見出し画像

阿鼻叫喚?初めてのテスト@ヨーロッパ語学学校


ヨーロッパの語学学校に通っています。

授業も残り半分を切ったころ、初めてのテストが行われました!

テストいつやるのか問題

テストの四回くらい前の授業、先生が言っていた気がします。

・小さいテスト
・授業一回目からの復習
・先生が話す

だから一回目からの復習をしておいてね。

と。

”気がする”というのは、授業がすべて現地語なので、100%理解できているわけではないから。

(夫に話すと、毎回授業の日に今日テストかな?と煽られていました。)

しかし待てど暮らせどテストはない。

でもいつかあるかもしれないので、なんとなく授業の前日はノートや教科書を見返して復習していました。

やっぱりあった!テスト


そして授業開始。
いつもは先生が今日は何曜日?とか、天気は?とか、
雑談をしながら、文章をホワイトボードに書くのだけれど今回はあまり書かない。

ノート、教科書を仕舞うように指示され、紙が配られる。

名前だけ書くように言われます。

テストだ!!ほんとにあった!

先生が話すってなんだ?と思っていたのですが、
まさかの第一問が聞き取りのテストで、先生が話すことを書きとる問題がありました。
そういうことだったのね!

テストの難易度はそんなに難しくはない。

教科書の内容がそのまま出ている感じです。

ただ自分の中で曖昧なところはやはり出てこない。
特に忌引きで休んでいた箇所はやっぱり弱い。

ここをつぶさないといけないんだな、と思う反面、なかなかに長い文章を読んで解く問題を読めている自分に感動もしました。

衝撃のゆるさ


上記記事の通り、うちのクラスにはウクライナ人が三人いまして。

一人70歳のおばあちゃまがいます。

とっても可愛らしくておしゃれ。
進捗はゆるやかではあるけれど、着実にできるようになっていて、年齢は関係ないのだと自分を奮い立たせてくれる存在でもあります。

テストをすること自体理解できていなくて、大丈夫かしらと見守っていたら、なんとおばあちゃんはカンニング可。

先生がつきっきりで一緒に解いていました。

日本だとない光景だろうなぁ。と思いました。

無理やりにでも平均値にみんなを合わせる日本の教育と、一人一人に合わせた進捗で進めていくこのスタイル。
両者一長一短だとは思うのですが、平均からはみでることの多かった私は、こちらの方が合っていたのかも、とも思ったりします。

涙の答え合わせ


答え合わせもゆるーく。
先生に差されて、一人ひとり答えていきます。

答えはボールペンで書いてね。という指示だけ。

自由に問題に答える箇所は、生徒がこれは合ってる?と聞いていくスタイルです。

最後用紙は回収されましたが。

そしてウクライナ人で、いつも感じが良くて私の好きなお姉さんがいます。

先生が回答を聞いたのが、今日は火曜日です。と答える問題でした。

毎回授業ごとにやりとりしている内容なのですが、一から作文して回答するとなると、何気に難しいですよね。

このお姉さんは答えられなくて、見る見る間に顔も身体も真っ赤になり・・

泣いてしまいました。

何も泣かなくても・・と思いますか?

いやめちゃくちゃわかる。と思いました。

異国で異なる言語を勉強するということ。


日本人は十年以上英語を勉強しているけれど、学校教育だけで流暢に話せるようにはならない。
だからこそ、言語学習の難しさはよく理解できます。

でも、もう一つの言語をさらに学習する、となった時は英語を勉強した経験が活かせます。

英語を勉強していなくて、一言語で生きていくものだと思っていたのに、縁もゆかりもない土地に引っ越して、そこの言語を覚えないといけなくて。。。

勉強しているのに、なかなかできるようにならない。

同じクラスの人はどんどんできるようになっていく。(英語ができる人はやはり早いです。)

なのにわかるはずの一文が書けないのは超悔しい・・・


だろうな、と思いました。想像ですが。

英語でコミュニケーションをとれないので、私は何も彼女にできない。
もう少しこの言葉ができるようになったら、もっと話すことができるのだろうか。


雑談が物騒。


休み時間はなんとなく近くにいる人と英語で雑談しています。

私は英語がそんなに流暢ではないので、緊張するし、みんなじっと聞いてくれるので焦る。
もっと英語できるようになりたい、と思います。

トルコ人とイラン人達と話していて、政治の話に。

あの人はbanされて、アメリカに移住しなきゃいけなくなって、めっちゃ文句言ってたんだよね~

ban????

大学受験の時に勉強した単語、単語帳で見ながらも実生活で使わないだろうな~と思っていたけれど、こんな雑談で使うことがあるのか!と
感動してしまいました。

やっぱり、授業で国際政治を取っていたって、勉強したとしても、自分の頭の中に落とし込めるかどうかは、実際の"人"と関わってみないとわからないものだと改めて実感。

もし大学生の時に留学できていたら、私の考え方や生き方も変わっていたのだろうか。
全く違う人生を送っているかもしれないな。と思う反面、

結局今こうして異国で色々なことを吸収できているのは、私の人生にとって必然だったのではないか、と思ったりもします。

このことが今後の人生の何に役に立つのかはわからない。

でも、絶対使わないと思っていたbanという単語と再会したように、また今の勉強があとで生きてくるんじゃないかと思う今日この頃です。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?