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後輩を大切にしていますか?

 職場の上司や先輩を大切にする人は多い。

 では部下や後輩はどうか。気付けば居るのが当たり前になっていないか。当たり前のように指示や命令を下し、それをしてくれるのも当たり前だと思っていないか。

 上司に気に入られる人よりも、部下や後輩から愛される人の方が成長すると誰かが言った。信じるか信じないかは──。

 ✳︎✳︎✳︎

 もう10年も前だろうか。私は都内某所の漫画喫茶で末端の社員として働いていた。

 私の配属された店舗は、いわゆる「落ちこぼれ」が集まる隔離施設だった。遅刻常習犯、接客態度が悪い、勤務中に従業員同士の長話、その他何らかの不正を犯したりトラブルの火種になった人たちが送り込まれた。私は遅刻も不正もやらかしもしていないが、単純に「出来の悪いやつ」として早々にこの店に流された。

 隔離店舗は落ちこぼれでも店を回せる配慮がされていた。まず、漫画喫茶なのに漫画本が無かった。漫画の仕入れから陳列、棚卸までの一連の管理業務から解放された。次に、フリードリンクのサーバーも無かった。こいつの補充や清掃、メンテナンスが無いだけで作業量は大幅に減っていた。

 仕事が比較的楽で従業員側にはメリットしかない店だが、漫画もドリンクも無いとなると客側のメリットといえば格安料金と少し広い防音個室(PCとTVはある)くらいで、寝床を求める浮浪者か、ヤリ部屋として利用するカップル客くらいしか来なかった。そして働く従業員も落ちこぼれという、早い話が「底辺の巣窟」だった。

 そんな底辺集団の中でも私はトップクラスの無能だった。客数も作業量も少ない割に至らぬ点が多く、毎日のように上司や先輩に怒られていた。特に酷いミスを犯した場合は本社へ直行し、部長のトラウマレベルの怒鳴り声を1時間聞き続けなければならなかった。

 入社してから3つの季節が過ぎただろうか。本社で怒鳴られる儀式を2回も経験し、その度に減給も食らい踏んだり蹴ったりの頃、男性社員・Kが入社した。初めての後輩だった。Kは細かいことを気にしないタイプで、私の粗を探さず、良いところだけを掻い摘んで褒めてくれた。気付けば私はKと一番会話するようになっていた。

 そんな最中に3度目のトラウマイベントが発生した。またしても減給のおまけ付き。自業自得とはいえ、私のメンタルは限界に来ていた。こっそりハローワークに通い詰め、コンビニをフランチャイズ経営する会社に内定を貰った直後に退職願を提出した。

 元々離職率の高いブラック会社だったこともあり、私の辞意に周囲は驚かなかった。唯一引き止めてくれたのはKだったが、結論は覆らなかった。残り1ヶ月間、衰弱するメンタルを押し殺してでもKの為に職務を全うしようとした。

 しかし、私には学習能力が無かった。退職予定日の10日前、4度目の本社呼び出しを食らった。またヤクザみたいな人に怒られると思うと身が震えた。頭の中は真っ白で、右手は携帯電話の電源を切り、両足は本社ではなく東北の実家に向かっていた。逃げてしまった。在籍期間を後10日残した状態で“バックレた”。2日後にようやく携帯の電源ボタンを長押しすると、本社からの着信履歴と、Kからのメールが届いていた。

『最後にサヨナラを言いたかったです』

 それを読んだ時、気付かされた。私はとても恵まれていた。ここまで私のことを慕ってくれる後輩が居るという事実に気付かされた。

 バックレたことで多くの人に迷惑と心配をかけた罪が消えることは無いが、実家に一時帰省したことでメンタルは浄化された。Kには私のブログのURLを教えた。コンビニに転職してからの出来事を毎日のようにブログに綴り、その度にKはコメントをくれた。それが半年も続く頃には「久しぶりに会おう」となった。鶴ヶ峰の日高屋で談笑しながら食べたラーメンと餃子の味が忘れられない。

 しかし、そんな付き合いも長くは続かなかった。翌年にもなるとブログの更新頻度は激減、Kもコメントを残さなくなった。メールのやりとりも自然消滅。お互いが仕事の忙しさに追われるだけの日々になった。店長に昇格し、ガラケーからスマートフォンに機種変し、ついでにメールアドレスも変更した頃にはKにアド変のお知らせメールを送る気にもなれないほど心は疲れていた。

 実はコンビニも数年後には辞めている。2017年にとある小売業に再転職。2020年7月のブログには、またしても私のメンタルがやられている様子が綴られていた。

『今、社会人人生12年で最も窮地に立たされている。仕事もプライベートも、こんなに苦労しているのに何一つ上手くいかないのは初めての経験だ。建設業も新聞配達も漫画喫茶もコンビニも、転職する度に人生で最も辛いと何度も思っていたが、実はそのどれもが幸せだったのだなあと、しみじみ思う』

 Kと会わなくなってから8年。彼のように私を慕ってくれる後輩が現れることは一度も無かった。上司や先輩に好かれることはもっとあり得なかった。今こそKに会って慰められたい。また日高屋で他愛もない話をして笑い合いたい。記憶の片隅に残っていた彼のメアドをTo欄に打ち込んだ。8年ぶりの送信は一瞬で返事が来た。

『送信されたメッセージはお届けできませんでした』

 Kもメアドを変更していた。連絡手段も会える方法も失って初めて、Kがかけがえのない素敵な後輩であると実感を伴って気付いた。Kを大切にしてこなかった罪は悔やんでも悔やみきれない。最後の希望さえも失い、途方に暮れた当時34の夏。


 これは『素敵な後輩』が失われるまでの物語。貴方は後輩を大切にしていますか? 後輩がいることを当たり前と思わず、一生大切にして欲しい。私みたいに後悔する時が来るかもしれないから。

(Fin.)

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