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スピーチで社長に怒られた男の成長物語

「お前のボヤキを聞きに来たんじゃねえんだよ!」

 社長の怒号からこの話は始まる。2021年12月9日の朝礼で、職場の社員・スタッフ計15人ほどを前に私がスピーチをしている最中の出来事だった。

 私がスピーチで伝えたかった内容を要約すると、

・昨年(2020年)私は計画を立てて年末商戦に挑んだが、想定外の事態に上手く対処できなかった。
・一方でK社員は計画などの事前準備を特にしていなかったが、あらゆる事態に機転を利かせ対処することで大きな失敗は無く終わった。
・大事なのは計画を立てることではなく、Kのように事態に対処する能力だと思った。

 自分の中では「考えさせられる深い話」のつもりだった。しかし、私には話をまとめる能力が皆無で、話し始めてから3分経過しても一向に結論にたどり着かない。やがて冒頭の怒号が飛び、一番言いたいことを発せられないまま私のスピーチは強制終了となった。

1.何故か真逆に伝わっていた

 その日の昼休み、店長に呼び出された。朝礼のスピーチについて2点の指摘があった。

・話は短くまとめたほうが良い
・他人の悪口は言わないほうが良い

 前者はおっしゃる通りだが、後者はどういうことなのか。私はKの悪口を言うつもりは皆無で、むしろ良い例として挙げるつもりだったのは前述の要約を見れば明らかである。話の意図が全く伝わっていないのはまだ良いとしても、言い方次第で真逆に、しかも悪い形で伝わってしまうなんて有り得るのか。私は現実を受け止められなかった。

2.他の社員はスピーチを「無難にやり過ごしている」

 実を言うと、私が朝礼のスピーチで社長に怒られたのは今回で5回目くらいだった。そこまで怒られる社員など他にいない。確かに私は人前で話すのは大の苦手で上がってしまうが、他の社員が話すのが特段上手というわけでもないし、私のように下手な部類に入る者もいる。なのに何故、彼等は怒られず私だけ怒られているのか。冷静になって他の社員のスピーチを分析してみた。

ある日の社員Aのスピーチ:報告・連絡・相談が大事だという話
ある日の社員Bのスピーチ:年を取ると時間の経過が早く感じるが、それは「ジャネーの法則」によるものである(ドヤ)
ある日の社員Cのスピーチ:ワクチンを打たない選択肢もある。何故なら(自主規制)

 なんだろう、どの話も心に響いてこない。Cは論外だとしても、Aなんて当たり前だし、Bも有名なのに今更ドヤ顔で話されてもという感想にしかならない。

 一方で私は「深い話」をして聴衆を感心させたいという欲望がある。というかそれくらいの結果を残さないとスピーチをする意味はないとさえ思っている。

 つまり、A~Cはスピーチにあまり重要性を感じておらず「その場を無難にやり過ごす」という考え方なので、心に響かなくても内容に問題がないから怒られずに済むのである。しかし私は伝えたい重要なメッセージを明確に持っており、それを全力で伝えようと挑戦し砕け散っている。朝っぱらから怒られてしまったこの日は一日中メンタルが崩壊した状態で仕事をし、ミスも連発した。二次災害を巻き起こすくらいなら、Aみたいに当たり前の話をしてその場をやり過ごしておけば良かったと後悔した。

3.noteという逃げ場所

 翌日、12月10日は公休日だったが、スピーチのことが頭から離れられず闇落ちしていた。こんなに努力して苦労しても報われず、たった1回のスピーチで会社からの評価を下げる。何のために生きているのかとさえ思った。絶望のままnoteにアクセスし、キーボードを叩いていた。

 気付いたら記事が完成していた。Liella!の各メンバーの魅力を簡潔に伝えていた。そうなんだよなあ、書くことは出来るんだよなあ。

 答えは出た。開き直って、書くほうを頑張ろう。4日後にはもう次の記事を投稿していた。

4.転機のコンテスト

 その後、年内に短編小説2本を書き上げた。投稿頻度がほぼ週1ペースになったのもこの頃からだった。

 転機となったのは今年1月、とあるコンテストでグランプリをいただいたことだった。

 結果そのものよりも、自分の書いたものが初めて評価されたことに対する喜びが大きかった。スピーチで怒られ、1ヶ月悩み続けたからこそ、この結果には大きな意味があったと思う。あの時「書くことを頑張る」と決めた私の答えは間違っていなかったのだと。

5.ポジティブな心でリベンジスピーチ

 ここに来て、いつかの声優・青山なぎさの言葉を思い出す。

(インスタで「ポジティブのコツ」を聞かれ)
「自分がやってきたことに誇りを持てるような生活をすること、これを心がけてます!
 でも、生活の全てが完璧とかは目指してないです。
 納得いくまでひとつのことをやり抜くと、ちゃんとやってきたから私は大丈夫。って前向きに捉えらえることが多いです。
 何事も試行錯誤をしていけば自然と自信に繋がるんじゃないかなぁと」

 今ならその言葉の意味が、ポジティブ思考とは何か、分かるような気がした。

「次のスピーチでコンテストの話をしたらどう?」

 職場のスタッフのアドバイスだった。「書くのが得意なら原稿をちゃんと書いてみてはどうか」という店長からのアドバイスもあり、次のスピーチまでの1週間、原稿を用意し、繰り返し読み込んだ。

 そして1月20日、あの社長激怒以来の私のスピーチ本番は訪れた。

 つい最近、自分の中で嬉しい出来事がありまして、noteというwebサイトがあるんですけど、その中で文章を投稿するコンテストが開催されて、私も実体験を基にした2000字ほどの文章を書いてエントリーしまして、審査の結果、グランプリをいただくことが出来ました。

 私は小学生のころから今まで、人前で話すのが苦手という弱点が常に呪いのようにつきまとっていまして、悩まされた回数は数知れずなんですけど、その分、文章を書くことだけは昔から習慣的にやっていまして、ブログも13年前から定期的に書いたり、小説も時々書いたり、2ちゃんねるに入り浸ってひたすら書き込んでいた時期もありました。漫画やアニメを見て「この言葉いいな」とか「この表現使える」と思ったら、それを自分の文章に取り入れたりしていたら、技術とか表現の技みたいなのも自然と少しずつ身についていきまして、身につけたものを全部取り入れるつもりで真剣に書いてエントリーしたら、結果グランプリをいただきましたし、何より評価してくれる人がいるというのは嬉しいことです。

 ここからが大事なんですけど、例えばもし自分が昔から人と話すのが上手で、それだけで満足していたら、文章を書こうとは思わなかっただろうし、こうやってグランプリを受賞することも無かったと思います。だから、人と話すのが苦手というのは、悪い事ばかりでも無いのかなと。私に限らず話せない人というのは大体、書くほうを頑張ってきているので。そういう人もたくさん見てきました。

 要するに、何かが出来ないというのは、言い換えれば他の何かが出来るということですので、私の話すのが苦手という弱点は、改善しなければならないとはいえ、別に悲観することもないのかなということに気付きました。文章を書く能力と言うのはこの仕事に必要ないかもしれませんが、最近はグランプリのお陰で少しだけ自信を持って仕事が出来るようにはなりましたので、気持ちの問題では少しは意味があるのかなと。この先何があっても、メンタルが崩壊して仕事に影響が出ることだけは無いようにして、自分に自信を持って仕事に取り組んでいきます。

 本番直前まで読み込んだ甲斐もあり、一部飛ばしてしまったが、原稿を読まずとも大体この通りに話せたと思う。時々下を向いたのは減点だろうが、少なくとも社長は怒らなかった。

 その後、店長にも「短くまとまっていて良かったです」とお褒めの言葉をいただいた。内容そのものには誰も言及しなかったので、聴衆の心を動かせたかは不明だが、前回の最悪の結果に比べれば、少しは成長できたのかもしれない。

(Fin.)


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