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とても好きな曲があります。藤井風さんの、「まつり」という曲です。2022年にリリースされた曲です。初めて聞いたときから、とても気になる曲でしたが、聞こえ方が変わってきています。
田中弥三郎です。鍼灸マッサージ師をしています。

「まつり」 藤井風

まつり

まつり【祭り】

1 神仏・祖先をまつること。また、その儀式。特定の日を選んで、身を清め、供物をささげて祈願・感謝・慰霊などを行う。祭祀(さいし)。祭礼。俳諧では特に夏祭をさす。《季 夏》「宵に睡(ね)て又目の醒(さ)めし—かな/草田男」
2 特に、京都賀茂神社の葵(あおい)祭。
3 記念・祝賀・商売・宣伝などのために行うもよおしもの。「港—」「着物—」
4 江戸の日枝(ひえ)山王神社と神田明神の二大祭りのこと。「—には御かしなさいと暑気見廻」〈柳多留・一八〉
5 男女の性交。→御祭(おまつ)り「仲人は宵の程、もはや—が渡ったと」〈浄・八百屋お七〉
6 (比喩的に)ブログなどで、特定の個人・企業などが社会的に問題がある言動をしているのが他のユーザーに発見され、広く知れ渡ること。インターネット内の騒動にとどまらず、職場や学校・警察・マスコミなどへの匿名の通報に至るケースもある。炎上。

weblio辞書国語より

まつる

まつ・る【祭る/×祀る】

1 儀式をととのえて神霊をなぐさめ、また、祈願する。「先祖のみ霊(たま)を—・る」「死者を—・る」2 神としてあがめ、一定の場所に安置する。「菅原道真を—・ってある神社」3 上位にすえて尊ぶ。「微妙な、奥ゆかしい礼儀が、自然と忍を上に—・る結果に」〈横光・家族会議〉

デジタル大辞泉より

【まつり】【まつる】、もともとは同じ言葉の活用形なのでしょうが、現在は少しニュアンスが変わってきているように感じます。

まつること

突然ですが、義母が他界しました。
年末にはニコニコして、いちばん元気に笑ってたひとが、ほんとに突然に。
モーニングコールをしたら、返事をしてたのに。身支度の音が聞こえて来ないなあと見に行ったら、トイレで倒れていました。そしてそのまま、あっさりと逝ってしまいました。救急車にも来てもらったし、搬送先でも手を尽くしてもらったけど。
死因は心筋梗塞。血圧は正常で、薬も飲んでなかったのに。

バタバタと事が進んで、骨壺に入って帰ってきて、いまは祭壇に祀られています。
祀ることで故人と向き合い、この世にいなくなった現実と向き合うことができるのだ、と身を持って学びました。

藤井風というひと

で、冒頭の「まつり」という楽曲ですが。
藤井風というひとは、独特な世界観のある楽曲を多く書いています。また、大胆なカバーアレンジも魅力です。
一昨年と、一昨昨年は紅白歌合戦にも出場しています。
独特な世界観の根底には、思想家サイ・ババの影響を強く受けているそうです。有名になってからサイ・ババ氏のことが報道されて、ショックを受けたファンも居たそうです。
私はとくに宗教や思想には触れずに、だけど毛嫌いするわけでもなく「ふーん、そんなものかー。」みたいに生きてきました。
なので、とくにショックということでもなく、「ふーん、その影響かー。」くらいのものです。
楽曲は変わらず、魅力的に感じていますしね。

楽曲の「まつり」が、変わった

まつり まつり
毎日 いとしき なにかの
まつり まつり
あれもこれもが 有り難し
苦しむことは なんもない
肩落とすこた 一切ない ない ない
好きにしてください
何も知ったこっちゃない
何にせよ めでたい

「まつり」 藤井風

楽曲が変わったんじゃなくて、変わって聞こえてきただけなんですが。
好きにしていいし、誰も何もしったこっちゃないんですよ、大概のことは。
そして、何にせよめでたいんです。まつりですから。
「まつり」には、フェスティバルだけじゃなくて色んなまつりがあります。
「めでたい」だって、「愛でたい」かもしれないし。

義母の死に学んで

私は今年で40歳になりますが、同居家族の死を経験したのは初めてです。祖父母や患者さんなど、それなりに人の死には触れてきましたが、同居家族というのは経験がありませんでした。
家のあちこちに義母のいた痕跡があり、線香が香っていて、常に義母のことを考える環境です。
初めてのことで戸惑うところも多いですが、こうやって少しずつ受け止めて飲み込んで、家族の死を受け入れるのだと勉強になりました。

通夜と葬式には親戚が20人を超えて集まってくれました。私が知っているのは、80をすぎた義母の姿だけでしたが、若い頃のいろんなお話を聞けたことが良かったです。
そして、晩年の義母と生活を共にしたことを、いろんな方が褒めてくれ、感謝までしてくれました。私にとっては成り行きのことでしたが、いい経験をさせてもらいました。
患者さん宅でも、義母の話をネタにして笑っていたので、わざわざ御供えをくださった患者さんもありました。患者さんと義母とは直接の面識もないのに、御供えを戴くことになるとは。
それもこれも義母の徳のなせることで、私はそれにあやからせてもらえたわけです。

私自身もさみしい気持ちがあるし、なにより妻はショックが大きく堪えています。加えて相続や届けなど、仕事が山積みで目が回りそう。
だけど、写真の中で微笑む義母に話すことで、心が穏やかになります。こうやって少しずつ乗り越えて行くんでしょう。
当たり前に知っていることも、経験しないと体験しないと、理解はできませんね。
四十九日を迎える頃には、どんな心境なんでしょうね。それまで「まつり」を好きにしてみようと思います。
義母は歌が好きな朗らかなひとで、いつもニコニコしていて周りを笑顔にできる人です。ぴったりな戒名をもらえました。
故人が喜ぶように、四十九日までの期間を過ごしてみようと思います。

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