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北川景子、SEVENTEEN撮影から第1子出産まで~本人のブログで振り返る14年半(4)

 女優として虚構を演じ続ける一方で、web上に文字と写真で残す本来の姿。北川景子の人生をブログのみで追いかけた先には何が見えてくるのか。シリーズPart4。

(過去の記事はマガジンにまとめてあります)

(前回はこちら)

第6章 順調かつ多忙を極めた2010年

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今日は皆さんにお知らせがあります。
木村拓哉さんが主演される4月期フジテレビ系月9ドラマ、
「月の恋人~Moon Lovers~」に出演させて頂くことになりました。
共演は篠原涼子さん、リン・チーリンさん、松田翔太さんです。
私は資産家の娘で人気モデルという役をやらせていただきます。
昨日衣装合わせも済ませました。

 初の時代劇に挑戦した映画『花のあと』の公開から約2週間後の2010年3月24日、早速次の出演作品がブログにて発表された。ヒロインではないものの、大物揃いの共演者に緊張している模様。とはいえこの2年間で3作品も月9出演を果たす北川も只者ではない。確実に人気も実力も発展途上にあった。

(4月6日)
「クランクインから海外ロケで、みんな一緒のホテルに泊まって
合宿みたいに過ごすことができるなんて本当にレアだよね」
と皆さん口を揃えておっしゃっていました。
そんな環境のおかげもあって
1話の段階から5人がとても仲良くなれたので
私も最初が海外で良かったなぁと思います。
現場では私たち日本人キャストは中国語がわからないので
キャスト同士では簡単な中国語や日本語か、
だいたい英語で会話をしています。
チーリンさんや松田さんは特に留学の経験がおありなので
英語が流暢なので、私も留学中の英語を思い出すチャンスになって
刺激的な現場です。
なにより日本語、中国語、英語のちゃんぽんな会話を
私たちは楽しんでいます。

 2ヶ月間アメリカに語学留学していたのはまだ大学1年の時。あらゆる人生経験を活かしていく無駄のない女優・北川景子。

 『セーラームーン』でのデビューから7年、役者として多くの実績を残してきたように思えるが、本人的にはまだまだであると痛感しているようだ。

(4月18日)
ここのところ役に恵まれ続け、
主演やヒロインという位置づけで演じる事が多かったぶん、
現場で主演らしく、ヒロインらしくあることにばかり気を取られたり
忙しいスケジュールをこなすことにただただ夢中でしたが、
今回の連ドラでは現場で先輩方のお芝居をゆっくり見て学ぶ余裕や
自分の役所について考える時間も許されているので
今の私にはとてもこの現場が合っています。
もっと根本から勉強しなくてはいけないのに
自分の出ている作品をじっくり見る時間も
次のシーンの撮影の準備の時間もとれないまま色んな作品を撮って
時間が経って
このままで本当に良いのだろうかと思っていた時の、この作品のオファーでした。
今の自分に一番必要な事は、
先輩方とお芝居をさせていただいたり、先輩方を見て勉強させて頂きながら
自分に無いものや足りない部分、未熟な部分を見つけ、
一つずつその不得手を減らしていくことだと思います。
アクティングレッスンなんて無駄だ、なんて思わずに
10代の時間のあるうちにやっておけば良かったと
今この年齢になって後悔している私です。
いまになって思う事は、練習や訓練に意味が無い物はないです。

 4月24日には、多忙を極めた役者の切ない内情を吐露していた。

忙しいことはとても嬉しいけれど、
最近は色々な現場に行って、色々な人に会いすぎている気疲れと
アウトプットばかりで自分がからっぽな感じでした。
忙しいうちに私が小さい頃から知っている
本当の北川景子という人はどこかに隠れてしまって
出る側の人間としての北川景子が自分を占拠し始めていたような感覚で
そのうち乗っ取られてしまうような、漠然とした不安が渦巻いていました。

 そして7月2日、『月の恋人』クランクアップ。概ね順調のまま完遂したようだ。

(7月4日)
これまでもいくつか連ドラはやらせて頂きましたが
今回が一番いろんなことを教えていただいた気がします。
それにやっぱりとにかくキャストが仲が良くて
私にとって一番思い出に残る楽しいドラマになりました。
(毎回の現場に恵まれて最高なので
いつも"一番"と言っている気もしますが。笑)
あぁ~、いつまでも月恋や瞬の気分でいたいけど
もうさっそく次の作品の監督にもお会いしたので
気持ちを徐々に切り替えたいと思います。
次は久々の映画です。
楽しみにしていてください!

 クランクアップを迎える頃に、次の作品は間髪入れずにやって来る。ここ最近の北川はずっとそうだ。

 そんな中の8月、24歳の誕生日を間もなく迎えようとしていた時。

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昨年は、私自身に実年齢より生活能力等の部分で幼い部分があったり
逆に人より若い時から働いている分、変に大人びて冷めた部分があったりと
そういった実年齢と精神年齢とのアンバランスさをすごく敏感に気にしていて
それを上手くコントロールしたいなという記事を書いたと思います。

ところが一年経ってみると
私自身そんな記事を書いた事をいつしかすっかり忘れていて、
いつの間にか気にしなくなっていたみたいです。
学生を終え、社会人として作品を重ねてきたこの一年間で、
Teenagerの頃の延長の、余計な考えや悩みのようなものが
自然にそぎ落ちていったというか
この頃はあまり自分自身の人格について考え込まなくなりました。
人それぞれ色んな長所や短所があることは自然なことで
何も完璧でいる必要はないと思えるようになりました。

生身の人間ですから、調子のいい時と悪い時があって当たり前だし、
得意なことと不得意なことがあって当然だと
気楽に考えられるようになった気がします。
さらにもっと言えば、もちろん人に見られる仕事ではありますが
実際以上に自分を良く見せたいとも思いませんし、
人から少しでも良く思われたいと躍起になることもなくなりました。

不器用な性格も、人見知りも、片付けが苦手な部分も、全部含めて
私は、私です。
もちろん開き直った訳ではないのですが、
仕事でもプライベートでも必要以上に自分の見え方を気にして
取り繕うことはやめました。

 初めて自分自身と向き合った「北川景子も少し好きになってきました」のブログ記事から1年4ヶ月。「私は、私です」と、少しどころか全ての自分を受け入れるまでに心情は変化していた。


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 一方で映画『Paradise Kiss(パラダイス・キス)』が8月5日クランクイン。この映画の為に実際のファッションショーにも出演した

(8月30日)
昨日のランウェイを歩いているところが、
そのまま映画のワンシーンになります。

ゲネプロも出来なくて一発本番だったけど、
神戸コレクションは以前もお世話になっていて
勝手もわかっていたので、緊張せず楽しんで歩いてきました。

 しかし、『花のあと』などこれまでの映画もハードだったはずなのに、今回の撮影スケジュールはカオスを極めた。

スケジュール表を見ながら
「32時終わりって、何時?」
とスタッフもキャストももはや笑うしかない状態で、
でもそんな極限で皆で一緒に過ごした4日間は
私にとってとても楽しく、充実した時間でした!
この過酷な撮影でまた、
スタッフとキャストの絆も確実に深まったし
毎日撮影が終わったら
「あと何時間か後にここでね」なんて皆で言い合うのは
可笑しくて仕方なくて
私は本当に現場が好きなんだなと
つくづく感じた4日間でもありました。

今日は休みだったけれど
撮影から帰ってベッドに入れたのは朝の11時のことで
先ほど起きた私は
ジムで自転車をこぎながらこのblogを作っています(笑)
明日からはまた朝から撮影の日々です。
もう寝れなかろうが体が辛かろうが
皆と一緒にとことんやってやるつもりです。
監督を始め、スタッフ、キャストの結束力が
この組の一番の強みだと思っています。
いつもたいてい私が悩まされる
役や作品に対するプレッシャーが今回全くないのも
一緒に作品を作っている皆のおかげでしょう。
どんなことも皆で乗り気って良い作品にしたいと思います。

 作品の性質上、スリムな体型を維持し続けねばならず、あらゆる面で厳しい条件下での撮影は続いた。その後、10月25日に無事クランクアップを迎える。延べ約3ヶ月と、映画1本にしては長い時間をかけじっくり制作された。

 その1ヶ月後には連続ドラマ『LADY〜最後の犯罪プロファイル〜』の撮影がスタート。2010年も仕事が途切れることなく順調なまま終わりを迎えそうだ。

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(12月8日)
冬の朝、まだ日が出ていない暗い時間に家を出ると
必ず中学・高校時代の通学を思い出します。

その時期は県外の学校まで
電車で一時間ほどかけて通学していて、
冬の朝の家から駅まで歩く真っ暗な道や
通勤の大人たちに囲まれた満員電車の窓から見える
まだ眠っているようにも感じられる町並みが
とても心細かったのをはっきり覚えています。
「今日も始まるんだな」と思うと
幼かった頃の私は毎朝くじけそうでしたが、
私より早く起きて月曜から土曜まで毎朝
お弁当を作ってくれている母の台所の作業の音を聞くと
やっぱり今日も頑張らないと、と思えたものでした。
いつも私が乗る駅の次で降りる
サラリーマンのおじさんの後に座り、
膝の上に鞄を載せるとまだお弁当が温かくて
「今日のおかずは何かな?」なんて思うと
少し、元気になった気がして。

大きな出来事は忘れているのに
こういう些細な瞬間に限って
鮮明な映像で思い出されるのが不思議です。

あの頃はこんな職業に就くとも何も知らず
私はあの頃と同じように早起きをして
私が変わっても冬の朝が変わらない事にノスタルジーを感じました。

第7章 阪神大震災経験者が語る3.11

(1月4日)
新年あけましておめでとうございます!
今日から私は待ちに待った仕事始めでございます!

今回の年末年始は31日から4日間お休みを頂きましたが
見事に4日間誰とも会わず(笑)
近所の神社に初詣に行ったのと
同じく近所のジムとレンタルビデオショップに行ったのを除いては
特別な外出はせず、
家にこもりっきりの年末年始でした。

 そんな他愛もない記事で始まった2011年のブログは、『LADY』の撮影の様子や放送前の宣伝が中心となり、時折CM出演の記事が挟まれた。

(1月14日)
LADY公式Twitter、
お陰様でフォロワーたくさん増えているようで、
皆様ありがとうございます!
一昨日は深夜まで撮影してたのですが、
Twitterのコメントをレギュラー陣みんなで読んで笑ったりして
元気をもらいました。
視聴者の皆さんと距離が近くなって嬉しいです。
これからもよろしくお願いします!

 一方でSNSの世界はブログに加え「Twitter」が日常的に使用され始めた頃でもあった。ブログよりも短文で単純操作。気軽に更新できて読者とも密に繋がれるメリットは大きく、多くの芸能人がブログからTwitterに移行し始める中、北川はその波に乗らず2020年の今に至るまでブログに拘り続けた

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(2月25日)
出かける前に手に取った免許証に写る自分の顔ー
少し引いた顎、固く結ばれた口元、強張った頬、
不安で怯えるようにも威嚇するようにも見える目を見て
「そうだった。昔から写真は苦手だった。」と苦笑してしまいました。
思い返せばクラスの集合写真も、卒業アルバムも、学生証も
同じ顔をしていたなぁ。
恥ずかしがり屋ですぐに緊張する質だった私は
小さい頃からカメラを向けられる事がとても苦手だったので
実家のアルバムにも"素敵"と言える表情が写真に残っていることは少なくて
その8割が仏頂面で、母の後ろに隠れてしまっていたり。
そういう自分の写真を見られる事も恥ずかしいので
アルバムを囲んで親戚が集まって談笑しはじめると
すーっとその場から離れたりしていました。(笑)

たまにコンビニエンスストアや電車のつり革で見かける
ファッション雑誌の写真の中の私は
プロのカメラマンさんやヘアメイクさん、スタイリストさんのお力を借りて
自信に満ちて笑っているように見えるから
自分でも自分が少し変われたのかとたまに錯覚してしまうけれど。
華やかな世界で生きるようになり、
引っ込み思案で臆病だった頃の自分を封印したような気持ちでいたって
あなたの本質はあなたのままなのよ、と
自嘲してみると何だか心から可笑しくなりました。
それでいいんだと、思ったからです。
私があの頃のままの私だということが実感できて正直少し安堵しました。
免許証の私の表情は電車のつり革の私に比べて冴えないけれど
人間は欠点があるからこそ人間なのであり、
完璧ではないから人間は美しいのだ!
そんな風に一人で哲学してみて嬉しくなりました。
良い気分転換が出来た夜でした。
おっと、久しぶりの更新なので長々と書いてしまいました。
読むのが大変でしたね・・・すみません。

さぁ、最終回に向けてLADYもラストスパートです!
最後まで頑張るぞ~!

 暗い過去を経て明るい今がある。長文なのは相変わらずだが、ブログを始めた2006年当初よりも前向きな話が多くなった気がする。


 そんな矢先だった。


――2011年3月11日――


「さぁ、今日からまた頑張ろう!」と
意気揚々とスタジオへ向かいヘアメイクをしていた時のことでした。
いつもと変わらない日常でした。
私にとっての前回もそうだったように、今回もまた、
突然にやってきて多くのものを飲み込んでいきました。
この世に起こること全てが神が与えた試練だとするならば
この与えられた試練の意味を私はずっと考えています。

私はと言いますと
身体的には無事ですが、精神的なダメージはとても大きく
なんとか保とうとしています。

私のような立場の人間は
“こういう時だからこそ明るく前向きにいきましょう。”とか
“みなさんの辛さをお察しします”と言うべきなのでしょうが…
日本全国の失われたもの、奪われたもの、残った傷の大きさは図り知れず
ただただ、これ以上何もわたしたちから、わたしたちの国の中から、
失われるものが無いようにと私は祈ることばかりしています。
命をとり止めても私たち被災者の心の傷が癒えるまで、
元の生活を取り戻すまで、
どれほどの時間がかかることか…考えることも恐ろしいです。
日本中の悲しみを感じながら
昨日今日と私は変わらず撮影をしていますが
こんなにも日本中で多くのものが失われている最中で、
美しく装い、笑顔で撮影をすることは
とても辛く、胸が痛いです。
かと言って今私が現地に行って何ができるのだろう。
やるせなさだけが残っています。

これ以上の悲しみが訪れず、平穏が戻ってきますように。

 その後、ブログの更新はしばらく途絶えた。

 心を取り戻し、自身の阪神・淡路大震災の経験を語り出すのは、東日本大震災から約1ヶ月後、4月8日のことだった。

皆さんこんにちは。
本当に久しぶりの更新になってしまいました。
先月は震災の影響で延期になったお仕事もあり、
期せずして時間が出来た感じでした。
震災の直後は、近しい人を失ったという友人たちからの話も多く
なんとなく気力がなく落ち来んだ気持ちでしたが
今回の震災がきっかけでたくさんの事を考え、思い出しました。

阪神大震災の時、私は震源地に住んでいたので被害も大きかったのですが、
その当時、近隣の県の方々からたくさんの支援をしていただいて救われたこと、
被害が比較的小さかった近隣の地域の方々が被災地を慰問して下さった際に
震災前と変わらぬ様子で笑顔で接して下さる事が
私たち被災者にとって、とても心強かった事、
そんなことを思い返していました。

今、私にできることは何なのだろう。
そんなことをたくさん考え、
微力ながら遠方から支援させていただいている最中ですが
小さい頃の震災の経験を振り返ると、
残った元気な人たちがいつもと変わらぬ様子だった事に
希望を見つけていたような気がして、
私も落ち込んでばかりいないで今回は皆さんを励まし、
お力添えする立場に回れたらと思うようになりました。

今月に入ってからはいつもと変わらずスケジュールをこなしています。
雑誌やコマーシャル、ブログ等を通じて、
みなさんに少しでも元気をお届けすることがもし、出来たなら、
そんな気持ちで日々お仕事に向き合っています。

被災した皆さんは毎日目を閉じることも怖くて
不安な状況が続いているとお察ししますが
必ずまた笑える日が戻ってくると私は信じています。
なんとも月並みな言葉で歯がゆいですが、一人ではありません。
希望を捨てず、残された私たちでまた、力を合わせて立ち上がりましょう。
国内だけではなく、海を越えて、日本のために
遠くから祈っている人たちがたくさんいます。
私たちの祈りが届き、神のご加護がありますように、毎日そう願っています。

いつも通りブログの更新を、と
言って下さる方々のお声もたくさん頂きました。
これからまた、皆さんとここを通じて支え合うことができればと思います。

 大きな悲しみを乗り越え、北川景子の人生の記録はこの先も続く。

(Part5につづく)


(※文中のブログ記事はコピーサイトより引用したものです)

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