最近は自分の留学が決まって、友人が亡くなって、心友が新しい道へ進んで。 目まぐるしく、でも確実に日々が過ぎていて。 その中でこれからどうやって生きていこうって考えます。結論は出ませんが。 たぶんそういう、はっきりしないものを愛していたいような気がします。普段は、0か100、白か黒を多用しているくせに、随分と都合がいいですね。でも、そんな矛盾でさえ愛していたい。 分かってもらわなくていいんですが、日常で残しておきたい瞬間が多すぎて、瞬きするたびにシャッター切れたらいいのにって
妃奈乃へ 来世でも苦しもう
誕生日に残した言葉をここにも。 20歳になりました。 これからも直感と言葉を大事に 想い出の中で泳ぎながら生きたいな〜とか 思ったりしてます 自分の気持ちを真っ直ぐ誠実に 言葉にして紡げる人間になることが目標です 正解と分かっている選択肢を選ぶ力より 選んだ選択肢を正解にしていく力のほうが 自分の糧になると思っています 無論、そんな生き方をしているつもりです かぞくがわたしにくれた名前は "明るく花のような存在になるように" そんなところかなと だからこそ大切な人
この花もきっと君のことを好きだと思ったから。 愛する人には自分が持てるいちばん綺麗なものをあげたい。今はなんもないすけど。 「負けたことがある」というのが いつか大きな財産になる。 君との出会いは俺にとって、 人生最高のパーティーだったんだ。 絶対なんてないんです。 人生って まさかなことが起きるし 起きたことはもう元に戻らないんです。 好きっていうのは考えることじゃないよ。 考える前にあることじゃん。 マスカラとおんなじ。 運命ってほんのちょっとのさじ加減で 変
空が綺麗だなと感じた日がありました。 いつも乗っているバスだからほぼ毎日見ているはずなのに、なぜ今日だけそう感じるのだろうと考えてみたのですが、なんとも答えは単純で。 普段とは乗車した時間が違ったのです。 いつもであればアルバイト終わりの20時過ぎ。もう外は真っ暗で、空はわたしに景色を見せる気なんてさらさら無いのです。 というよりわたし自身も8時間労働を耐えた身体をどうにか動かしているので、外を見る気力なんて残していないし、一刻も早く家に帰り着いて心を落ち着かせようと考えて
私が見ている世界なんてほんのすこしなわけで。 やっぱりまだ誰かの1番にはなれないわけで。 頼れるものが多くなると、弱くなる自分がいてそんな自分を好きになる、愛せる強さがまだ無いのです。一般的な幸せを手に入れるチャンスが目の前にあるくせに、わたしが求めているのはこれではないと思い目を逸らしてしまうのです。 諦めが悪い女とはこのこと。 「守る」という言葉が苦手です。 過去付き合っていた恋人たちの口からこの言葉が出るたびに、モヤっとしておりました。少し冷めてもいました。元カレた
4月の初め、友人が亡くなってなんだかずっと、ふわふわとしている毎日です。 優しいに希望と書いて優希です。わたしの母と同じ名前。年齢は一つ上の21歳。 もう実体がないなんて、信じたくないですね。 会う約束だってしていました。いつだって、そこにいて欲しいのに、それはただの贅沢でした。 もう二度と優希の身体で素敵なものを見て、感じて、触れることはないのかと思うと、やるせないです。 だから、優希と過ごした過去を過去にしたくないと強く思います。強く想えば、いえ、強く想わなくても、眼前
お気に入りの喫茶店でお気に入りの席に着いて、もう2度と戻ることのない時間に思いを馳せるのが好き、そこにコーヒーが届いてタバコの煙が漂う。周囲の音はあればあるほど良い。意識を集中させるにはそれくらいの脇役がいないといけない。赤褐色の阪急電車が通る。いつ来ても成長しているのか、していないのか、よく分からない観葉植物が小さく揺れる。マスターと奥さんの痴話喧嘩が始まる。これもすべて、いつも通り。ひとつだけ違ったとしたら、置き手紙をしたこと。何度も通い、息をしても疲れない空間だと思えば
他人から与えられた幸せより自分で手に入れる幸せが好きです。だから、追われる恋より追う恋が好きで、「受動的」より「能動的」が好き。だけど、それってとても心が疲れる。恋愛なんて特にそうで、「そういえばこの人わたしのことめっちゃ好きやんー」くらいがいい。気楽。愛される方が幸せなんだよね。みんなが分かりきってることが出来なくて、諦められなくて、愛したいんだよね。もどかしい。 恋愛なんて心に余裕がある人間の娯楽または自分自身をより好きになるためのツールだと思っているし、なんとなく、最
ずっと覚えていることと、 忘れられないことは、どう違うのだろう。 星を編む / 凪良ゆう 思うに、この問いへの答えは その記憶に感情が伴っているかだと推測する。 言ってしまえば、ずっと覚えていることは、 その出来事自体が派手だっただけかもしれないし 肉体的に辛かった、楽だった、だけかもしれない。 忘れられないことは、 それを思い出すだけで気持ちが晴れて、生きててよかった、これからも生きようと思える。 思いがけず涙が出て、このままずっと記憶の中で泳いでいたいと思える。 もし
何を信じて何を信じないのか その審美眼を養うことが何より大切だと 長い間思っていたし、これからも思うけれど いつか揺るいでしまう瞬間も必ずあるわけで そんな時、自分自身の真価が問われているなあと 身が引き締まる思いです。 私はかなりの直感人間だし、それがよく当たる。 自分でも怖いくらい。 でも最近は少し凝り固まりすぎていたなと反省。 知り合いの占い師さんにも 「もう少し人の話を聴きなさい」と諭され さらに反省。いや、猛省。 最近本音を言うと、軽く引かれることがあって