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ギャンブルで自己否定するな

全国ギャンブルだいすきマンのみなさん、こんにちは。

今回はギャンブルネガキャン記事(?)ですので、今すぐ足を洗いたい人、向き合い方を考えたい人は読んでいただきたいです。

前提として、私はギャンブルが嫌いじゃない。
むしろ散々お布施をしてきたし、その都度辞めたいと思っていた。(人、それを中毒という)
確かにギャンブルは楽しい。
たとえそこに大金が絡んでいなくても、コーヒー1本で伸るか反るか、丁か半かを決めるだけで無駄に熱くなることもある。
しかし、近頃に限っては全盛期のモチベーションは枯渇してきた。いくら中毒と言っても、“ 苦しみ”しかないことを続けるほど虚しいものはない。

そもそも何故ギャンブルにハマってしまうのか。
射幸心うんぬんの話は他の方がこと細かく書いてくださってるのでそんな前置きはすっ飛ばします(聞き飽きたわ)
ワクワクするものはギャンブルに限らず楽しいからです。以上。

しかし、ギャンブルとは負けるもの。
全国ギャンブルだいすきマンの諸君は負けがこんだり、うまく立ち回れない都度、ネットの記事を漁っては「ギャンブルは負けるようにできている」という分かりきってる文言を何度も目にしてきただろう。
でも一晩眠れば昨日の大負けは何のその。再び戦場に赴くのである。

わかる、わかるよ(しみじみ)
ギャンブルはさァ…楽しいもんね、嬉しいもんね、興奮するもんね……。
ノリに乗ってるときの高揚感は他に形容し難い多幸感があるよね。昨日の負けくらい、大穴当てれば簡単に捲れちゃうもんね。

でもほとんどの場合において負ける。傷口がさらに開く。
何故だと思う?
「ギャンブルは負けるようにできている」から。(2回目)
それは虎はなぜ強いか?→元々強いからよ!と同じく、元々負けるように出来ている。胴元は絶対なのだ。

そんな当たり前のようなこと書いてんじゃねーよ!
と、思ったことだろう。

私が言いたいのは物理的な負け(諭吉)のことではなく、
精神的な負けを続けることの怖さだ。

無くなったお金は働いて取り戻すことが出来る。
しかし、負けることによる自己否定感は時間をかけないとなかなか癒すことは出来ない。

「なんで俺は当たりのひとつも引くことが出来ないんだ」
「連チャンしないんだ」
「波に乗れないんだ」

そして減り続けるお金。
ギャンブルに関わるだけで時間とともにこう言った負の感情が溜まっていく。

何故か。それは運否天賦に身を任せているから。
どれだけ勝ちたいと願っても、どれだけ意気込んでも「今日のあなたは負け組です」を烙印を押される。
これを繰り返すと、自分は何も出来ない人間なんだとすべての気力が削がれ、自己否定が止まらなくなる。
その思考は頭の中をぐるぐる埋めつくし、潜在意識すら侵食すると「何をやってもどうせ上手くいかない」思考が定着してしまう。

そこまで落ち込んでしまうと立ち直るのが本当につらくなる。
仕事でも対人でも趣味ですら上手くいくイメージがつかない。それはとても耐え難い苦痛なのだが、ほとんどの人は勝ちの感覚を取り戻すためにまたギャンブルをしてしまう。
まさしく負のループだ。

無気力になった人間は正に生き地獄。
意欲的に人と交わろうともしなくなる(そもそもお金もない)ので対人関係は悪化、気づけば周りに人もいなくなる。手元に残らないお金のために頑張ろうと思えず仕事も怠惰。恋愛なんてしてる余裕もない。そもそもすべてに成功ビジョンを見いだせない。

大金を払って自己否定しているのだ。

と、ここまでネガキャンをしてきたが、ギャンブルのすべてを否定してる訳ではない。趣向としての気晴らしのギャンブルはむしろ健全だ。何事も程度なのである。

今まで投資してきた貴重な貴重な時間とお金と精神を、創造的で建設的なことにシフトするウェイトを増やしてもいいのではないかと思って筆を走らせた次第です。まる。

もし同じように悩んでいる人は1度立ち止まって、貴様の陰我を断ち切って欲しい。

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