noteの隣人を紹介するから、とにかく最後まで読んでほしい。

ほんとね、思うわけです。

「お前みたいなのが何を言っとんねん、ボケコラカス」って思われてたら超恥ずかしいなぁ、って。



ただ、お願いだからこの記事は、
最後まで読んでほしい。


毎月29日は、私が「この人は」と思うnoteの隣人を紹介する、という決まりを作っている。

リトさんに始まり、クセスゴエッセイさんなじゅなさんと続いてきたこの紹介シリーズも、今月で4人目である。


▶︎前回の隣人紹介記事はこちら
(2022年12月29日)



今週の札幌は寒かった。というか、日本全国寒かった。まだ寒い。そんな底冷えするこの季節に、今月は胸がぽかっと暖かくなるお方をご紹介したい。


今からご紹介させてもらう方の記事を最後まで読めば、平日21時のホットココアを飲んだときよりも暖かくなることを保証する。


その方が保証してるわけではない。
何者でもない私が勝手に保証する。


では、いきましょうか!


▶1.多くの方に読んでほしい記事

『受話器の向こう』

〈引用〉
>夫とは恋愛結婚でもお見合い結婚でもない。大学の同期でよく知ってはいたが、学生時代にお互い恋心があったわけでもない。

卒業して10年ほど経ったある日、ひょんなことから電話をかけることがあり、そこから大体一日置きくらいに電話で話をするようになった。

お互いの住む場所が離れていたので、特に会うこともなく電話のみ。
(以下略)


まずみなさんに、
この記事の文字数を教えて差し上げたい。


703文字である。


さらりと読める。さらりと。

なのに鮮やかである。

この記事は、とらふぐ子さんの「結婚に関するエピソード」である。結婚ってどうしてこんなに爽やかで暖かな気持ちになれるんでしょう。

既婚者の方や、恋人やパートナーがいる方は、ぜひご自身だけのエピソードを胸に秘めておくに留めず、こういう場所で教えてほしい。結婚マウントだとかは、ここでは気にせん。


703文字で綴られたとらふぐ子さんの『受話器の向こう』は、読後感がすごい。語彙力を失う。

最後の1行で全てが理解できる。
注目すべきは最後の1行。
ここでは書かない。

読み終わった後に感じる、とらふぐ子さんの夫婦関係に思いを馳せると「はぁ〜」となること請け合い。


どうでしょう、みなさん。

これは私の癖なのですが、文章を書く時、エピソードを書く時って、全てを説明したくなる自分がいませんか。だから文章量が多くなりませんか。

あ、私だけですか。

細かく説明するのって、情景を想像していただくためには必要なものだとは思うんだけど、ホンモノは余白を残す気がする。想像の余白、バッファってやつ。ショーシャンクのラストみたいな。


『受話器の向こう』は、もうタイトルからして、想像の余白がありまくる。受話器の向こうには誰がいるんだろう、何を話すんだろう、という余白。その時の感情は? という想像を掻き立てる。

私には書けない。
私にはこんな余白がある文章が書けない。


以下から、私が「なぜ」そう思うのか?
を解説してみよう。


▶︎2.記事について独自解説


〈記事のあらすじ〉
筆者のとらふぐ子さんは、この当時、大恋愛の末に大失恋をしていた。ひょんなことから大学時代の同期の異性と定期的に電話でお話をする関係になる。当時の2人の間には恋心があったわけでもないらしい。

何度かの電話を重ねて、受話器の向こうの異性は「俺が面倒みちゃる」というようなニュアンスの言葉をとらふぐ子さんに放つ。「いやいや」と思いつつも、そこに違和感はなかったらしい。

過去の大恋愛で元カレから言われた言葉がトラウマだったとらふぐ子さんは、受話器の向こうの彼にある質問をする。すると…。

この記事のエピソードは、
今から20年近く前のものらしい。

繰り返すが、この物語には想像の余白がある。年月を想像させる余白である。スッゲェいいの。703文字でここまでの気持ちにさせてくれてありがとうございます、と言いたい。

もう1回書く。私にはできない。

詳細な描写がほとんどないのもまたいい。
描写は少ないけれど、登場人物の心は見えてくる。


とらふぐ子さんの文章は、さらりと読めるのが特徴である。文体はやさしく、洞察もやさしさに溢れている。好きだ。この記事も好きだ。

<引用>
その日もお昼過ぎから夕方まで、みんなでわちゃわちゃ遊んでいた。

夕焼け空になった頃、誰からともなく「じゃあまた明日ねー」と声をかけ合い、それぞれ部屋に帰っていった。

私と娘が最後に残った。
「さ、帰ろ」
娘を促したが、一向に帰ろうとしない。
終いには突っ立ってわんわん泣き出した。

「もうご飯よ。みんな帰ったよ?」

それでも泣きやまない。



才能に優劣はないけど、自分が持っていないものを持っている方にはやっぱり憧れる。

私がnoteを書き始めて、約7ヶ月が経過した。

毎日記事を書いているから、書き始めた頃よりは、まだ読むに耐えうるものになったかと勘違いしているけど、全然修行が足りてない。


え、私って何を目指してるの?

『受話器の向こう』は何回でも読める。もう、サイドストーリーを創作できそうな気配すらある。本当にいいんです。お願いだから、とらふぐ子さんのこの記事を最後まで読んほしい。


【ダメ押し】未読の方は読んでみてね


▶︎3.隣人のプロフィールを紹介

noteネーム:「とらふぐ子」さん
note初投稿日:2022年1月10日
ジャンル:エッセイ / つぶやき

自己紹介文:
こんにちは。言葉が好きです。お笑い、ロック(圧倒的)なもの・人も好きです。試行錯誤ののち、なんとかnoteさんに“ようこそ”してもらえたものの、右も左もわかりません。よろしくお願いします。

なぜ、とらふぐ子さんという名前なのかわからない。でもそんなことはどうでもいい。最近は記事ではなく、つぶやきを中心にnoteで不定期投稿されているが、そのつぶやきすらも素敵な気持ちにさせてくれる。



ちなみに、昨日の記事も最高だった。

〈引用〉
奥手だったとは言え、気になる子がいるというのはいろいろモチベーションが上がるもので、部活の時間が待ち遠しかった。バスケ自体がすごく楽しかったし。

『両片思い』は周りにバレバレなのが定義。ケンちゃんとつるんでたミヨッチャンも、私の親友も冷やかし気味に応援してくれていた。


プロフィールを見れば
「言葉が好きです」と書いてある。


言葉を大切にされている方なのだな、というのが記事からありありとみて取れる。

「名は体を表す」という言葉があるが、思うに「文章は人格を表す」んだなぁ、と思わせてくださる方、それがとらふぐ子さんである。


▶とらふぐ子さんのnote初投稿記事はこちら


このつぶやきが初投稿であり、このつぶやきからして、もう、とらふぐ子さんの人格が伝わってくる。その人格を真として崇めるのは少し危ないけれど、自分の周りにはとらふぐ子さんのような方がいてほしい。


▶︎4.おわりに

なんかいいんだよなぁ。

もちろん、紹介させてほしい方々はたくさんいる。みんな素晴らしい文章をお書きになる。

私がなまけて発見できていないだけで、まだまだ多くの方々がここにいらっしゃるんだろうなぁ。

それぞれの文章を読めば、その人が何を大切にしている方なのか、何を考えている方なのかは、おぼろげに分かる気がする。

健全なる精神は健全なる身体に宿る。


きっと、とらふぐ子さんは、健全なる精神の持ち主なんだろうなぁ、なんて思いながらこの記事を結ぼう。



来月は2月なので、
2月28日にどなたかをご紹介だ!



<あとがき>
気づいたら、この紹介シリーズも4回目です。許可も取らずに勝手に書いて勝手に賞賛しています。こうやって紹介されることに抵抗感を持つ方はいるのかなぁ、なんて相変わらず思いながら、でも書いちゃう自分の不甲斐なさ。やっぱり昔書いた通り、美味しいラーメン屋さんは誰かにオススメしたくなるものだよね。最後までありがとうございました。

【関連】とらふぐ子さんの記事をおかわりするならコレ

<引用>
もちろん長い人生においては、逃げた方がいい場合もある。実際ほんとうに無理な時は逃げた。
だが、ちょっとした恐怖、葛藤、ためらいは、えい!っと向かっていった方が楽なこともあるのでは?


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