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遠いところに行きたくなる。


言葉を失うときがある。


それは、たいてい苦しいときだ。どういうわけだか、自分の身に降りかかったことを正直に話せない。素直に「助けて」と言えればいいのに。言葉を失ってしまうのだ。


相手が手を差し伸ばしてきても、なぜだかヘラヘラと笑ってしまって、「大丈夫大丈夫!」と逃げるように顔を背けてしまう。


自分でやるから。できるから。大丈夫。どうせ、ウチのこと笑うでしょう。あざけるでしょう。言っても、受け止めきれないでしょう。責任取れないでしょう。だから、大丈夫。本当に大丈夫だから。


地面を見ながら歩いていると、失った言葉たちが脳内を駆けめぐる。それでもうまく言葉にしきれてしない感じがする。


全部ウチが招いたことだし、どうせウチが悪者にされる。それなのに、わざわざ「助けて」なんて言えないよ。言ったら、もっと面倒になる。だったら、今のままでいい。耐えられないわけじゃあないんだから。苦しいけど、まだ、耐えられる。だから大丈夫。もう、放っておいてよ。


心配してくれる人はいる。「なんでも言ってね」と優しい声もかけてくれる。でも、同時に「アンタなんか恥さらしだ」と言う人もいる。家族の方が厳しく、血のつながりのない他人の方が優しい。それは、責任やプライドの問題なのかもしれない。


コンクリートを裸足で駆け出し、海の向こうを眺めていると、少しだけホッとする自分がいる。ぜんぜん言葉にしきれていないのに、足の裏の感触が、ウチに生きてる実感をくれる。おかげで足の裏の皮は、ずいぶん硬くなった。


親友も、ウチに似てる。本当のことは話してくれない。というより、言えないんだと思う。親友も、言葉を失っている。それだけは分かる。言葉を失った者同士が、戯れている。そうして、一緒にお酒やタバコをのんで、一緒に「快楽」に溺れていく。


なんやかんや楽しいから、いいか。


心の奥底で、そう思えてしまう自分もいる。だから言葉を失っても平気なのかもしれない。一瞬だけでも現実を忘れて楽しめることができるから。


世の中は、現実を見させないための試行錯誤にあふれてる。現実から逃避できる場所がいくらでも用意されている。まんまとウチは、そこへ飛び込む。現実を忘れて、言葉を捨てる。


そう、捨てているのだ。


きっとウチが言うべきセリフは「助けて」ではないんだと思う。「話を聞いて」も、ちょっと違う。言うべき言葉を捨ててしまったから、なんて言ったらいいのか分からない。そんな感じだ。どうすりゃ、いいんだ。どうすりゃ、いいんですか?


⭐︎





映画「遠いところ」の主人公に憑依した気持ちで考えてみた。


ものすごい力のある映画だと思った。楽しいと思える作品ではない。でも、観る者の胸ぐらを掴んでくる作品だ。キャッチコピーには、「映画ではなく、現実」と書かれていた。


「これは現実だ」と言えば言うほど嘘っぽく聞こえる。「私は嘘をつきません!」と言ってるようなものだから。でも、この映画に限って言えば、確かに「現実」なんだと思ってしまう。それほどのリアリティがあった。


そして、ウチはいまだに考えている。


言葉を捨ててしまった人たちに、どんな言葉をかければいいのか。


他人を変えることなんて出来ない。そんなことは分かってる。どうせ話なんて聞いてくれないだろうし。


でも、だからといって、何も手がないわけではない。レスパイトケアのようなアプローチだってあるし、環境を変えてあげることだってできる。「知らない」ことで視野が狭くなっていることだってあるんだから。


でも、そもそも、「助ける——助けられる」という関係を作ってしまうこと自体がいけない可能性だってある。


答えはなかなか見つからない。
でも、見つけていかなければいけない。


だから、ウチは考える。

これは、映画ではなく、現実だから。


記憶に残る、心に訴えかける、いい映画だと思った。



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