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受話器の向こう

夫とは恋愛結婚でもお見合い結婚でもない。大学の同期でよく知ってはいたが、学生時代にお互い恋心があったわけでもない。

卒業して10年ほど経ったある日、ひょんなことから電話をかけることがあり、そこから大体一日置きくらいに電話で話をするようになった。
お互いの住む場所が離れていたので、特に会うこともなく電話のみ。
なんせ学生時代ぶりだから、まずはお互いの近況など語り合った。三十路も過ぎて彼氏もいない私を憐れんでくれたりもした。自分だって1人もんだったくせに。

そのうち「俺が面倒みちゃる」みたいな話になった。いやいや…と思いつつ、違和感がなかったのも事実だ。

実はこの数年前、私は大恋愛の末の大失恋をしていた。その時元カレから言われた「からだもココロも弱くて…」と言う言葉が忘れられなかった。身の縮むほど情けない思いをしたものだ。

さて、『俺が面倒みちゃる話』がいよいよ本気っぽくなってきた時、私は聞いてみた。
「もし、私が頑張れない時があったらどうする?」
そう、過去の弱くて頑張れない自分へのトラウマがあったから。また突き放されるかも知れない怖さがあったから。

夫(となる彼)は言った。

「座っとけ」

へ?
意表をつかれるとはこの事。しばらく(たぶん数秒)次の言葉が出なかった。

でもなんだかホッとした。
救われたような気持ちになった。

初めて電話をかけてから3ヶ月ほど経っていた。私はこの電話だけのやりとりでほぼ結婚を決めていた。博打に近いものがあるが、それを言うなら向こうも相当な博打打ちだ。

その月末に、私は夫(となる彼)に会いに行った。これってお見合いかな?なんて2人で笑った。

***

あれから20数年、ひとり娘ははたちを迎えた。

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