幸せに敏感に、意地悪には鈍感に。
週末まとめ買いした食材を、捨てるところほぼなく使い切って調理し終えた瞬間いつも、満ち足りた気持ちになる。私にとって、料理は頭を使い、同時に空っぽにリセットする作業で、ロックダウンの時は特に、これが生き甲斐みたいなものだった。アパルトマン暮らしなので、コンポストはしていないし、エコロジーというよりは単純にささやかな達成感。
サスティナブルだとかSDGsという言葉が急に声高に聞こえ出して久しいけれど、“皆一斉にこうしよう“というパターンには違和感しか覚えない。ライフスタイルは人それぞれ、家庭ごと異なるし、それぞれが向き合えばいいこと。
フランス暮らしは不便だけれど、とてもいいと思っている1つは、一緒に誰かに贈り物をするときに、自分の判断で金額を出し合うこと。価値観もキャパシティも、それぞれが違うから。
正解はひとつじゃない。
いろいろな人が様々なことを言うけれど、どんなことも正解はたったひとつじゃないし、どんな問題も、解決法は唯一じゃない。
(ひとに)踊らされちゃ、だめ。踊りたければ踊ればいいし、そうでなければ傍で声援してもいいし、静かに眺めていたっていい…邪魔をするのだけは、いただけないけれど。
従来の世の中やスタイルを批判する必要もないし、一斉に同じ方向だけを見るのでは意味がない。それぞれが、自分の進む方向で前を向いていてこそ、広い角度で視界が開けるし、もしかしたら360度世界が見渡せるのかもしれない。
気候変動のリスクについては、いま大人になっている世代なら、学校でも習っているし気づいていたはずで、無駄をなくしたり、エネルギーを大切にしたり、処分ゴミを減らしたり…
他人に押し付けることなしに、自分の価値観でいてこその心に余裕のある暮らし。それができる次世代になってほしい。じゃあ、今の私にできることは何?
ものを増やさないこと?様々な無駄を出さないように我慢すること?
いいえ。他人を幸せにするためには、まず自分が幸せでいなくちゃ。
幸せに敏感に、意地悪には鈍感に。
本当のエコロジーだとか持続可能なエネルギーというのは、ミニマリストに徹することではなくて、毒のない世界にしていくこと。物質的だけでなく、心にも。
人のマイナスを捉えあげつらえたらお互い不幸になる。あなたが何か成し遂げられたら、それは人の分もしたと思えばいいだけ。
誰かの幸せが、あなたを不幸にするわけじゃない。
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