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寂しさとは/寂しさと戦うために

寂しいと思う状況は多々あるが、いまいち共通点を見出せない。
1人で家にいるときも、学校のイベントに参加しているときも、寂しいと思うときはある。なんなら誰かと話してるときでさえ寂しく思う。

寂しいという言葉は「久しくあなたに会えなくて寂しい」と使われるように、別れに付属するようだ。
禁煙中にタバコの感触がなくて口寂しい、というのも、タバコの感触がある→タバコの感触がない、ある→ない、あったけどなくなった、ということだ。

では、そもそも出会わなければ…………つまり、友人がいたことがない人は友人がいなくて寂しいという気持ちにはならないのだろうか。それとも、人間は社交的な生き物として、孤独感を抱えて生まれてくるのだろうか。

私は母親のことが大好きだったが、陰謀論について揶揄って発狂させてからはそれほどではない。
そして昔の、まだまともだった母親の想って寂しくなる。
しかし父親がうつ病だったことが判明して、LINEを3ヶ月半無視されても、そうはならなかった。
両親は私が幼児の頃にとっくに離婚していて、また会うようになったのは高校生になってからで、それも父親が好きというより息子の義務として会っていたので、父親には何の幻想もなかったし、本性が露呈しても何も思わなかった。

やはり、寂しさは別れから来るのだろうか。では、仲良くしているグループを見て、なぜ私は寂しいと思うのだ。
そんなグループに所属した経験は一度もないんだぞ。
それに、英会話教室に通っていたころ、授業が終わる夜7時の静岡駅付近にはたくさんのカップルがいた。まだ恋愛経験がないというのに寂しいと思ったよな。

なら寂しさはもっと広範な意味で…………それはおそらく、違いなのだと思う。

Twitterを始めたくらいからずっと繋がっていて、今いる数少ないフォロワーの誰よりも距離が近かった相互フォロワーがいた。彼女とよく話していたが、次第に、なぜか寂しさを感じた。

話しながら寂しく思うなんて器用なやつだなと思うかもしれないが、むしろ不器用極まれり。
彼女が友人との旅行の話をするとき、中学校での人間関係の話をするとき、どうしようもなく寂しかった。
私にはそもそも友人がいなかったし、中学校には2日しか通わなかった。そのとてつもない違いに耐えられなくてブロックしてしまった。数ヶ月経った今でさえ好いている。

だから寂しさは違いなのだと思う。

旧友と話せるときと、話せないとき。
タバコがある感触と、タバコがない感触。
友人がいるあの人と、友人がいない私。

だからカップルしかいない部屋に閉じ込められたときに比べて、キモオタしかいない部屋に閉じ込められたときは寂しさをぜんぜん感じない…………それどころか、キモオタという共通点=違いの反対があるわけだから楽しくおしゃべりできるかもしれない。

違い、というのはあまりに大雑把な定義だと批判されそうなので実体験を挙げておこう。

今日の運動会で、私は知り合いに冗談を言った。
人差し指を立てて「これはなに?」と聞き、「指ですか?」と返されたら「違う、これは天井」と返す。そんな感じの冗談を4連発。
私の工夫は実を結んでその子を笑わせられた…………しかしその次の言葉が出てこなかった。

電車の中でセルフ反省会を開いて気づく。
私は、そこそこの人たちがおしゃべりをしている状況で自分がひとりぼっちだという"違い"を忌々しく思い、その子に話しかけただけだった。
だから話しかけることだけが目的で、挨拶代わりの冗談を言ったあと、何も話せなかった。

私は話したいのではなく、話していないという"違い"を解消したかった。それだけなんだな。

しかしそれも諦めなければならないだろう…………出会いはいつかの別れを伴い、違いは個性を作る。私も私以外も日々変化するし、私は私以外の誰でもないという理由で私なのだ。

キモオタとも、食の好みや政治思想では相違があるかもしれない。逆に、カップルとめちゃくちゃ気が合うかもしれない。
人間関係の中で違いを感じることは、寂しく思うことは避けられず、人間関係自体もやめられないとなると、解決策は一つしかない。

あなたがメンヘラで遊戯王が好きなフィリピン人だとします。
あなたはメンヘラの友人、遊戯王が好きな友人、フィリピン人の友人を持ちなさい。そうすれば、たとえばメンヘラの友人と話して(でもこいつ遊戯王は好きじゃないんだよな)と感じても、遊戯王が好きな友人と会うことで寂しくなくなります。
このように、一部で共通点を持っている人たちと関われば誰かと話して"違い"=寂しさを感じても他の誰かに癒してもらえます。
そして、別れることになるとしても今での思い出を大切にして、次の出会いを探す。
この2つしかないでしょう。

もし違いを受けいられなかったり、相手に自分の個性を押し付けたり、別れの悲しみに暮れたり、過去に執着したりすれば、人生の質は落ちます。

違いに対していかに寛容に、前向きになるか。
それが寂しさと戦い続けるコツだと思います。

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