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単純なことこそ

空が綺麗だなと感じた日がありました。
いつも乗っているバスだからほぼ毎日見ているはずなのに、なぜ今日だけそう感じるのだろうと考えてみたのですが、なんとも答えは単純で。
普段とは乗車した時間が違ったのです。

いつもであればアルバイト終わりの20時過ぎ。もう外は真っ暗で、空はわたしに景色を見せる気なんてさらさら無いのです。
というよりわたし自身も8時間労働を耐えた身体をどうにか動かしているので、外を見る気力なんて残していないし、一刻も早く家に帰り着いて心を落ち着かせようと考えているのです。

普段よりも早い時間のバスに乗った。
それだけなのに、すごくすごく幸せを感じました。忙しない日々の中であまり息つく間のないわたしですが、空が綺麗と感じることができるのならまだ生きていても良いなと思います。

母はよく「空はどこにいても繋がっているから見上げれば自分が一人じゃないことが分かるのよ」と励ましてくれました。わたしも誰かにそう言葉をかける日が来るのかと思うと、それもまた生きがいです。

さて、空の話なのにどうしておでんの写真なのかと不思議に思った方もいるかと存じます。
初めて父とサシ呑みをした日、わたしのいきつけへと連れて行ったのですが、父とお酒を片手に語るなんてなんだか不思議で、それまで聞いたことがなかった話もたくさん話題にあがりました。
お酒を飲んで、おでんをつついて、またお酒を飲んで。
思春期の頃の小っ恥ずかしさも消え、大人として父と向き合うことができたような気がして、帰り道は幸せで胸がいっぱいになった記憶です。

そして、その日がまさに空が綺麗だと感じた日なのです。つまり強い感情と記憶は結びついているし、もしわたしがこの記憶を失くしてしまっても強い感情は残り続け、いずれ失くした記憶をも思い起こさせるのです。
この日があったから今があると言える日が積み重なっていくのです。きっとそんな毎日です。

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