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北川景子、SEVENTEEN撮影から第1子出産まで~本人のブログで振り返る14年半(1)

先日、無事に第一子となる女児を出産いたしました。
おかげさまで母子ともに健康です。
元気に生まれてきてくれたことに幸せを感じています。
出産まで支えてくださった方々に感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとうございました。

 2020年9月7日。女優・北川景子はオフィシャルサイト内のブログにこう綴った。ブログからTwiiter、インスタグラム、LINEへと、流行の媒体が目まぐるしく変容するSNSだが、彼女は延べ14年半もの間“ブログ”に拘り続け、実のある長文を更新し続けてきた稀有な芸能人と言えるだろう。

 女優として虚構を演じ続ける一方で、web上に文字と写真で残す本来の姿。北川景子の人生をブログのみで追いかけた先には何が見えてくるのか。シリーズPart1。

第1章 アメリカ留学中に語る夢と本音

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はじめまして、北川景子です!
この度blogを始めることになりました♪
パソコンが不得意なのですが、頑張って更新していこうと思います!笑

 2006年2月7日、全てはこの文から始まった。当時まだ19歳の北川は『始まります。』の表題と共に1217文字にわたる長文で想いを綴った。映画の撮影でアメリカに滞在中、自身の無力さを知った。ドラマ『セーラームーン』のセーラーマーズ役で女優デビューを果たしてからの3年間、映画『間宮兄弟』や『水に棲む花』、さらには『ワイルド・スピードX3 TOKYO DRIFT』と、学業の傍らで女優としての道を順調に歩み続けているかに見えたが、

日本でも、実は私は一人でやってきた訳じゃなかったんだって気付かされました。実家の家族や友達、事務所の方たちの支えなど、何かあったら守ってくれる人たちがいて、私は毎日生きてきたんだなって。

 反省した彼女は「大人になるために失敗と勉強の毎日」である大事な時期をblogに残していこうと思い、ブログを始めたのだという。

 翌日の深夜には早くも2本目の記事を投稿。

今日は雑誌『SEVENTEEN』の表紙撮影と取材でした♪

『SEVENTEEN』という雑誌タイトルが彼女の若々しさを感じさせる。

 しかしその翌日、北川は“大人になるために”大きな行動に出る。

いよいよ明日はアメリカに発ちます!(中略)次に更新するときはアメリカからです。楽しみに待っていて下さい!

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 女優ではなく明治大学の学生として、2ヶ月もの間、語学留学をしたのである。この期間のブログは、アメリカでの様々な出来事が綴られるのはもちろんだったが、それと並行してコメント欄に寄せられた読者からの質問に積極的に答えていたのが印象的だった。例えば、

P.S. どこかに猫派か犬派か質問があったと思いますが、私は動物アレルギーなのです。(中略)ちなみに猫派です。
P.S 質問があったのでお答えします。落ち込んだときは…とことん落ち込みます。私は自暴自棄になってよく家で泣きます。笑 落ち込むのはいいことですよ、そうやってみんな大きくなっていくのだ! さぁ、一緒に泣こうではないか♪

 こんな感じで、ブログ記事のP.S.扱いで読者からの質問に答えるというサービス精神を持ち合わせていた。

 そんな彼女がある日、「10年後の自分はどうなっていると思うか」という質問にこう答えた。

10年後かぁ…29才か30才ってことか…。今はそんなに結婚願望ってないけど、二十代後半で考え方が変わって、かけこみで結婚して…子どもがいそうですね。
この仕事は続けてるのかな…? もし続けているなら、信頼できる仲間たちと楽しく仕事していたい。せっかく今大学で商業や経済を学んでるから、もしかしたらそれをいかした職業についてるかも。今大学で専門に学んでる分野が楽しくてそっち方面も真剣に勉強するつもりです。芸能界ばっかが自分のすべてってなっちゃうのは今はまだ早いと思ってるから、将来は本当わかんないな。とにかく今は仕事も勉強もして、将来の選択肢を広げて行きたいな。

 皆さんご存知の通り、本当にこの10年後に某ウィッシュの人とゴールインすることになるのだから感慨深い。そして14年後には無事に子どもも生まれることになるとは、この時の彼女は思ってもみなかっただろう。

 そして仕事については、当時はまだ女優として食べていけるかどうかも“神のみぞ知る”状態。希望と不安の間で生きる19歳のありのままが書き残されていた。

 その後もピアノや水泳、書道を10年くらい習い続けていたこと、17歳でスカウトされたこと、例え役者でなくとも何らかの形で映画に携わりたいから商業と経済を学んでいること、悩みはいつも母親に相談していることなど、留学中のブログからは赤裸々な事実が浮かび上がり、特筆すべきはそれらは全て読者の質問コメントによって引き出されたということである。一方的に発信しているだけのように見えて、ブログは、少なくとも北川景子のブログにおいてはファンとの双方向コミュニケーションツールとして有効に活用されていた。

第2章 大学生の北川景子が思うこと

 4月に帰国し、大学2年生になった北川。その後もほぼ毎日ペースでブログを更新し続けていた。そして5月9日。

『タイヨウのうた』の試写会に行ってきました!

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 この映画で号泣した彼女は、自分のこれまでの人生を重ねていた。

小学校2年のとき震災で友達や色んな物を失ったとき。小学校3年で交通事故に巻き込まれて死に掛けたとき。学校でイジメにあったとき。中学受験で第一志望に落ちたとき。仕事を始めたものの思うようにいかず、苦しくて、悔しくて、しんどかった最初の2年間。芝居が出来ない自分に苛立ち、遅くやってきた17・18のひどかった反抗期。何回もめげそうになった大学受験。思い返せば、いつだってツラいときは両親がそばにいて支えてくれていたと思う。

 その後も大学と女優の仕事を並行し続け、プライベートでは英会話や読書、時には映画をたくさん観るなどして演技の勉強もしつつ、時は流れ8月5日。

昨日は戦士5人の同窓会でした♪ 奇跡的に5人のスケジュールが合って、1年半ぶりの全員集合。プリクラ撮って、写真撮って、ご飯食べて、夜は北川選手の家に集まって3時間延々しゃべってました!笑

 ドラマ版『セーラームーン』の主要キャスト5人が再び集った。その中には現在も女優として活躍する泉里香(当時の芸名は浜千咲)の姿もあった。



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 二十歳の誕生日を経て9月15日、『SEVENTEEN』の専属モデルを卒業したことを報告。

今までの慣れ親しんだ場所を巣立って、新しい目標に向かって歩き出すということは、希望とエネルギーにあふれている反面、とても不安でつらくもあります。何か新しいことを始めることは、いつだって不安と隣り合わせなんだな、と痛感しています。でも今まで3年間モデルで培ってきたこと、編集部の皆から教わったこと、ファンの皆様の応援を糧にして、これからは役者を目指して前に進んで行こうと思っています。

 また、同じ日の別の記事にはこんなことも書いていた。

私も高校の頃は、「大人」と区分される人間に頭ごなしでモノを言われるのが耐えられなかったし、友達なんて所詮他人で、頼るもんじゃないって思ってました。
人には頼らない、他人は信じない、この世の中は腐ってる、自分はいつだって死ねる。
そういう風に思っている17のころの私みたいな子たちが、今もたくさんいると思います。
私はもう20になって、大人の仲間入りをして、人は一人では生きていけないもの、最初から閉ざさないで自分から開くこと、信じることが大切。
そう考えられるようになっています。
(中略)
今死にたい子たちは本当にしんどいだろうし、気持ちはすごくわかる。
だから無理に止めないし、リナみたいにいきなり変われとは強要しません。
でも時間がたったらわかる事ってあると思うんです、本当に。
生きてればしんどいけど、でもたまに楽しいこともある。
後から「なんであんなに悩んでたんだろう」って思うときがきっと来ます。

理由もなく病気で命を奪われる人もいます。
今しんどい子たちにも、できれば死ぬ勇気より、生きる勇気を選んでほしいです。

 その後も、喜びと楽しみと笑顔の写真ばかりが溢れる日記の中に、時折、内に秘めた本音が垣間見えるようになった。例えば10月1日。

『早送りの人生』という本を本仮屋ユイカちゃんに借りて読んだ。
この本は、ALS(筋萎縮性側索硬化症)にかかった方の手記。
一気に読んだ。

私って、ここのところ色んなことに悩んでいたし、イライラしてたと思う。

演技が思うようにできないこと。
勉強がクラスの皆より遅れ気味なこと。
胸が小さいこと。
人に誤解されやすいこと。
一日が24時間しかないこと。
…たくさん。

でもこの本を読んで、すーっと全部消えていった。

仕事が出来ているということ。
勉強が出来る環境にいるということ。
胸は控えめだけど五体満足だということ。
人と接することが出来るということ、意思表示ができるということ。
一日24時間という時間が与えられているということ。
見えること。
話せること。
触れること。

…キリがないけど、私には出来ることがたくさんあって、
私は生かされているということ。
普段意識していないたくさんの『出来ること』に
もっと感謝しようと思った。

 2007年1月7日。

統合失調症になると、いままで当たり前に信じて来た自分の社会的地位や場所、親友・恋人のような大切な存在がいきなり幻覚だったと突き付けられることも珍しくありません。
たまにわたしも思うことがあります。大切な人が幻覚だったらどうしようかと。
わたしの人生の柱になっているものの全てが幻覚だったら。
もともと全てが幻覚みたいに馬鹿げて腐った世の中に生きているわたしなんだから
こんな仕事も学校もニンゲンタチも時間も全部幻覚になったって構わない。
街や電車やそこらじゅうでニンゲンタチが話す話も全部幻聴で構わない。
むしろ全て幻覚や幻聴になってしまえばいいとすら思う。
だけどわたしは家族や大切な人たちだけは実在してほしいと願う。
大切な人が幻覚だったらわたしはもう存在しなくていい。
大切な人が幻覚だったならその幻覚が一生覚めなければいい。
大切な人の声が幻聴であったとしてもずっと耳を傾けよう。
そんな辛い現実なら壊れればいい幻覚の世界で生きればいい幻聴に身を委ねればいい
だから幻覚でいいからそばにいて
そう思う。

 3月5日。

あと最近、ワールド・トレードセンターを見ました。
なんだか助かった家族だけが最後まで中心に描かれてて少し残念だった。
生き残った湾岸警察の方々はもちろん素晴らしいと思うし
勇士は十分に描けていたけど
あの日亡くなった方々に捧げる映画としては
もっと別の描き方、もしくは終わり方があったと思う。
見終わった後も色々考えたけど、
運命の分かれ道ってどこから分かれるんだろう。
今までどれだけ真面目に生きてきたかとか、どれだけ頑張ってきたとか
そういうことも全く関係なくって
一見無差別にランダムに運命は降りかかってくるように思えるけれど。
自分はこれからどれくらい生きられるんだろう。
残された時間でわたしは何をするべきなんだろう。
自分は誰か、あるいは何かの役にたてるのだろうか。
どうすれば自分の存在価値を見出せるんだろう。
自分がどうして今生きているのかわからない。
自分が今何をすればいいのかわからない。
久しぶりにプレッシャーに押しつぶされそうになった。

 4月15日。

なぜだか最近ふと携帯逆パカしたい衝動にかられます。笑
家で一人で本読んだり、オフだし予定は無いけどなんとなく静かに家で過ごしたかったりする日には、携帯が鳴らないことを切に願う。
携帯があるから常に誰かとつながってられるけど逆に言えば、呪縛。
これは束縛だ
いまヒマ?とかなにしてる?とか最近元気?とか
恋愛はどう大学はどう進級できそうなの仕事はどうblog読んでるよ良ければ来週御飯でもさっき新宿にいた
イマドコデナニシテルノ
誰からも逃げられない感覚
常に誰かから生活を探られてる感じ。
私は誰からも縛られたくないし携帯はその道具じゃない
(中略)
そんな時は外にいてもiPodを大音量で聞いて喧騒も人の話し声も携帯も
何も聞こえないようにするんだ
そうすればただぼんやりとした、そわそわした不安が消えるから
(中略)
とにかく春ってなんか新しい顔ぶれ、教科書、年度…馴染めない真新しいものたちで自分自身が埋もれそうで、葉桜が連想させる時の流れに焦らされて
いろんなことで不安になるよね。
不安になるけど頑張るんだよね。
自分、強くあれ
頑張ろう。

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 その後、6月9日の投稿を最後にブログの更新は途絶え、7月15日にブログは全て削除されてしまった。

 約1年後の2008年5月30日に、オフィシャルサイト内でブログを再開することになるのだが、それは次回、シリーズPart2にて。

(つづきはこちら)

(※文中のブログ記事はファンの方がまとめていただいたコピーサイトより引用しています)

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