見出し画像

北川景子、SEVENTEEN撮影から第1子出産まで~本人のブログで振り返る14年半(3)

今日はいよいよ待ちに待った
花のあとの公開初日でございます!
天候に恵まれたおかげで花粉も元気が良すぎて
私は最悪なコンディションです(笑)
朝の生放送を終えて、今は初日の舞台挨拶の出番を待っています。
何度やっても緊張する…上手くいきますように。

 2010年3月13日。北川景子のブログ更新と共に、彼女が主演を務める映画『花のあと』が公開された。この日を迎えるまで、練習期間を含め足掛け1年半も費やした。初挑戦の殺陣、役作りの苦悩、そして主演の責任感とプレッシャー。あらゆる困難を乗り越えた先に彼女が見たものとは――。

 女優として虚構を演じ続ける一方で、web上に文字と写真で残す本来の姿。これは、北川景子の女優人生をブログのみで追いかけるシリーズ企画である。Part3となる今回は、初の時代劇主演作品が公開されるまでの軌跡を振り返る。

(Part1、Part2はこちら)

第5章 映画『花のあと』公開までの記録

画像1

5-1.クランクインまでの長い道のり

 事の始まりは映画が公開される1年半も前の、2008年10月8日まで遡る。

今日は殺陣のレッスンをしてきました!
来年演じる役のために先月から練習用の刀を使ったレッスンを始めました。
1週間に1回くらいのペースで今はやっています
すでに両方の手のひらにマメができてきました!
元来体を動かす事はあまり好きではないのですが、殺陣はかなり楽しんでやっています。
役の為に何かを本格的にレッスンをするのは初めてなので、なんだかわくわくしています。
クランクインまでにまだ時間もあるのでコンスタントに続けたいです!

 当時、北川はまだ大学生だった。女優歴5年になる彼女も、時代劇の仕事は初めてで、当然「殺陣」も一から稽古をすることとなる。

 まだ作品名など詳細は明かされていないが、その後もブログには「殺陣」や「所作」の話が時折出てくる。

(11月15日)
最近は殺陣稽古に加えて所作の稽古も始まり、稽古づくしの日々です。
殺陣のおかげで脂肪しか無かった体に筋肉がついてきました。
目指せ肉体美。
所作の稽古を初めてやってみて感じた事は
お茶の一杯を運んで出すだけの事がどうしてこんなにまどろっこしい動作になってしまうんだ? ということです。
立ち方、座り方、歩き方、扇子の扱い方、お茶の運び方、挨拶の仕方、
ふすまの開け方…
とにかく動作すべてに決まりがあって気が遠くなりました。本当に。

画像2

(12月15日)
どんどん寒くなって来たと思ったら
早いものでもう12月も半ばですね。
私は相変わらず、所作と殺陣の稽古を頑張っています。
木刀を使う時と竹光(練習用の刀)を使う時では
足の運び方や刀のさばき方が違うので覚える事がたくさんあります。
これまで何気なくテレビや映画で見ていた殺陣が
本格的にやろうとするとこんなに難しいとは知りませんでした。
幸い、だんだんスランプからは抜け出しつつあります!
代わりに所作がスランプです。
まだ着物の歩き方ひとつ満足にマスター出来てません!笑
一難去ってまた一難・・・
撮影までには全て間に合わせねば。
決して楽ではないけど、役の為にこんなに一生懸命に特訓したことは
今までに無いので楽しんでいます。
自分に無いもの、自分に出来ない事を一つずつ
身につけていけたら良いな、と思っています。

画像3

(2009年1月14日)
新しい年を迎え、去年に引き続き殺陣の稽古が始まっています。
殺陣はだんだん体に馴染んできたようで、すこぶる順調です。
袴も時間はかかりますが自分で着られるようになりました。

 そして2月27日。

今日は次の映画の衣装合わせでした。
昨年の9月末からずっと殺陣の稽古をしているのはこの作品のためです。
袴に鉢巻き・・・ずいぶん凛々しいです。
袴の他に着物もたくさん合わせてきました。
着物を着る役は初めてなのでわからないことだらけですが、
現場に入るのが今から楽しみです。

 殺陣の稽古を始めてから約5ヶ月。ようやくクランクインに向けて本格的に動き始めた。

最近では殺陣の稽古が週に3回に増えて、
筋肉痛が治りきるのを待たずに次の稽古の日がやってきます。
今年に入ってからは打ち合いのスピードもどんどん早くなってきて、
なかなか体がついて行かず、毎回2時間の稽古が終わると息も絶え絶えです。笑
撮影に入ると一日中立ち回りをすると思うとぞっとします。
でも、頑張っています。
来月からは実際にキャストの方との打ち合いが始まるので
今月中にきっちり型を頭に入れて完璧にしなくてはなりません。
マネージャーに稽古の様子を必ずビデオに撮ってもらい、
毎日家でその映像を見ながら
自分の悪い癖や出来ていない所を研究しています。
まだまだ完璧からは遠いです。
もっと上手くならなくては。

 しかし、現実は彼女の思うように上手くは進まなかった。

(3月10日)
数日前の殺陣稽古が終わった時先生に
『今日は慣れてきたからか全然動きに緊張感が無かった。以前はあったメリハリが無い。技術は備わったのに、それに頼っていて型が流れてしまっている。先月のほうが数段良かった。』
と、指摘されてしまったことです。とてもショックでした。

前進したくて毎日少なくとも1時間~2時間自分が練習している映像を見たり、先生のお手本のVTRを見て研究していたのに・・・
まさか後退してしまうとは思いませんでした。
(中略)
"慣れ"とは怖いな、と思いました。
初心忘れるべからず、我慢心する事なかれ。
シェイクスピアの言葉。
『神々は、我々を人間にするために、何らかの欠点を与えるのだろう。』
(「アントニーとクレオパトラ」第五幕第一場よりー)
・・・ならばその欠点、ありがたく受け入れようではないか。
しかし必ず克服してみせよう。
弱い自分、出来ない自分に勝ってやろうと思う今日この頃。

画像4

 彼女のスランプは続いた。
 約1週間後の3月18日。この日は『実際に着物を着てかつらをかぶりメイクをした状態での共演の方々との芝居と殺陣のカメラテスト』が行われたが、どうやらそこでも失態を犯してしまったようだ。

何をやっても思うようにいかず、元々無かった自信をさらに喪失した1日でした。
時代劇の難しさをまざまざと見せつけられたような気がします。
よくもまぁこれまで自分は平気で映画に出続けていたな、と
これまでの自分の役者人生まで否定しそうになるほど
自分の出来なさ加減にやるせなくなりました。
(中略)
これまでの自分には所作や殺陣の稽古の比重が大きすぎて
芝居のことや写り方の部分にまで気が回っていなかったように思います。
やらねばならないことがまだまだ沢山あるということに気がつきました。
カメラテストでは恥をかいてしまったけれど、この屈辱をバネにしたいと思います。
屈辱を感じられるということ、悩み苦しめるということは、幸いであると私は感じます。
それを感じられるということはまだ成長の余地があるということだと思うので。
それを感じられたという意味では、カメラテストをやって本当に良かったと思います。
改善の余地あり。
気がつかないままクランクインを迎える事にならなくて良かった。
ひとまずインまでまだ10日ほどあるので片っ端から時代劇を見て研究したいと思います。

 その日の夜、北川は本当に時代劇の映画を観て、自分の芝居に似ている部分のシーンを何度も繰り返し見るなど、演技の研究に没頭するのだった。

自分が何をすれば良いのかわからないときは、とにかく思いついたことから闇雲にやるしかないと思い、人の真似をすることにしました。
幼少期に習っていたピアノやスイミングで新しいステップに進む時も、確か先生や既にその技を身につけている人の模倣から入った事を思い出したからです。

 幼少期から約10年習い続けたものの中途半端な結果に終わったピアノと水泳が、ここに来て役に立とうとしていた。人生に無駄な時期なんて無いのだと、彼女はブログを通じて教えてくれているのかもしれない。

5-2.映画撮影中に語った本音

私は大学を卒業してさっそく映画の撮影に入っています。
昨日までは茨城でロケをしていました。
季節的には春ですが着物の撮影はまだかなり寒いです。
初めての時代劇なので緊張してしまって
インの前日は一睡もできませんでした。
(そして一睡も出来なかったけど初日から立ち回りでした・・・)
でもいざインしてしまうと
そうした不安や緊張は自然とどこかにいってしまうもので、
今はもうその日撮影するシーンを全力でやりきることしか考えていません。

 2009年3月29日、大学卒業後初の仕事となる『花のあと』がクランクインした。殺陣の稽古を始めてから実に半年、やっとスタート地点に立つ。

大変な分、得る事もたくさんある現場なので
これまでの自分の役者人生の中で最も思い出深い現場になりそうです。
悔いの残らないように頑張らないと!

 課題は山積みだが、もう現場で解決していくしかない。

画像5

 撮影真っただ中の4月14日。いくら中略しても一向に短くならない、これまでにない長文が投稿された。

この作品に入ってから、自分の役や作品に対する気持ちが変わって来たように思います。
以前の私は『役や作品を通じてお客さんに喜びや感動を伝えたい』という気持ちはもちろんあるのですが
それよりももっと強かったのが『自分とは全く違う名前や人格を持った人になり自分とは全く違う別の人生を生きたい』という気持ちでした。
(中略)
役を演じている時は『自分ではない誰か』なので不思議と大胆になれたり普段の自分なら絶対に取らない行動も抵抗無くとれました。
『北川景子』では無い人生を生きることができました。
そういう『自分ではない誰か』の存在に頼る事で自信を持てるような気さえしました。
(中略)
そうして演じ続ける事で一時的な自信や存在意義を感じながらも根っこの部分では逆に以前より北川景子に自信が持てなくなっていきました。
役の力を借りない時の自分はちっぽけで、価値のない人間だと思うようになりました。
それでもまた自分を忘れる為に、一つ作品が終わるとすぐに次の作品を求めるようになりました。
そうして本当の自分を見てみぬふりをして5年ほど経ちました。

それがなぜか今回の作品に取り組むようになって、180度変わりました。
こんなコペルニクス的転換が自分に起こるとは思いませんでしたが。
プロフェッショナルばかりが集まる時代劇の現場で毎日厳しい要求をされることで鍛えられ、もっと良い演技がしたいと毎カット思うようになりました。
自己満足の為ではなく、間違いなく見てくださるお客さんのためという気持ちが今は100%だと思います。
映画に対する熱い情熱を持ち、皆で一つの作品を作り上げているという結束力、団結力の強い組で撮影をしていると、
演出部・制作部・撮影部・メイク部・衣装部・照明部・録音部・・・各々がプロフェッショナルで自分の仕事に誇りを持っていて、
でもお互いに尊敬しあい、認め合い、協力し合い、全員が最高の作品を作るという高い意識を持って働いていることを感じました。
そういうプロフェッショナルの集まりの中で俳優部として、作り手の一員として、監督のために働いているということが自分の自信と誇りに繋がりました。
いまは毎日の撮影が楽しくてたまりません。

 テレビやスクリーンに映し出される彼女は、北川景子ではない仮の姿。web上に3年間残し続けてきたログこそが北川景子の本来の姿。それをずっと好きになれなかった自分。時代劇の撮影を通して初めて「本当の自分」と向き合い、考え方は大きく変わっていった。

今は北川景子も少し好きになってきました。

 その4日後には「撮影には随分慣れて来て、毎日楽しんでやっている感じ」と綴るほどには役を自分のものに出来ていた。追い込まれてこそ人は力を最大限に引き出せるのかも知れない。

(4月22日)
これで今やっている映画のロケは全て終了です。
半年かけて練習してきた殺陣も全て終わりました。
山の中で草履を履いて立ち回りをするのが思ったより難しかったのと
前日に雨が降って足場が良くなかったのとで
"道場で練習してた時の方が上手くできたのに・・・"
という悔しさも少しありましたが
半年間練習してきたものが形になった喜びと
その時出せる力を全部出し切ったという自負はあるので
今は感無量です。
なによりスタッフもキャストも誰1人怪我等することなく
無事にロケが全編終了してほっとしました。
ゼロからのスタートだったにも関わらず我慢強く私を指導して下さった
殺陣の先生に心から感謝したいと思います。

画像6

 クランクインから約1ヶ月、ついに外でのロケを終了。残すはスタジオセットでの撮影のみとなった。

(4月25日)
セットも順調に撮り進んで、あと3日ほどでクランクアップです。
(中略)
作品には恵まれて来たので周りからは順風満帆のように思われることが多いですが、
実際は力が追いつかなくて自分の中では毎回必死でもがきながらやっているので
作品に入る前も、入ってからも、撮影が終わってからも、
初日の舞台挨拶をして皆さんの手に作品が渡るまで、
結構悩み苦しんでいます。
もっと上手い人だったらもっと余裕で出来るんだろうな、とか
もっと上手い人がやればもっと良い作品になったのかな、とか
ネガティブになったりもしますが
その悔しさをバネに頑張れたりしている所も大きいので
やっぱり悩めるのは良い事だと思います。
今回の現場のプロデューサーさんがよくこういう事を言います。
「一生懸命、無我夢中、それがあたりまえだ」
「悩むのが普通、満足したら役者はおしまいだ」
「ついたり離れたりするのがツキ、一回ついたら一生離れないのが運。
作品に恵まれてきたのは君自身の持つ強運だと思うが
それだけじゃ意味が無い。
それをどう生かせるか、どう使うかは本人次第なんだから。
わかるな?」
「綺麗な女はいくらでもいる。でも良い女ってのは少ないんだよ。
後者にならないと駄目だな。」

 そして4月29日、その時は訪れた。

昨夜、クランクアップしました。
初めての時代劇で不安やプレッシャーでいっぱいで
激しい不安に打ち勝とうと半年間、殺陣や所作やお茶の稽古を頑張ってきました。
(頑張るのは当たり前ですが。)
そうして頑張っている中でも自分の力の限りを感じる時が度々ありましたが
その度に監督・プロデューサー始めスタッフの皆さんや先生方が
根気よく指導し、暖かく見守り、支えて下さったので
最後まで撮影を乗り切ることが出来たのだと思います。
地方ロケやアクションシーン等大変なシチュエーションの撮影も多かったので
共演の方の誰かがアクションで怪我をしたりしないか、
足場の悪い山の中に重いカメラや撮影機材を運ぶのに
スタッフの誰が怪我をしないか、
セットの組み立て中に事故が起こったりしないか、
タイトなスケジュールでスタッフの誰かが倒れたりしないか・・・
撮影期間中はずっとそんな事を考え心配し気が気ではありませんでした。
イン前にお祓いをしているとはいえ
このクルーが皆無事でアップできますようにと、ずっと祈っていたので
毎日撮影が終わるたび
「今日も無事に終わって良かった・・・」と思っていました。
それが昨日クランクアップして、
正直に安堵の気持ちでいっぱいになったというか
半年間ずっと緊張して張りつめていたものがプツンと切れたようで
肩の力が抜けて脱力しました。
皆で無事に撮影を終えられて本当に良かったです。
家に帰ると緊張が解けてどっと感情が解放されて1人で泣きました。笑

 まだアフレコが残っているとはいえ、『花のあと』の撮影は終了。全ての努力と困難と不安とプレッシャーは、この喜びと安堵と感謝、そして涙の為にあったのだろう。役者としての技術はもちろん、心情や考え方も大きく変化し、北川景子の女優人生の分岐点とも言える作品となった。

画像8

5-3.情報解禁から公開まで

 クランクアップしてから約3ヶ月後の2009年8月5日。

今日は皆さんにお知らせがあります!
「花のあと」という映画に主演させていただきました。
この映画は藤沢周平さんの同名小説を映画化したものです。
私にとって初めての時代劇への挑戦となりました。

 ここで初めて映画のタイトルと詳細が発表されたことになる。公開は翌年の3月。まだ取材やテレビ出演などのプロモーション活動が残されていた。

画像7

(10月8日)
今日、映画『花のあと』の完成報告会見に出席してきました!
撮影から半年経って、約1分の映画の予告編を会場で見て
あぁ、いよいよ始まるなぁとわくわくした気持ちになりました。
出演者それぞれが色紙に字を書いたのですが、
私は「美」という字を書きました!
初号を見終わった後に
ストーリーの美しさ、音楽の美しさ、
作品の舞台となった山形・庄内地方で撮影をしたシーンの景色の美しさ、
色んな美しさのある映画だなぁと思ったので
その時の感想を一文字で書いてみました。
(2010年1月20日)
久しぶりの更新になってしまいました。
最近は映画『花のあと』のキャンペーンの取材や、
広告の仕事をしていましたが
忙しい時に比べると比較的に自由な時間を持つ事が出来たので
空いた時間にはジムに行ったり
好きな本を読んだりしていました。
(1月27日)
昨日は花のあと一色の長い1日でした。
まず午前中に原作者の藤沢周平さんのお墓にお参りをして、
その後いくつか取材をして、夕方から完成披露舞台挨拶をしました。
お墓参りでは監督、プロデューサー陣、脚本の長谷川さんと、
完成披露では中西監督、甲本雅裕さん、宮尾俊太郎さん、國村隼さんと
ご一緒させていただきました。
久しぶりに花のあとのメンバーが集まり、
慌ただしくインタビュー等を受けていると
いよいよ公開が近づいて来ているんだなぁと実感しました。
(2月8日)
今日も雑誌や新聞等の紙媒体をやってきましたが
まだまだ取材は佳境です。
多分このまま行くと花のあと関連で受ける取材数が・・・
150媒体ほどに到達しそうです。
映画をやるたびにキャンペーンは必ずやっていましたが
今回は特に沢山やってるなぁ~という印象なのは
久しぶりの主演作なのと
作品が時代劇だけに、難しい質問や深い内容の質問が多くて
取材の度に毎回頭がフル回転で
ものすごいエネルギーを使っているからだと思います。
映画のキャンペーンだと
こちらとしては同じ質問を何度も受ける事になりますが
媒体さんにとっては初めて質問しているので
毎回初めて取材を受けた時のような気持ちで受け答えすることと
他の媒体と答えが同じにならないように
ちょっとずつ話す内容を変えるように心がけていますが
さすがに最近内容がかぶってきてしまっていて
申し訳ないなぁ~という感じでした。
どうやったらもっと頭の回転が早くなれたり
話上手になれたり
語彙を増やすことが出来るのか?というのが
最近のもっぱらの悩みです。
大学を卒業してから必死でレポートを書いたり
死にものぐるいでテスト勉強をしたり・・・
ということが無くなったので
たまに取材や舞台挨拶で何かを考えながら話す時に
なんだか脳の機能というか働きがだいぶ低下したように感じます。
言いたい事が頭の中にあるのに言葉が出てこなかったり。
ちょっとまた脳を鍛えなくては。
継続的に使わないとダメですね。

 その後もキャンペーン活動で地方に飛んだり、テレビのバラエティー番組で番宣するなど、怒涛のプロモーション活動は続いた。そして、

――2010年3月13日、映画『花のあと』公開――

 その2日後、テレビの生放送出演をもって、全てのプロモーション活動は終了した。

一昨日のいいともで、
花のあとの全てのプロモーション活動が終わりました。
準備期間を含めて約1年半、
花のあとという作品に関わって来て
毎日宣伝部の方々と一緒に怒濤の宣伝活動をしてきたので
もう宣伝部のKさんやTさんやMさん(なぜかイニシャル)と
会わなくなるということが
すぐには理解出来ませんでした。
初日の舞台挨拶後に簡単な打ち上げがありましたが
そこで皆さんにご挨拶するうちに色々な想いがこみ上げて来て
涙してしまいました。
あぁ、本当に終わるんだなぁと思うと
最初に殺陣の練習で刀を握った時の事や
なかなか上達しなくて所作の先生を困らせてしまったこと、
撮影時に結髪さんやメイクさんや衣装さん等のスタンバイチームが
色々な身の回りのケアをしてくださったこと、
プロデューサーの方に教わった教訓、
色々なことが思い出され
不甲斐ない自分を支えてくださったのは
周りの皆さんだったと痛いほど感じました。
時代劇初挑戦の私をキャスティングし、
最初から最後まで温かく見守ってくださった皆さんに
感謝の気持ちでいっぱいです。
3月13日から映画花のあとは私たちの元を離れ、
お客様のものとなりました。
あとはたくさんの方々に見て頂けることを願っています。

画像9

 主演女優が一つの映画を完成させるまでの、練習期間やプロモーションも含めた一部始終。その過程での不安や葛藤、その先の喜びと涙。全てをありのままに文字で残していけば、映画本編とは別の「もう一つのドラマ」が出来上がる。

 女優・北川景子の人生を、次回もブログのみで追いかけていく。

(Part4につづく)

(※文中のブログ記事はコピーサイトより引用したものです)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?