見出し画像

洋楽の歌詞が深くて楽しい。Englishman in New York (Sting)

Englishman in New York(イングリッシュマン・イン・ニューヨーク)は、英国アーティストSting(スティング)作詞作曲の1980年代の名曲である。
有名な曲なので、歌詞の意味をご存知の方も多いと思う。タイトルを直訳すると「ニューヨークに住む英国人」。

この曲の歌詞を一言でまとめるならば、「自分自身に誇りを持ち、どこにいたとしても自分らしくあれ」という強いメッセージだ。

多くの方と同じように、私もこの歌を長年にわたって何度も聴いている。歌詞を見ながらいろいろと考えたこと、感じたこと、調べたことを記録に残しておこうと思う。


登場人物

この曲のビデオクリップに登場するエレガントな年配の人物は、Quentin Crisp(クエンティン・クリスプ)と言い、作者のスティングによると「この曲のメタファーとなる人物」である。

スティングはこの曲についてのインタビューで以下のように話をしている。(筆者抄訳)
「クエンティンは1960年代、イギリスで同性愛が犯罪だった時代にゲイであることを公表した非常に勇敢な人物だ。彼はいつも彼自身であり、1980年にイギリスからニューヨークに移住したあとも彼らしく華麗な装いをして、彼自身であることを表現し続けていた。
ニューヨークでクエンティンとは時折ランチを共にしたり、哲学的なテーマで長い時間語り合ったりした。彼はいつも言っていたよ。"Be yourself, no matter what they say(他人が何を言おうとも自分らしくあれ)" 彼の勇気ある振る舞いにはとてもインスパイアされた。この曲は彼の曲だ。」

元のインタビューはこちら ↓

スティングがクエンティンとニューヨークで会っていたのは1986年、この曲が発表されたのはその翌年の1987年。クエンティンをメタファーにしているが、当時ニューヨークに住んでいたスティング自身の曲でもある。

歌詞の和訳

歌詞の中には興味深いエピソードがいくつか含まれているが、まずは以下の標準的な和訳であらすじをご確認いただければと思う。いわゆる「正しい訳」ではなく、一部私の解釈が入っている意訳であることにご留意いただければ有難い。

I don't drink coffee, I take tea, my dear
I like my toast done on one side
And you can hear it in my accent when I talk
I'm an Englishman in New York

コーヒーは飲まない、紅茶がいいんだ
トーストは片面焼きが好きだ
ぼくが話すときのアクセントでわかるだろう
ぼくはニューヨークの英国人

See me walking down Fifth Avenue
A walking cane here at my side
Take it everywhere I walk
I'm an Englishman in New York

5番街を歩いている僕を見かけると
傍らにステッキを持っている
どこへ行くにも持ち歩くんだ
ぼくはニューヨークの英国人

(Whoa) I'm an alien, I'm a legal alien
I'm an Englishman in New York
(Whoa) I'm an alien, I'm a legal alien
I'm an Englishman in New York

ぼくは異邦人 合法的な異邦人
ぼくはニューヨークに住む英国人
ぼくは異邦人 合法的な異邦人
ぼくはニューヨークに住む英国人

If manners maketh man, as someone said
He's that hero of the day
It takes a man to suffer ignorance and smile
Be yourself no matter what they say

誰かが言ったように「礼節が人を作る」のならば
彼こそが時の英雄だろう
紳士たる者は礼儀知らずに笑顔で耐える
他人が何と言おうと、自分らしくいることだ

Modesty, propriety can lead to notoriety
You could end up as the only one
Gentleness, sobriety are rare in this society
At night a candle's brighter than the sun

謙虚さ、礼節は悪評に通じることもある
最後には全くの一人きりになるかもしれない
親切で節度あることはこの社会では珍しい
夜にはろうそくの灯りが太陽よりまぶしくなるのだ

Takes more than combat gear to make a man
Takes more than a license for a gun
Confront your enemies, avoid them when you can
A gentleman will walk but never run

真の紳士になるには戦闘服以上のものが必要だ
銃のライセンスをもっていても一人前ではない
敵には立ち向かえ、しかし無用な戦いは避けろ
紳士たるもの走って逃げず、悠々と歩いて立ち去るのだ

If manners maketh man, as someone said
He's that hero of the day
It takes a man to suffer ignorance and smile
Be yourself no matter what they say

Be yourself no matter what they say

誰かが言ったように「礼節が人を作る」のならば
彼こそが時の英雄だろう
紳士たる者は礼儀知らずに笑顔で耐える
他人が何と言おうと、自分らしくいることだ

誰が何と言おうと、自分自身であれ

自分の生き方を貫く難しさ

この曲の最も有名で重要なフレーズ、
Be yourself, no matter what they say は、先述のスティングの言葉にある通り、クエンティン自身の言葉だった。

サビの部分 "I'm an alien, I'm a legal alien" 「合法な異邦人」という表現が出てくるが、これはクエンティンが英国在住時にたびたび「違法な人物」として扱われたことを指している。

クエンティンがイギリスに住んでいた時は、日々無理解や差別に悩まされたそうだ。
彼がある日道を歩いていると、パトカーがゆっくりと付いてきたので、
クエンティンは警官に尋ねた。
Am I illegal? 私(という存在)は違法なのですか?)」
警官はこう答えたという。
Just wonder how the show is going.

"Show goes on" はショービジネスで用いられる表現で、「舞台などの上演が続くこと」を指す。
"Just wonder" は「どうなったかと思って」くらいの意味だろう。
つまり、警官は「芝居の続きはどうなってるのかと思ってね」「いつまで続くか見ものだな」のような意味で言っているのだが、Showという言葉を使っていることから、クエンティンのことを見世物としか思っていなかったのかもしれない。

クエンティン曰く
「(自分の罪は)グラマラスで、暴力的でなく、ちょっとスタイリッシュなものだ。最近は犯罪がグラマラスでない。」

※ Stingのアルバム Nothing Like the Sun のライナーノーツより引用

クエンティンはゲイではあったが、あくまでも自分自身であることを貫き、自分らしく生きることを望んだだけだった。攻撃してくる人々に対しても声高に攻撃し返したりはせず、自分のスタイルを作品や服装などで優雅に表現していた。その姿勢が"Manners maketh man"といういかにも英国紳士らしい引用で表現されている。

"Manners maketh man" は14世紀英国の聖職者、William of Wykeham(ウィッカムのウィリアム)という人物の言葉とされ、同人の創設したオックスフォード大学ニューカレッジのモットーになっているそうだ。
manners は上記の訳では「礼節」としたが、中世の英語では「社会に対して、他者に対していかにふるまうか」という意味で「礼節」よりは広い意味を指している。「その人の行動規範と礼儀作法がその人物の品格を形作る」ということになる。

複数のクエンティンの知人によると、クエンティンは彼らしい生き方ができるニューヨークでの生活に非常に満足していたそうだ。1987年にクエンティンはアメリカに帰化申請を出したが、数年後、結局故国イギリスに戻ることになる。彼の死後、遺灰はニューヨークのマンハッタンに散骨された。

At night a candle's brighter than the sun
昼には目立たないが、夜になると輝くろうそくの灯のように、イギリスで迫害されてもアメリカではオープンな態度で受け入れてくれる人がいた、ということのメタファーかもしれない。

英語学習者としての歌詞の楽しみ方

ヒットした洋楽の歌は、アーティスト本人のインタビューや雑誌の記事など、周辺情報が非常に充実している。

YouTubeのインタビュー動画を字幕付きで見たり、この歌に関する海外の記事やライブコンサートのレポートなどを英語で読むことで、楽しみながら生きた教材に触れることができる。

今は字幕の翻訳機能やAIを使って解釈を検索することもできるので、好きな洋楽の歌詞を材料にして、周辺情報を深掘りするだけで「読む・聞く」両方向の英語学習ができる。

歌詞のストーリーが見せてくれる景色も美しいが、スティングのソングライターとしての技術にも感動することが多かった。例えば次のくだり。

Takes more than combat gear to make a man
Takes more than a license for a gun
Confront your enemies, avoid them when you can
A gentleman will walk but never run

アメリカは銃社会。アメリカで「一人前の男性」と聞くと、筋骨隆々のいかにもケンカに強そうなマッチョな男性を想像する。

一方、イギリスはアメリカとは対照的に「英国紳士」と聞くと、知的で礼儀正しく、冷静な対応をする男性のことを指す。

combat gear と gun がアメリカのヒーローならば、mannerがイギリスのヒーローで、mannerを体現していたのがクエンティンだった、ということが歌詞全体に散りばめられている。

英国紳士そのもののクエンティンを受け入れてくれたのがマッチョなアメリカだったというのは皮肉な話だが、二つの国をうまく対比させながら、ニューヨークという代表的なアメリカの都市をイギリスらしい曲にのせているスティングも実に英国紳士らしい。

歌詞のストーリーを楽しむほかに言語表現としての楽しみ方もある。語彙や文法についてちょっとした気づきが見つかった場合がそれだ。

この曲の歌詞はほとんどが現在形で書かれている。
英文法では、普遍的なものや日常の決まった習慣など、「不変の真理」や「相当期間において一定の状態にある」というものごとについて、現在形で書かれることが多い。

この歌のテーマである "Be yourself, no matter what they say" も現在形だ。
「誰に何を言われても、変わらずにそのままの自分自身であれ」ということだからだ。

そんな中で、助動詞の力を借りてほんの少しだけ違う意味を持たせた箇所がある。具体的には couldwill が登場する以下の文である。

Modesty, propriety can lead to notoriety
You could end up as the only one
Gentleness, sobriety are rare in this society
At night a candle's brighter than the sun

can/ could は可能性を表すことができるが、canよりもcould のほうが実現可能性が低い。過去形にすることで、話している現時点から文章で表している状態まで「距離」が生まれるためだ。推量として使う場合もcouldは確信度合いが低い。

私の個人的な解釈だが、
"You could end up as the only one" を現在形で
"You end up as the only one” と書いてしまうと、
「結局は自分一人だけになる」と断定形になってしまう。「一人だけにならずに仲間があらわれるかもしれない」などの可能性があることを示すために could があるのではないかと思った。

同じように、助動詞 will の働きも興味深い。

willは未来・意志・推量・習慣を表すことができるが、こちらは would ではなくwillを使っているので、助動詞の意味を弱めずにニュアンスを追加していることがわかる。

Takes more than combat gear to make a man
Takes more than a license for a gun
Confront your enemies, avoid them when you can
A gentleman will walk but never run

"A gentleman will walk but never run"
「紳士たる者、走って逃げずに(歩いて)立ち去るものだ」というこの文には、will が持つ意志の力を感じるし、紳士は”いつも”そうするものだ、という習慣・反復の雰囲気も感じる。

ここをwould にしてしまうと
"A gentleman would walk but never run"
「かつて紳士は走らずに歩いて立ち去ったものだった」や「紳士なら通常は走らずに歩くだろう」となって「昔はよかったのに今は違う」のように聞こえてしまったり、(少人数かもしれないが)走って逃げる紳士がいる可能性さえ出てきて、「現在も紳士はそうするものだ」と言い切っている原文のニュアンスが薄れてしまう気がする。

このような深掘りはしなくてもいいと言えばいいのだが、歌詞が表す感情表現を追いかけていくと結構楽しい発見がある。ドラマのセリフや小説のお気に入りの一文など、ちょっと気になった一言が思いがけずに言語の広がりを教えてくれる。

こういう楽しみのヒントを与えてくれるのは、多くの場合は紙の辞書である。見出し語の代表的な意味だけでなく、関連表現や図解、頻度の低い使われ方などが、パッと開いたページに一度に見渡せるので、ついつい関係のないところまで読んでしまう。

語学学習には終わりがない。いつも同じペースでトレーニングしていると息切れしてしまうので、たまにがこういう脱線めいた気分転換を取り入れながら楽しく継続していきたい。


最後までお読みいただきありがとうございました。
洋楽歌詞の深掘りは私にとって、書いていて一番楽しいテーマなので、今後もボチボチ進めていきたいと思います。もしご興味ありましたらまたお越しください。
(ちなみにこの記事のトップ画像は、ニューヨークを旅行中に撮影した、とある街角です。)


この記事が参加している募集

サポートいただけましたら、今後の活動費にありがたく使わせていただきます。 今後も楽しい記事をご提供できるように、努力していきます。(*‘∀‘)