蛙の子は蛙、毒親からは毒親しか生まれない①

今日は、私の家庭環境について書いていきます。
書くと色々と長くなりそうだな〜と思ってはいるのですが、
自分の心の中と向き合うのに、
こうやって文字にしたことがなかったので
思い出すこと色々書いていきたいと思います。

「毒親の子はみ〜〜〜んな毒親」と
決め付けているわけではありません。
少し気長にお付き合いください。


私は、一人っ子で、両親祖父母からは
とても愛されて育ちました。

母は、私を妊娠するまで父と同じ会社で働いていました。
「総合職」という言葉はまだなく、女性はお茶汲みが
一番の仕事、そんな時代に全国駆け回りガンガン仕事をこなす
キャリアウーマンで、母自身もそんな自分が誇りだったようです。

そんな順風満帆なキャリア生活の矢先、私の妊娠。
「なんで今なの〜?!」と思ったと、大人になってから
食事の席で軽く言われて初めて
「あぁ、そう思ってたんだな。」と知りました。

幼少期に転勤で祖父母の家から遠いところに住んだため、
年に1、2回帰省するくらいでずっと家族3人で過ごしました。
父親は仕事が多忙で夜は遅く、また海外転勤が多く、
あまり家にいませんでした。会社は繁華街にあったため
通勤は1時間以上かけて行っていました。

そうなると、母親は、慣れない土地で
ワンオペで私を育てることになります。
息が詰まったんでしょうね。
結構ヒステリックに私にあたっていたようです。
さすがに幼稚園の時に怒られまくった記憶はないのだけれど。

私はかなりおっちょこちょいの忘れん坊で、典型的なうっかり者。
片付けとかも苦手で、どこに何を片付けたかわからず
常に探し物をしているような出来の悪い人間で、
小学校に入っても毎日のように忘れ物をしたり、
母親に出すはずの学校からのプリントを渡しそびれたり、
そんな子供なので、まぁいつも母親に怒られてましたね。

怒り方は、非常にヒステリックで自分の怒りとイライラを全力で
私にぶつけてきました。くどくどと何十分も座らされて
叩かれて突き飛ばされながら説教された事もあります。
叩かれて鼻血が出た事もあったな。
一回だけだけどショッキングだったので大人になっても覚えています。

物を投げられたりもあります。硬いもの、鋭利なもの。
包丁を投げられた時は怖かったな。
そんなに投げたくなるほど腹が立ったんでしょうね。

「今日は怒られることはもうないかな、
もう全部しなきゃいけないこと終わったな。」と
自分で一応確認してヨシ、と思って
「今日はもう寝ます。おやすみなさい。」と声をかけると
「あなた、○○はどうしたの?やったの?」と言われ、
あ、、、、忘れてた。。。。と。それから
「なんであなたはそうなの?!ちょっとそこに座りなさい。」
と始まり、ア〜〜〜〜やってしまったと思ってももう後の祭り。

時には布団に入った途端いきなり布団を剥がされて
「○○やってないじゃない!!!!」と怒鳴られたり。

怖かったな。


そして、そんなことよりも私がもっと嫌で
トラウマ的なことが、この家庭にはあったのです。

次回また書きます!


毒親を克服して、親子関係の改善をし、ゆくゆくは同じような辛さを感じている方をサポートできるような仕事をすることを目標にしています。サポート頂けますと嬉しいです。