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東大院卒と働く中卒が学業を放棄するまでの話⑥/⑨

〜前回までのお話〜

昼飯代を貯めて買ったGuns N' Roses(以下GNR)の
CDを理解できるまで聴き込んだ少年(私)は
聴くだけでなく楽器を演奏してみたいと
血迷い、誕生日に両親に無心した一万円を
元手に楽器の街・御茶ノ水へ向かった。
ギターを手に入れるために。

・まくら

一流の料理人になるためには
食材や料理の微妙な味の違いが
わかる舌を持っている必要があるという。

その舌は幼い頃から様々な味の料理の
味を覚え、肥やさねばならない。

しかし、そんなことを普通の家庭は
子どもにさせないだろう。
必然的にその舌を持つ子どもの親は
料理人であることになる。

これが「何百年、続く」「何代、受け継がれる」と
いう信頼なのだと思う。

芸能界やスポーツでも活躍している
二世、三世が少なくない。
その例に漏れず政治家もだ。

特に政治家の二世三世議員は
あまり良い印象を持たれない。
しかし果たして、世襲は悪習なのか?
代々、引き継がれた既得権益や
地盤を守ることは容易ではないはず。
議員の子どもに生まれた人間は
世襲のために幼少期から政治家となるための
教育を受けていることは想像に難くない。

だが、そんな世襲議員でも国の統治は
思い通りにいかない。
日本だけでなく世界中が混乱している。
何がどうなれば、何がよくなるのかわからない
いかに世の中が政治家の手にも負えないものと
いうことがわかりすぎるくらいにわかる。

話が逸れた。
この「まくら」で言いたいことは
世襲や英才教育など受けた人間は少ないが
もしレールが敷かれていたとしても
そこから大きく外れようが逃げようが
夢中になれるものと出会うことで
人生はどこでどうなるかわからないのだと
いうことである。

私の両親は至って普通で無趣味。
自宅にはステレオさえなく芸術的なことに
造詣が深いとは言えなかった。

しかし私は勝手に音楽に興味を持ち、
それを一時期は仕事とし、今は文筆業。
兄は雑誌の表紙を飾るような有名人を
撮るまでのカメラマンになっている。
その道は私たち兄弟に引かれたレールでは
なかった。

両親が私と兄に引いてくれたレールは
有名私立の付属校に小学校から通わせるという
ものだった。
しかし申し訳ないことに私は引いてもらった
レールから最短で思い切り外れ、
歩みたいレールを自分で引こうとした。
具体的な計画もなく、目標達成への道筋も
何ひとつわからないまま。

・一万円で手に入るギターを求めて

さて、御茶ノ水に降り立った少年(私)。
このときは、すでにギターを弾ける級友と
ギターに興味を持っている級友に付き添いを
頼んでいた。

街には楽器店がひしめき合っているという
感じではなく、明治大学のキャンパスを
「俺らの通う付属校の大学の方が上」と
まったく意味のないプライドを抱いて、
通り過ぎた。
これは小学生のころから教員たちに
「僕はこの学校の生徒であることを誇りに思う」
という訳のわからない作文を書かされ、
選民思想を植え付ける教育がもたらした
偏見と差別意識だったように思う。
反吐が出るような教育だ。

そしてアホな選民思想で育ったくせに
ファッションにかける金も
買い食いする金もない腹ペコ三銃士とでも
呼びたくなるような垢抜けない中坊三匹は
テキトーに楽器店に入った。

初めて入った楽器店には圧倒的な数の
きらびやかなエレクトリックギターが
スタンドに立てられ、吊るされ、
それぞれに値札がつけられている。
ギターの形状はそれぞれだが、すべてカッコいい。
そして何を根拠につけられた値段なのかは
今でもよくわからないが3~5万ゾーン、
5~10万ゾーン、10万以上ゾーンのようにコーナーが
分けられていた。

しかし私の軍資金は1万円である。
これらのギターに手を出すことはできないし、
そもそもエレキギター(なんてダサい響きだ……)を
買えるとは最初から思っていなかった。
買えるとしたらフォークギター(この響きもダサい)いわゆるアコースティックギターしか
手に入らないと勝手に制限をつけていた。

そして、店員に尋ねる。
「一番、安いギターはどれですか……?」
すると店員はエレキギター、チューナー、
小さなアンプなどが抱き合わせとなった
初心者セットを勧めてくる。
25,000円也。
予算を余裕でオーバーだ。この店に用はない。
というか店側が私に用がない。

・初めて手に入れたギター

数件、回ってもだいたい店員に勧められる商品は
内容も価格も大差がなかった。
一万円という予算ではギターは手に入らないのか……
と諦めかけながら、ちょっと古びた店に入った。
もう「一番安いギター」ではなく
「一万円で買えるギターがあるか」を
ストレートに店員に尋ねる。

すると店員は安っぽいアコースティックギターを
「これなら8,000円」と持ってきてくれた。
迷いはない。というか選択の余地がない。
私が手にできるギターは現時点でこれしか
なさそうだ。店員は
「チューニングメーターもあった方がよいよ」と
ちゃっちい針が左右するアナログなブツを
売りつけてきた。確かに必要だろう。
私に絶対音感はない。

そして私は、これまたちゃちいビニール製の
ソフトケースに包まれたギターを肩から下げて、
一秒でも早く弾きたい気分で御茶ノ水を
あとにした。
友人たちと寄り道したり何か話をした記憶も
今となっては綺麗さっぱり抜け落ちている。

・ギターの弾き方がわからない

ついに買ったギターを持って帰宅すると
なぜか少年(私)はリビングでケースから取り出した。
音楽に縁のない人生を送ってきた両親は
「こいつは何をトチ狂ったのだ?」というような
顔をしていた気がする。

そんなことは意に介さず、自部屋に籠もり、
これでようやく弾きたい曲を弾く日々の始まりだ。
と意気込んだものの、何から始めたらよいのか
わからない。
弾き方はもちろん、まずチューニングの仕方も
わからないのだ。

ならば教則本に頼るのがセオリーだ。
予算もちょうど1,000円ほど余っている。
少年(私)はさっそく翌日、近所の本屋に
向かった。
そして、なかなかの勘違いをして六弦人生を
スタートさせることになる。

その勘違いのスタートについては、また次回に。

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