僕がNTTデータをやめた理由
新卒で入って9年間勤めたNTTデータをやめた。
この9年間、多くの失敗をしながらも、たくさんの人に支えられ、学び多き時間を過ごすことができた。NTTデータは自分にとって素晴らしい会社であったのに違いない。好きなことを思う存分にやらせてもらった。
それでも僕にはNTTデータをやめる理由があった。
ダメ元の応募
僕は東海大学の情報通信学部出身でどこにでもいる普通の学生より少し出来の悪い学生だった。
と言うのも当時、大学1年目〜2年目は「大学生」という時間を無限のように感じており、参加する講義もなんとなく受けて単位獲得だけを目的になんとなく過ごしていた。今思うとあの時の自分を本当に許せない。
大学3年目になると一気に就活の波が押し寄せた。僕の父がIT企業のサラリーマンだったのもあり、気づいたら自然と自分も同じ道を歩もうとしていた。
当時は、サラリーマンで安泰したい思いがあったので「一部上場企業で従業員が1000人以上いるIT企業」に的を絞って就職活動をした。
私の就職活動といえば、順調とは言い難かった。基本的には一部上場企業のグループ会社を受けまくっていたが、最終面接で「君は社会的関心が無さすぎる」と言われる始末。僕の同期はどんどん内定を獲得しとても焦った。
しかし、そんな僕にも切り札があった。実はある大手メーカー企業から学内推薦をもらい、いきなり最終面接に進むことになった!
私は千載一遇のチャンスをモノにするため万全の準備を進め面接に臨んだ。
面接の雰囲気はとてもよく、これは内定を勝ち取れたという手応えを感じていた。
しかし、面接を終え会社を出てから30分後。すぐに採用見送りのメールが届き僕は肩を落とし、絶望した。
その後、なんとか中小企業の内定を勝ち取り、僕は就活を終えようと考えていた。正直疲れていて、これで終わりにしたいと思っていた。
自分なりには十分だと思う中小企業から内定を獲得したため、父に就活を終えようと考えていると相談。
父は新卒で入社した会社を早期退職まで33年間一社で貫いてきた生粋のサラリーマンであり合理主義者だった。
父からは、「今この瞬間就活を終わらせるメリットがない、NTTデータを受けてみろ」と言われ、精神的にも疲弊していた自分は、なぜか怒りの感情が湧き起こったのを覚えている。
NTTデータは高嶺の花であり、推薦などがなければ入れないと思っていた。
ただでさえ色々あって疲弊している時に、なぜわざわざまた疲弊しなくてはならないのか。しかし、父にはここまで育ててもらい大学に行かせてもらった恩がある。
そこで僕は、半ばダメ元で一般公募でエントリーし、NTTデータが落ちたら就活を終える理由づけにしようと考えた。
NTTデータの選考が始まると、今まで数十社に及ぶ面接と個人的な練習も相まってあっという間に最終面接に進み、結果的には内定を獲得することができてしまった。私は今でもあれば何かの間違いだったのではないかと思っている。
自分が思ってもないような形で僕はNTTデータに入ることになった。
恐ろしく美しいものを作りたい
NTTデータの内定が決まってから、1か月後、僕はあるデジタルアート作品を目の当たりにして、衝撃が走った。
Rhizomatiks Research代表の真鍋大度さんが手がけた「traders」という作品だ。
この「traders」という作品は、リアルタイムで行われる株式市場の値動きをデジタルに可視化し、一つのアートとして表現している。
まるで宇宙空間に浮かぶ、心臓の鼓動を見ているようななんとも異質な作品に目を奪われた。そして何より恐ろしく美しかった。
「自分も同じようなことをしたい。今すぐに。」
僕はすぐさま行動に移った。企画書をまとめ、当時の研究室の教授に直談判した。
「大学にあるVR施設を貸して欲しい。大学の仲間を集めて、子供たちが喜ぶ映像コンテンツを作りたい。」
東海大学の高輪校舎には、日本でも有数のVR施設が存在する。
当時その施設は大学の授業や研究にのみ使用されていた。そこで僕は、せっかくあるVR施設を利用し、子供達にCGコンテンツを作らせ、それらをVR空間に投影して遊ばせようと考えた。
当時僕はプログラミングが全くできたなかったので、同じ研究室で優秀なメンバーを集め、プログラミング・集客・サービス運用を依頼し企画を実行に移すことにした。
具体的には、月に1回子供向けCG教室を開催。文化祭では、自分たちの作った映像作品をVR空間に投影し体験してもらうコンテンツを提供した。結果1日で述べ100人以上がコンテンツを見に足を運んでくれた。
一つの目標に対し、チーム全員でユーザーの喜びを創出する面白さを僕はこの時知ってしまった。そして、同時に一つの罪悪感が残った。
「僕は協力したメンバーに対し十分な対価を払えたのだろうか?」
結局これは大学生の祭り事だったかもしれない。でも自分がやりたかったのはそういう独りよがりなことではなくて、作った作品で喜んでもらい、それを作った人間が適切に評価され、その人に相応の対価を与えられることだった。
そうじゃないとなんだかやりきれない気持ちになった。
まだ社会がなんのかよくわかっていない僕は、「綺麗事じゃなくて、ビジネスとしてメンバーに対価を払い、その上で恐ろしく美しいコンテンツを将来作りたい」という意識を持つようになった。
いずれ自分で事業を経営したい
入社一年目、上司との初めての面談。おそらく僕はとても上司を困らせたと思う。
「どんな形でもいい、いずれはNTTデータの子会社でもいいから早いうちに自分で事業を経営したい」
それは、いずれ起業する前準備としてサラリーマンとして起業や経営といった部分を経験したかったからだった。
こんな生意気で自分都合な社員がいたら、僕なら相手にしない。そんな僕を当時の上司は、論理的に分解しプロセス目標まで落とし込み相談に乗ってくれた。
しかも数年後には、完全なる僕のわがままで部署の異動を希望することになる。これは社内公募というやつで、社内部署に内定が決まると僕の上司といえど異動は止まらない。ある種、大袈裟にいうと上司を裏切るような行為だ。それでも当時の上司は僕の門出を喜び、祝ってくれた。本当に今でも感謝している。
異動してからは、これまた迷惑をたくさんかけてしまった。駆け出しのデータサイエンティストとして奮闘し。大規模決済プロダクトの開発リーダー、プロダクトマネージャーを経験させてもらった。
ここでも自分の失敗を上司に守ってもらいながら、一つずつスキルを身につけ磨いて行った。
ちなみに僕は、入社して最初の1~3年をエンジニアとして過ごし、4~7年はITディレクターとして過ごした。異動後は、データサイエンティストとなった後、新規企画のリーダーとなり、最終的にはプロダクトマネージャーとして複数のスクラムチームをマネジメントする役割を担っていった。
つまり自分は、エンジニアリング、企画、営業、マネジメントをある程度満遍なく経験し、また大規模開発や、S I業界におけるノウハウを一定獲得していた。ここに至るまで約9年が経っていた。
「もしかしたらもう外に出てもいいんじゃないか、挑戦できるんじゃないか」
そんな思いが芽生えた。
「自分で事業を経営したい」この気持ちは絶えず頭の中にあり、いつ自己実現を果たすべきか9年間考え続けてきた。
そして社会人10年目。僕の思いは抑えることができなくなっていた。
2024年1月にシステム開発を手掛ける株式会社NEXASPARKを設立し、3月末でNTTデータを退職することを告げた。
誠実に、真っ当に、情熱的に
よく起業するのにサラリーマン経験が必要なのかという議論を目にする。
完全な経験則となるが、私個人の考えとしてはあるに越したはない。
ただそれはサラリーマンとしての仕事を「誠実に、真っ当に、情熱的に」やった場合に限る。
僕が起業すると、すぐに友人や知人、かつてのお客様からお仕事の紹介をいただいた。
また、仕事だけではなく、一緒に仕事をする仲間としてぜひ今後やらせてほしいと言った言葉いただきとても好調な走り出しができている。
これは、目の前の仕事を「誠実に、真っ当に、情熱的に」やり続けたことが結果としてつながったのではないかと感じている。
もしこの記事を見ている人で、「起業しようかずっと悩んでいる」または、「まだ起業しないの?と煽られている人」がいるとしたら伝えたい。
大丈夫、直感を信じて自分のペースで進めばいい。誰かに言われてやるもんじゃない。全ては自分の経験を信じ、自分の意思で決めればいいことだ。
どのような道であれ、あなたの直感は正しいし、最高に面白い未来が待っている。
最後に
もしNTTデータのことをもっと詳細に知りたかった人がいたらすみません。
非常に自分よがりな内容になってしまいました。
NTTデータはこんな自分にもチャンスを与えてくれる会社です。幅広い領域で日本のITインフラを支えています。それは同時に幅広い領域でスキルをつける機会を持っている会社でもあります。
これから就活を控えている学生がいたらぜひ一度挑戦してみてはいかがでしょうか。
また、私の会社でも現在創業メンバーと協業パートナーを募集しています!
IT業界で一緒に自己実現したい方はご連絡ください!
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