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人生の勝者って、なんだろう。
アメリカにいると、アメリカの大きさに驚いてしまう。だって、同じ国なのに時差があるんだもの。日本にいる感覚だと考えられらない。平気で3時間とか時差があるから、やっぱり大きな国なんだと思う。
北海道から沖縄に移動しても、時計の針は変わらない。でも、正確には1時間くらいの時差らしいから、そう考えると日本も大きな国だよね。
住んでいる場所が離れているほど文化が変化する。これは、なんとなくイメージがつく。東京と大阪の距離でさえ言葉や食べ物が違うんだもの。北海道と沖縄だって、もちろん、文化が違ってくる。
これがアメリカ規模だったら、さらに変化の幅は大きくなる。なんたって州ごとに法律やら税金やらが違うんだから、もはや別の国だろうと思ってしまうような変化だ。
「南部と北部ではカルチャーも全然ちがうからね。あたしもアメリカに住んで長くなってきたけど、いろんなアメリカ人と接するほど『アメリカは~』なんてことは言えなくなるよ。本当に世界中から人が集まってるからね」
友達は俯瞰するように話した。テーブルの上には、手作りのクッキーとデカフェのラテが並んでいる。やっぱりウチは、どの国に行っても、面倒なことを考えたり話したりするのが好きらしい。友達はウチの質問にイヤな顔せず話してくれる。
「日本人ってさ、アメリカ幻想が強いよね。『アメリカで生活できるようになったら人生の勝者だ』とかさ。幻想もいいところよ。アメリカのことを、どう思ってるんだろうなって感じ」
ウチは頭の中で「アメリカンドリーム」という言葉を浮かべていた。たしかに、アメリカでの生活に憧れる部分もある。それは、どうしてなのだろうか。誰に植え付けられたイメージなんだろうか。
無意識のものが意識下に現れると、自分が少し大人になった気がする。ウチは、紅茶の香るクッキーを頬張りながら友達の話を聞く。
「たしかに賃金は日本よりアメリカの方が高いかもしれないけど、その分、残酷なこともいっぱいあるからね。実力社会であることは前提のもとで動いているし、想像以上に村社会だから。そのクセ、突然、会社をクビになることもあるから人間不信に陥りやすいし。深く関わっちゃうとかなり面倒な社会だと思うよ」
メイクを落としたときのようなリアリティを感じた。アメリカンドリームはたしかにあるのかもしれない。でも、それは『夢』であり、『夢』はいつか覚めてしまう。目を開ければ、突きつけられるような現実があり、みたくないモノがうごめいているのだろう。やはり、移住したからこそ見えてくる景色というものがあるのかもしれない。
「だって外国人が『日本で生活できるようになったら、人生の勝者だ!』とか言ってたら変な感じしない? 別にそんなことないし、勝者かどうかなんて、結局、その人自身の問題だよ」
本当だ。へんな感じがする。考えたこともなかったけど、初めて友達の気持ちと自分がリンクしたような気がした。どこに住んでいるからといって、幸福を測ることはできないし、とうぜん勝ち負けが決まるわけではない。自分の中での価値基準をどこに置くかで変わるのかもしれない。
「お金を稼ぐこと」に重心を置くのか。
それとも「ゆったりと自然の中で生活すること」に重心を置くのか。
「忙しく仕事をすること」「友人や家族とたくさん遊ぶこと」などなど、きっと人それぞれによって価値基準はちがう。
忙しなく働き、どんなにお金を稼いでいたとしても「友人や家族とたくさん遊ぶこと」に重心を置く人ならば、悩むことも増えるだろう。
考えてみれば、友達はウチの訪問を喜んでくれて、仕事を二週間休んでくれた。「有給だから、大丈夫!」と白い歯を見せて笑っていた。それも友達の価値観ということになる。
ウチは、アメリカから友人が訪ねてきたときに、二週間の休みを取れるだろうか。
万が一の時のために有給を溜めておきたいと考える自分はいないだろうか。そして、おもてなしはどうすればいいのかとか、その時の出費についてアレコレ考えてしまいそうだ。
考えるほど、自分がわからなくなる。
勝者って、いったいなんなんだろうか。
ウチって、なにに価値基準を置いているのだろうか。
海外に出ると人生が変わる、なんてことも言う。
でも、やっぱり、ウチは悩んでばかりだ。
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