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5年越しの初デート

高校3年の春休み、私はケンちゃんと初めてのデートに行った。後にも先にもこの一回きり。
お互い東京に進学先も決まっていて、卒業式も終わっていたと思う。

ケンちゃんとは同じ中学の同じバスケ部だった。クラスは一緒になったことはない。
中1のいつ頃からだったか、ケンちゃんと私は、今で言う『両片思い』だった。
当時の私は、それはまあ幼くて。
クラスの子が「付き合う」だ「別れた」だ言ってるのがどうにもピンとこず、「別れる」なんて、大人が離婚する時に言う言葉だと思っていた。
好きか嫌いか。片思いか両思いか。そういう感じ。
ケンちゃんはズボンとカバンはヤンキーだったけど、別にワルでもなく、明るくて女子にも人気があった。
私は学級委員とかするタイプ。しかも1学期ではなく2学期。私の親友が不動の1学期委員長だったから。余談である。

奥手だったとは言え、気になる子がいるというのはいろいろモチベーションが上がるもので、部活の時間が待ち遠しかった。バスケ自体がすごく楽しかったし。
『両片思い』は周りにバレバレなのが定義。ケンちゃんとつるんでたツヨシも、私の親友も冷やかし気味に応援してくれていた。

そのまま中2になった。
私も「付き合う」などの言葉にもだいぶ慣れ、実際周りでは先輩とか同級生と付き合い出す子が増え、学校終わりに一緒に帰る姿をあちこちで見かけた。

一向に進まない私とケンちゃん。
でもやっとその日が来た。

部活が終わって、体育館前でひと息ついていたら、バスケットボールを抱えたケンちゃんが近づいてきた。少し離れたところでツヨシが様子を伺っている。私の隣に座っていた親友はサッとその場を離れた。

「付き合うてくれん?」

ケンちゃんが言った。頷く私。
親友が「キャーー!」と言ってその辺を走り回った。

というわけで、やっとこさ『両片思い』は解消された。めでたしめでたし。

ところが、私とケンちゃんは、いつまで経っても一緒に帰ることが出来なかった。
恥ずかしかったから。
ツヨシを通して手紙のやり取りはしたが、直接2人で話しをしたことはない。
恥ずかしかったから。

ましてやデートをや、である。

(手紙のやり取りはそれなりに楽しかった。受け取ったあとトイレにダッシュし、ニマニマして読んだものだ)

誕生日のプレゼントはなんとかお互い渡したのだろうけど、その辺の記憶は曖昧だ。
今思うとケンちゃんも相当ウブだった。見た目と反して。

その頃、聖子ちゃんの『赤いスイートピー』が流行って、毎週ベストテン入りしていた。まさしく「付き合った日から 半年過ぎても あなたって手も握らない」状態だった。
私は自分のことは棚に上げ、煮え切らないケンちゃんに不満を感じ始めていた。

こんなん付き合ってる意味ない!

そしてある日、私はお別れの手紙を渡した。たぶん直接じゃない。友達に託して。その時点で全くケンちゃんを責める権利はない。

こうして中学生の私たちの「お付き合い」は終わった。

時は過ぎ、別々の高校に進んだ私たちだったが、一度、ケンちゃんの高校の文化祭に誘われ、友達と連れだって遊びに行ったことがある。その時は、にこやかに何かしら会話をしたと思う。少し大人になっていたのかな、お互い。

さらに時は過ぎ、冒頭のケンちゃんとのデートの前に、中学の同窓会があった。そこでツヨシに会った。ケンちゃんは来てなかったが、ツヨシから連絡先を聞かれた。ツヨシがケンちゃんに伝えたのだろう。後日ケンちゃんから電話がかかってきた。初めての電話。当時、携帯電話なんてなかったから、家にかかってきたわけだが、勇気が要っただろう。
文化祭の時よりさらに成長していたのか、会話はスムーズに進み、私たちはデートの約束をした。

初デートは地元の城址公園に行った。
風情のある園内を歩き、茶屋の様な長椅子に座って休憩した。
「あの時はごめんねー」
「いやいや、こちらこそ」
2人とも笑顔で。和やかに。特に緊張や照れはなく、自分たちがどれほど幼かったかをお互いに詫びあったりした。
ちゃんと顔も見れた。

約5年越しの初デート。なんだかとても清々しかった。楽しかった。
お互い東京に進学するし、またお付き合いが始まることも無くは無かったのかも知れない。デートのあと、実際それっぽい手紙ももらったが、そういう風には持っていかなかった。私がそうしたその心情は、今もうまく説明できないけれど、最後にバスケットボールの写真ハガキに、それぞれ頑張ろうみたいなことを書いて出した。そのあと、ケンちゃんからの連絡はない。

      * * *

今ケンちゃんに会ったら伝えたいことがある。
あの時ケンちゃんが大好きだった矢沢永吉のカッコよさ、今ならすっごくわかるよ!






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