学級崩壊の恐怖に縛られた教育現場:画一的な規律が子どもたちの個性を奪う
学習規律は学級経営上、大切であることは間違いありません。
ですが、学習規律を理由も考えさせずに、一方的に守らないといけないという押しつけがましい指導を徹底していることが問題なのです。
社会で生きていく上で規律は必要です。
社会人になると「規律性」を身に付けていることが求められます。
経済産業省も社会人に求められる要素の一つとして「規律性」をあげています。
ですが、学校で実際に使われている学習規律は、一般社会で必要とされる規律性とはかけ離れています。
学校で身に付けさせようとしている規律性は、ルールや約束を守ることを受動的に守ることだけを徹底させているのです。
「どうしてチャイム着席するの?」
→生活のきまりになっているからです。
→座っていないと先生に怒られるからです。
といったように、
子どもたちの中に、1ミリも主体性が存在していないのです。
受動的にルールを遵守することを、美徳と考える古い考えをもつ人がいるからこのような事態に陥るのです。
このような古い考えをもつ人たちに共通して言えるのは、特別支援教育の理解がないことと、物事の本質でなく、表面的な現象面だけでしか判断することのできない人です。
見えないことに物事の本質があることに気づいていません。
また、自分の指導に都合のよいことだけを正義をしている人でもあります。
そして、挙句の果てには、主体性を自ら奪っておいて、主体性がないと嘆くのです。
学習規律の徹底は、学習内容に直接関係ないことで注意する機会を増やしてしまい、特に、支援を要する子の学習に関する素直な言動が制約されることがあります。
誤解がないようにいっておきますが、支援を必要とするこが自由に好き勝手していいわけではありません。
自分の考えを素直に話したいと思っていた子供が、新学期から学習規律によって窮屈な思いをし、自分の考えを表現しにくくなってしまっては、授業が楽しくなくなります。
· 特に、
· 姿勢よくしましょう。
· 手をピンとのばしてあげよう。
· 大きな声で発表しよう。
といったような、学習態度に関する注意をうける子供は、学習以前にやる気が失せてしまいます。
姿勢がちょっとくらい悪くたって、いいことつぶやいていたら、その意見を拾ってやり、授業に生かしていけば、全員が無理なく授業に参加できます。
学習規律自体は、学習目標を達成するために必要な手段の1つであるかもしれませんが、やる気が減退してしまっては、本末転倒甚だしいと言えます。
学習の目的は、授業を通して、身に付けさせたい力を全員に達成させることであり、学習規律を全員が守ることではありません。
学習規律を目的にしてしまうと、その規律を守っている子だけが活躍する授業となってしまいます。
学習規律が徹底されると、授業がスムーズに流れているように見えますが、こういった授業で満足している子供の割合は低いと思っていたほうがよいでしょう。
特定の子だけがいつも活躍するつまらない授業ともいえます。
こうならないためにも、規律を守れていない子については、全体でわざわざ注意などせず、個別対応していけばよいかと思います。
ただ、理屈では理解はしていても、いざ学級経営していくと、いろんなタイプの子がいるので、この匙加減が非常に難しいです。
うまくいくときもあれば、いかないときもあります。
ゆえに、クラスにいる支援を要する子がどんなタイプなのかによって、経営方針を組み立てていくことが大切です
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