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好きなことが心の中に棲みついたらちょっと強くなった話

オリンピック閉会式をテレビでたまたま見ていて、来世生まれ変わったらオリンピックに出てみたい、とふと思った。その理由を辿ると、血の滲むような努力の積み重ねの上に勝敗をきめにかかってなお、閉会式では柔らかな表情の選手の多さに心打たれたから。紆余曲折経験しても、最後にこんな穏やかな顔になれるなんて、本当にスポーツマンシップって素晴らしいな、と思った。

やっている時がとても楽しい、好きで好きでしょうがない。そんな事や物との出会いは、とても貴重。

その「好きな事」を「毎日やる」。つまり、それを仕事として生活する日々がはじまる。これが実はひっそりと苦行をしたためていることこの上ないのでは、と気付く。というのも、好きなことをやるのがすっごく億劫になる瞬間が、多々出てくるからだ。なぜそうなるのかを突き詰めると、好きだからこそ本気だし、本気だからこそ自分と向き合わなければならない瞬間に多々、出くわすからだ。エネルギーを消費し、いつの間にか空っぽになる。

「いやいや〜好きなことやってるなんて羨ましい!」私も以前そう思ってた。いいな〜好きなことだけで生きていけたら、毎日ハッピー!みたいな事をアイス食べながら考えてた。

けれど実情は、顔文字で言えば「_| ̄|○」こんな瞬間が続く。ダメ出しや言葉を選ばないフィードバックに心が擦り減る。名前を出して活動しているとなお、受けるダメージも強い。生み出しても生み出しても孵化しない卵に、何の意味があるのか..そんなことを考える「_:(´ཀ`」 ∠):」こんな瞬間が、毎日。すべて投げ出して遠い国で誰も知らない土地で一から始めようか、、と、他国の永住権取得方法を調べた事もある。


でも、それは唐突にやってくる。

自分がやっている事を、自分が「いい!」と思えればそれでいいのだ、という境地。その「好きな事」を「毎日やる」ことが普通になり、自分と向き合う事が嫌になったり、億劫になる事も出てくる日々。けれど、それはマイナスではなくて、私にとっては「非日常」だった事が「日常」になったと分かった良い変化だった。

この年齢まで自分と付き合っていると、自分のパターンも少しずつ知れてくる。凹んで凹んで地の底で這って、初めて浮き上がることができる。そういう体質らしい。昔は凹んだらいつまで続くかわからない底のない沼に溺れることが本当に怖かったけれど、いまは「沈んでも、いつか浮いてくる」そう信じられるようになった。だからしっかり沈んでいていいのだ、と。

もちろん、好きなことを好きなまま続けて行けるような、辛いなんて微塵も感じない皆様もいて、それは羨ましい限り。私だってそう生まれたかった。だけどそうはなれない。そして、それでいいのだ。

そしてもうひとつ、たまーーに来る満たされる瞬間がある。その瞬間が、今まで辛かった事とか苦しくて苦しくてどうしようもなかった事をすべて連れ去っていく。

好きなこと、で満たされる。それがどれだけの力を持ち、私のエネルギーになるのか。それは想像を遥かに超える至福だった。

その瞬間があるから、この仕事をしているといってもいいくらい。ものすごく面倒くさがりな私が、唯一続けていられること、それが「好きなこと」だったりする。

と、連休の中日はだいたい眠っていて眠れなくなる連休最終日の朝方にこれを書いている。

眠れないので洗濯をしよう。

それではどうぞ、良い1日をお過ごしください。




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