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心の糸、プッツンになる前に

ガス欠になってしまってからは、人って案外普通に「やめたい」「死にたい」とか平気で考えると思うんだ。ほんとにほんとにどうしたら良いか、不安に駆られて先が見えなくなると全部の終わらせ方とか考え出す。

性格やそれまでの生き方によっちゃ、本当に終わらせてしまう。
それが自殺です。

人間は心底、弱い生き物であり、そして仕方ない時代でもあると感じる。

心の病って

適応障害はじめ、自律神経失調症などが多くみられるかと思う。
新型うつや鬱の一歩手前とも言われて、時には周りから厳しく『甘えだ』と言われることもある。非常に難しいところだと思います。

心療内科の先生から丁寧に聞いたのは、頼みを断れなかったり感情を押し殺してしまいやすい人(我慢癖が無意識にできてしまった)や責任感の強い人がなりやすいとのこと。

またそれまでの生きていた過程で何らかの拗れ、育ちの環境などがきっかけで芋づる式となって出てくる事もあるそうです。

単純に環境との不一致の場合は、仕事場所や組織など環境の配置を改善すると早くて3ヶ月程で前向きになれるとのことです。前者のように合併症になるとやや複雑です。

症状ですが、これも個人差がある。


こういった病を、前田裕二さん的にめっちゃポジティブにお伝えすると、【自分の思考パターンや人生の価値観を知れるきっかけ】だと今は思える。
(※ただ、今まさにの方や症状が重い人などにとってはとても苦しいのでこんな流暢な事と思えないはずです。)

私自身について

当初(1年2ヶ月前)、ITの総合商社で会社員でした。新規事業立ち上げへの抜擢により、自分自身の喜びと周りからの期待を持ち挑んだものの、人間関係の拗れとタスクのキャパオーバーで体調を崩しました。あと私の場合HSPの気質も少しあると思います。(ご興味があればぜひ↓)

心療内科へ行き、バームテストなど心の状態がどうかをチェックする質問に大量に答えた。はじめましてのおじいさん先生に、症状の経緯や感情を初めて口にしたとき、なぜか涙が止まらなかった。というか止められなかった。落ち着いた頃に先生から丁寧に紙と鉛筆で説明を受けた。

「あなた、何が起きても自分のせいだと思っているでしょ。そしたらね、焦ったり色々考えてそれでもわからなくて、また責めるね。そのうち頭痛くなるね。吐き気が出たり…」と続ける。
「これが考え方の癖、そして症状のサイクルです」と一言。そして抗うつ薬、精神安定剤、入眠作用薬、睡眠持続薬、頭痛の緩和薬など、沼に落ちかけた私を一通り助けてくれそうなお薬を文字通り山ほどくれた。

私は「はあ」とか「ふーん」とか言いながら最後の沈黙に耐えられなくなってとうとう「え?これって普通じゃないんですか?」と本音が口からこぼれました。

こうやって生きてきたから、「へ?」なんて腰抜けな言葉しか出なかった。
顔色の変わらない私に呆れて「あなた頑固だから、とりあえず騙されたと思って医者の言うことを聞きなさい。」とか、もはや叱られた。

という訳で、まずは自分のCPUが正常に機能しているかどうかを見極める所から直していかないといけないことが分かった。


ここからは今でも行っていることをご紹介します。

心のクセ直し

認知行動療法では感情の吐き出しとして日記帳に書き起こしたり、このnoteも活用している。認知行動療法にはいくつか方法がある。また私は統計をとって分析したことがないので「効果が必ずある」と断言できるわけではないけれど、個人的には結構いいなと思っている。
無理なく、できるだけ平均的に継続できる方法が見つかればそれで幸いだと思います。

ちなみに私は本一冊独学で行なっています。グループでの開催機会も推奨されたけど、「なら一人でやってやる」という謎の意気込みで、いそいそと大型本屋へ向かった。
今考えると、切り替えの早さは本当に驚くほど機能していたわけだから人間って不思議だなあとつくづく思う。

①なにが起きてどう感じたかを書き留める
②自分を褒める
③考え方の傾向を知る
④別の考え方の傾向がないか探る
⑤①〜④を書き残し、見返すことができるように整理する

私はこのステップを基盤として行なっています。が、正直めんどくさいなと思う日もあったりすると③や④で終わることもある。そのくらいでも、いいのではないかと思っています。

もう1つは、『〇〇しすぎていることに気付く』こと。

適応障害になりやすい人の傾向としてがんばる事へのエネルギーが比較的強いかただと思います。スイッチをオンにする、とよく表現されますがスイッチ自体固く重いもので、それを「バチン」とオンにしている。これを滑らかに回る照明のスイッチみたいに、Highにならないように、仕組み自体を変える。『〇〇すぎる』ことに気づいて、出来るだけニュートラルに、

できるかできないかは、まあ、置いておこうね

身体のクセ直し

色々なきっかけでヨガやピラティス、ストレッチ、入浴、マッサージなど自分の身体に心を向けるようになり始めた。
美意識が高いとかよく思われるけど、私にとってはどちらかというとメンタル面のセルフケアに近い。
これらによって呼吸の浅い深いなど今まで意識していなかったことまで少しは気にできるようになったかと思ったり、できない日も多いです。
むしろまだうまくできないことばかりだけど、なにも動かなかった頃よりはすごくマシで、いかんせん【気持ちいい】【スッキリ】という感覚が呼び戻された気がします。

面白いことに身体へ矢印が向くと心のベクトルも柔軟に変容したり、ギュッと狭まった視界がまるで景色を見渡す様な緩やかな感覚に変わった。
ちなみにこれらには、多くのいい人・先生、そして出来事に出会ったことがとても大きいです。また、noteにて同じように悲しんだ人の心の声を見た(聞いた)ことで私だけじゃないらしい!と思えたことも大きい。

自分を満たす

これは単純で、好きなこと、楽しいと感じることをして自分を労わることを全力でやってみる意識をし始めた。物事の判断において、『自分が嬉しくなるか』『自分が少し楽になれるか』を気にするように。

もちろんバランスが重要だったり、仕事内容や生活環境など難しいかもしれないですが、これもできるかできないかはおいてみて、意識してみるだけで自分の傾向がわかるかもしれない。

去年の夏、ラジオで聴いたこんなエピソードが結構印象に残っていて。

写真家の蜷川実花さんが、
「定期的に自分のとった写真を見返すようにしている。ああ、最近何色の花をとっていることが多いなとかがわかると、気分やコンディションに気づき仕事のパフォーマンスに関わるから」と。

居心地のいいことをできればしたいですが、毎日がそうであると麻痺しやすくなる。だからこそ「今どうか」を見つめる姿は大事なことだなあと思う。


当時の私の症状として、頭を縛られるような強烈な頭痛で意識を失いかけました。
ZIPが終わった時間に家から出ようとするとトイレに向かい嘔吐感と闘う。ようやく家から出られても、乗る電車をみると無意識に足が留まってホームのベンチに座っている。
とったばかりの新規商談のアポをすっぽかして泣きながら走った。先方が非常に良いかたで救われたのが本当によかったけれど完全にまずいですよね。
全ては緊張性からくる頭痛、焦燥感、倦怠感、注意力欠乏や散漫という〝症状〟でした。

全部仕事に対する使命感に振り回されていた。そう、振り回されていた。だけど仕事自体は好きだったんです。だから振り回されているなんて気付かなくて。

辞めてからは仕事用の服は全部捨てて着たい服を着て外に出る。
不定期に時間がとれて、大好きな映画や海外ドラマに費やすことができる。会いたい人と会うために連絡をする。なんなら国内旅行も3、4万あれば行けちゃう。好きなもの、人に『好き』と伝える。
苦手な場所は様子を見ながら避けられそうなら避けてみる。

幸福度は明らかに高くなったと思える。
自分の内側から湧き出る欲に少し積極的になれるようになったから。
理論じゃなくて感覚に重点が置けるようになれたから。(人間関係に関してはまだまだ絶妙なラインを探っているけれど)

最後に

ここまで読んでくださって、ありがとうございます。

もし、何かできることがあれば、例えばもう少し詳しくこのような記事を書きます。というかnote少し書いていなかったので書いていこうと思います。

死にたくなるような日があっても、とびきり嬉しい日があっても、あたたかい文字を残せるようになりたいなと、思っている。



世界はけっこう、寒くて、つめたいからね。

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