の幅」が広がり、なおかつ、現実世界(自分の人生)が、うまく流れていきます。
 
 あるいは、人を癒す生き方(過去世)だった人は、今世は、自分を大事にするという意味で、「自分を主張して」「アグレッシブ」な生き方を意識して、行動につなげていくと、魂の成長につながります。

2 魂が変化して成長すると起きてくること

 先ほどの続きで、人生の目的が「魂の成長、幅を広げること」だとして、では、成長したら、どうなるのか?成長したということは自分で分かるものなのか?と疑問に思っていたら、次のような内容の話が出てきました。
 

「実は、人は魂が成長して変化していくと、やがて自分と同じような人間が目の前に現れてきます。

成長した後だと、自分で「あ、昔の自分そっくりだ」「昔の自分はこんな感じの人間だったなあ」と気付きます。そして、その現われた人の事が気になって仕方がなくなると思います。
 そこで大切なのは、その気になる相手の事を注意したり、成長した自分のように修正しようとしたりしない事です。
 

 ここまで聞いて、私にもいろいろと思い当たることがありました。
 私自身は、妙に相手に「イライラ」しました。もっと~すればいいのにとか、それでは~になって、苦労する(失敗する)と「見えてくる」ので、何か言いたくなって、実際、声をかけたりもしました。
 でも、当然、相手は自分自身ではないので、煙たがられたり、反発されたりして、かえって、嫌な気持ちになったりもしました。
 では、どうするとよかったのか・・・

3 最終試験~キーワードは「うんざり」「気にしない(スルー)」


 続きの話です。
 
「魂が成長すると、以前の自分に似た人が現れるようになります。
 でも、これは、

言い方を変えると「過去の自分に出遭っている」ということです。

 その時、相手を注意したり、修正したりしようとしてはいけません。相手には相手の人生がありますから。
 では、どうして、そういう人が現れるのか。
 これは「最終試験」という見方をするといいと思います。
 何が問われているかというと「気にしなくなるかどうか」です。
 過去の自分に似た人と出遭い、そこで、このまま過去の自分から卒業するか、それとも、やっぱり、過去の自分の生き方に戻るか、そういう試験なわけです。
 そして、

出逢った相手の言動に「うんざり」してきたら、成長している証になります。つまり、それは相手と言うより、過去の自分に「うんざり」しているわけです。

 この時、もう「気にしない」という最終試験が課されています。
 そこで、相手の言動を「かわせるかどうか」。そこがクリアできれば、その人との関係もうまく行ったり、同じような人はもう現れてこなくなります。」
 
 なるほど…と引き込まれました。
 私自身を振り返っても、人間関係で苦労したことがたくさんあります。
 その時、相手に対抗したり(こちらの主張をぶつけたり)、逆に、逃げたり、いろいろしましたが、よく考えてみると、その先(別の場所)で、また別の「同じようなタイプ」の人が現れた気がします。あるいは、同じようなトラブルが起こった気がします。

結局のところ、「最終試験」にパスしなかったら、また、同じ状況が繰り返されたのかなあと思いました。

 
 この教えが正しい、真実なのかはわかりませんが、一つの見方として、おもしろいなあと思いました。
 
みなさんは、いかがでしょうか?
 
 
ここまで読んでいただき、ありがとうございます
皆様の心に残る一言・学びがあれば幸いです
 

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