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#66 日常生活で感じる左利きの不便さとは?多数派社会の視点

裁ちばさみは使えない。
レードルでスープをいれるの困難。
食事にいくと、左の人と腕があたって食べにくい。
毛筆で字をうまくかけない。
急須でお茶を入れるの大変
自動販売機に小銭入れるの面倒
自動改札がタッチするの面倒
出刃包丁は使えない。
定規で線を引くのが大変
ドアをあけるの面倒

これは、左利きの人ならわかると思います。
全部、左利きだとできないことや面倒なことです。
もちろん、すぐに思いつくものだけを列挙したので、もっとたくさんあります。
日常生活の中にこれほど左利きにとって不便きわまりないことをご理解いただけたでしょうか?
そういう私も左利きです。
子どもの頃、左利きに矯正させられたようですが、かなり抵抗があったので、親が断念したようです…

他にも、
食事をしていると、
「えっ、左利きなの?」
野球をしていると
「サウスポーなんだ。いいなあ」
サッカーの試合中、チームメイトから
「右で打てよ!!」
と注意をなぜか受ける。

なぜこのようなことが起きるのか。
それはほとんどの日本人は右利きだからです。
右利きという、色眼鏡で見ると、左利きは特殊に見えます。
左利きは少数派だからです。
この右利き多数派社会のあおりをうけて、私たち左利き人は、日常生活の中でかなりの不便を被っています。

日常生活の不便さは相変わらずですが、今では、左利きということに対する偏見はほとんどありません。
ですが、40年位前までは「ぎっちょ」という言葉が使われていたように、偏見があったのは間違いありません。

日本人は昔から、多数派に所属していることで安心感を得られる民族だったと言えます。
それは右利き社会が大きく寄与しているように思えてなりません。

この右利き社会が「ふつう」という言葉を生み出したのではないかと考えています。

改札などは左利きも右利きも使いやすい改札を作るのはむずかしいので、多数派の右側にタッチ部分を設置しています。
もし仮に、タッチせずに通過するだけになれば、右利き、左利きを超越することになります。
いつかこのような社会になればいいなと願っています。

教室にこの多数派社会を持ち込むと少数派の子たちは追い詰められることになります。

少数派の子たちの支援も大事ですが、一番に取り組むべきことは多数派が少数派の気持ちに寄り添えるようにすることです。

学校においては、このような学級経営を実践していかなければならない時代になったと言えます。

参考になる方がいたら幸いです。


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