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特別支援教育の「特別」ってどういう意味なのか?

日本の教育システムは、明治時代に制定された学制以降ほとんど変わることなく一斉指導を貫いています。
先生が黒板の前に立って授業を行い、
児童は全員、黒板の方に向かって座って授業を受ける
という昔ながらのスタイル。

多様化・ICT時代の到来と言われながらも、
この一斉指導というシステムそのものが
ほとんど変わってない日本の教育。
このシステムが負の財産となり、

特別な支援を必要とする児童の増加、

不登校児童の増加、


教員不足、休職する教員の増加などなど、
現在の教育現場に簡単に解決することができない大きな課題が山積みになっています。

そんな一斉指導スタイルを継続する日本の学校現場は、
閉塞感が漂い混沌とした状態となり、特別な支援を必要とする子も年々増加しています。

「特別な支援」という言葉がよくつかわれるようにりましたが、ではなぜ特別な支援が必要なのか?

一斉指導をしているからです!
個別指導ができれば、「特別」でなく「個別」になるはずです。


とはいっても、残念ながら現状では、集団生活及び一斉指導による学習を基本としていることを前提に考えていかないといけません。

その集団生活や一斉指導の中ではうまく適応できな子がいた場合、
他のみんなと同じように生活、学習できるようにしてあげる必要があります。

なぜなら、社会で生きていく上で規律は必要だからです。
社会人になると「規律性」を身に付けていることが求められます。

規律性とはルールや約束を守り、状況に応じて自らを律する力です。

規律性を身に付けるときに気をつけなければいけないのは、主体性を失わないことです。ルールやチームの和を意識するあまり言われるがままに行動してしまうと、主体性のない人物になってしまいます。

こうなることを防ぐためにはルールや約束を与えられたまま何も考えず受動的に守るのではなく、なぜそのルールがあるのか、どうして約束を守らなければならないのかを理解することが必要です。

インターンシップガイドより

経済産業省も社会人に求められる要素の一つとして「規律性」をあげています。

ですが、学校で実際に使われている学習規律は、一般社会で必要とされる規律性とはかけ離れています。

学校で身に付けさせようとしている規律性は、ルールや約束を守ることを受動的に守ることだけを徹底させているのです。

では、特別に支援を必要とする子にはどのようなタイプの子がいるのでしょうか。大きく分けると3つあります。

1つ目は、一斉指導の中では教師の指示を理解できない子、
2つ目、授業や学校のきまりが守れない子、
3つ目は、集団生活の中で友達とのトラブルが多い子です。

学校生活では、学習や生活、友達とのかかりなどがうまくいかない子たちがいます。
表面的には、一見「怠けているのかな」「自分勝手なのかな」と見えてしまったり、「屁理屈」を言ってるように聞こえたりすることがありますが、子供の側からしてみたら、自分なりの理由があります。
例えば、集中したくても別の刺激に気が向いてしまう。
チャイムが鳴ったのはわかるけど切り替えがうまくできない。
ガマンしたいのに自分の衝動をおさえることができない。
仲良くしたいのにうまくかかわれない。
など多種多様にあります。

そうした理由がもとになって全体の指示についていけなかったり、席を離れたり、友達に手を出したりしてしまうこともあります。
このような場面に遭遇した時、私たちは
「どうしてかな」
「何か困っているのかな」
と子供たちが出すサインを大切にし、校内で情報を共有しながら支援のあり方を考えることが重要です。

一斉指導を基本とするが故に、特別な支援が必要になってくるのです。

早くこの「特別」という言葉がなくなって欲しいと願います。

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