【鬼滅の刃】煉獄瑠火の言葉から学ぶ、自分の能力への謙虚な向き合い方
煉獄杏寿郎の母、煉獄瑠火の言葉を覚えていますか?
子供時代の杏寿郎に向けた台詞です。
この台詞について、あなたは同意するでしょうか?それともしないでしょうか?
能力を生まれ持った人が、どのようにその能力を使うべきか、については、様々な意見があるでしょう。
今回は、自分が生まれ持った能力、あるいは、「自分が努力して勝ち得た能力」も、運に過ぎないかもしれない。
という話をご紹介いたします。
では、どうぞ。
【🌻ノブレス・オブリージュ】
「ノブレス・オブリージュ」という言葉をご存じでしょうか?
元々は、フランスのことわざで、「貴族たるもの、身分にふさわしい振る舞いをしなければならぬ」という意味のものです。
そこから転じて、現代の西欧社会では、生まれ持った能力・才能は、それに応じて社会的責任を果たさねばならぬ、というような意味あいで使われるようです。
何かを生まれつき持ちえた人間は、その得たものを社会に還元せよ、なぜならば、それはたまたま運否天賦で備わったものなのだから。というような意味あいも背景に含まれた考え方です。
代々、鬼殺隊の柱を輩出している名門である煉獄家において、瑠火が杏寿郎に伝えた冒頭の言葉も、ノブレス・オブリージュと同じ方向性の言葉と考えられます。
上記は、元々の家柄や生まれつき備わった遺伝に基づく能力について言及したものです。
では、一方で、家柄や遺伝に関係なく、自身の努力によって備わった能力についてはいかがでしょうか?
自ら努力して勝ち得たものは、自分の功績によるものだと誇ってよいものでしょうか?
今、実はこの点が、大きな社会問題として提起されています。
【🌻努力して勝ち得た「能力」は誰の功績によるもの?】
アメリカのハーバード大学の教授をしているマイケル・サンデル氏が、この問題提起を行った「実力も運のうち 能力主義は正義か?」という本があります。
この中でサンデル氏は、アメリカにおいてこれまでに無い程に強い分断が産まれている理由として、「能力主義」を挙げています。
人は家柄ではなく、自ら努力して勝ち得た能力によって成功できるという、アメリカン・ドリーム。
能力、というものさしの元での平等。この考え方に人々は熱狂しました。
努力して自分の能力を上げさえすれば成功できる。それによって、高い収入と、周りからの称賛を受ける事ができる。それは自分が受けるに値する。なぜなら、自分はそれだけの努力をしてきたのだから。
この考え方、今を生きる私達にとって、個人としては、それなりに納得できるものではないでしょうか。
ですが、サンデル氏は、この考え方こそが、分断を産んだと主張をしているのです。
サンデル氏は、そもそも、努力をできるような環境は何故整っているのか、と問います。
あなたが学校に行けるのは、塾に通うことができたのは、勉強に集中できたのは、たまたまそのような環境に生まれたからに過ぎない。
なのに、自分の努力が成功の源であるかのように主張し、成功者がその成功が自分が努力したからだと言う。それは暗に、成功していない者が、努力をしなかったからだという意見を示している。
また、一方で、この考え方は、成功者以外の人々をも蝕んでいる。自分が高収入を得る事ができなかったのは、自分が努力をしなかったからだと。
サンデル氏は、このような自分が努力して獲得した能力が成功の源であるという能力主義は、成功者には驕りをもたらし、高収入を得る事ができなかった人からは自信を失わせていることを指摘します。
そしてこれが、資本主義における成功者とそうではない者の間に、大きな断絶を産んでいるという事です。
この考え方について、どう思うでしょうか?
私(この記事の筆者)も、今までは努力は無条件に素晴らしいものだと思ってきていました。
「努力する炭治郎はすばらしい!自分も頑張ろう!」、と。
ただ、サンデル氏の上記の考え方を知って、少々自分の足元が揺らぐような感覚を覚えました。
サンデル氏の考えを、我々はどう受け止めるべきでしょうか?
【🌻サンデル氏の考えの活かし方】
私は、努力自体を否定するものではないと考えます。
努力自体は尊い事であり、それを追求することで、見える可能性や手に入る事はあるでしょう。
ですが、自分が努力を出来るような環境にある事自体が、そもそも、運に恵まれた事であり、世の中には、努力すら出来る事が許されない環境に育った方もいる事に、想いを馳せるべきではないでしょうか。
そのように思う事で、私達は謙虚さを身に着ける事ができるはずです。
さて、ここで再度、杏寿郎の母、煉獄瑠火の言葉を、振り返りましょう。
杏寿郎は、この瑠火の言葉を胸に、日々のつらい修行を乗り越え、驕る事なく、柱としての責務を務め切りました。
煉獄家は、代々炎柱を輩出してきた名門です。お屋敷の様子からも裕福な家庭である事が伺えます。このような環境があったため、杏寿郎は幼少期から修行に自らの全てを注ぎ込むことが出来たと考えられます。
このような努力できる環境があったことは、杏寿郎の努力の価値を下げるものではありません。むしろ、「努力できる環境が偶然あった」ということを認識する事は、瑠火の教えを実践するために、プラスに働くのではないでしょうか。
「私は瑠火の言葉、杏寿郎の生きざまに恥じない人生を送っているだろうか?」
という事を考えながら、日々を過ごしていこうではありませんか。
【🌻まとめ】
「能力主義」に基づく、自分が成功したのは、自分が努力したからだ、という考え方が、世界で、驕りと、人々の断絶を産んでいると聞く。
私達は、努力を諦めるべきではないが、努力を出来る環境にある事自体という、自分の運の良さを自覚をすべきではないか。
たとえ資本主義において成功したとしても、驕ることなく、日々を過ごすことが重要である。
もし、傲慢になりそうだったら、瑠火の言葉、そして杏寿郎の生き様を思い出そう!
参考) マイケル・サンデル著 「実力も運のうち 能力主義は正義か?」
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