映画を観て、ウクライナの人・文化・言葉を知る〜映画『アトランティス』を観て考えたこと。
前東京国際映画祭ディレクターの矢田部吉彦さんが代表を務める『ウクライナ映画人支援上映 有志の会』主催の、「ウクライナ映画人支援緊急企画:ヴァレンチン・ヴァシャノヴィチ監督作品上映会」に参加した。
本プロジェクトの概要をサイトから引用すると…
「ウクライナの映画人へ支援を行う」コンセプトに共感したのと同時に、「映画を通してウクライナを知りたい」という気持ちから、本プロジェクトを支援させていただいた。
これまで私は、ウクライナ映画を鑑賞したことがなかった。それどころか、ウクライナがどの辺に位置し、どんな文化があるのかさえ把握できていない。映画を通して、ウクライナ人が話す言葉や住んでいる場所、文化を知りたいと思ったのだ。
そして今回、プロジェクトに参加し『アトランティス』に出会ったことで、さまざまなことを考えた。この、"考えたこと"や"知ったこと"をひとつずつ頭の中から取り出して、言葉にしてまとめていきたい。
言葉にすると薄っぺらくなってしまうけれど…言葉にしなければ誰にも伝わらないと思うから。
ヴァレンチン・ヴァシャノヴィチ監督の『アトランティス』という作品について
『アトランティス』は、2019年・第32回東京国際映画祭コンペティション部門に出品され、審査員特別賞を受賞した作品。東京国際映画祭で上映された後は日本で劇場公開されることはなかった。
先ほど私は「ウクライナ作品を観たことがない」と述べたが、そもそもウクライナ作品と出会える機会が少なかったのかもしれない。
本作品は、近未来(2025年)の、ロシアとの紛争が終結した直後のウクライナが舞台である。戦争で深いトラウマを抱えた元兵士・セルヒーが、土中に埋められた身元不明の遺体発掘に携わる女性・カーチャと出会い、自身の過去やこれからについて向き合っていく作品だ。
カメラが静かに映した「戦後」のようす
『アトランティス』は、戦争直後の人々の様子を静かに映す。
地雷を撤去している人々、戦争時のトラウマにうなされて眠れない元兵士、地中に埋められた兵士の遺体を発掘するボランティアの人々、地雷がある地域だと知らず、誤って踏み入れ爆発に巻き込まれてしまった人々…。
楽しそうに笑ったり、夢を語ったりしているカットはなかった。
土地は荒廃していて、完全に地雷を撤去したり、土地を耕すまでには数10年
かかりそうだ。もしかすると、元通りの状態に戻すのは1人の人間が一生懸けても無理かもしれない。
紛争は終わったが、みんなそれぞれ「地獄」を背負って生きている。嫌でもやってくる「明日」のために、自分ができることをしている様子だった。
だが「人々が、復興を信じて動き続けている」状態こそが、唯一の希望なのかもしれないと思った。他の国に移住せず(できない、の方が正しいかもしれないが)ウクライナに留まり、再び国が元に戻ると信じて行動している様子に、胸を打たれた。
私は戦争を知らないし、戦後どうやって日本が復興したのかもわからない。なので簡単に「リアルだった」と言ってはいけないと思う。が、あまりにもリアリティのある映像だったと思う。ドキュメンタリーを観ているようだった。
ドキュメンタリーだと感じた理由のひとつは、劇中に「音楽」が流れなかったからだと思う。自然音や人々の会話だけが、音として映像の中に入っている。映像は静かに、人物たちを映していた。
「日本語だけで映画を観ていても、世界の一端しか触れることができない」
映画の上映が終わると、矢田部さんと、筑波大学の梶山祐治先生(ロシア文学がご専門)のアフタートークが始まった。このアフタートークが、ウクライナを理解するためのきっかけになったと思う。
梶山先生は、ヴァシャノヴィチ監督を「言葉ではなくて、映像で語る監督」だと表現していた。「寡黙な映像で観客に考えさせる映画作家」だそう。
言葉が少なくて説明がないからこそ、観た人が、何が起きているか考える。「考える思考のプロセスを生じさせるのが彼の作品の特徴」と梶山先生がおっしゃていた。
アフタートークの中では、他にもたくさんのウクライナ映画を紹介してくださった。膨大な作品リストが並んでいたが、日本で公開された作品はごく僅かなんだそう。
この言葉が、ずっと心に残っている。ウクライナ映画に限らず、私が日頃目にしている(名前を聞いたことがある)作品は、世界中で公開されている作品数と比べると、ごくごく僅かでしかないのだろう。
そもそも、情報をキャッチアップしようとしてこなかった。たまたま見たり聞いたりして「面白そう」と思った映画しか観ようとしなかった。
もっと積極的に、映画を見つけに行かなければならない。
トーク中に紹介していただいたので、5月公開予定のウクライナ映画『ドンバス』は観にいく予定だ。
本来であれば豊かな文化が混ざり合うロシアとウクライナ
梶山先生によると、ウクライナでは、ロシア語が母語のウクライナ人多いらしい。ゼレンスキー大統領も、ウクライナ語で話しているが、本来はロシア語の方が得意とのことだった。
「ロシア語とウクライナ語は必ずしも対立するものではない」「ウクライナ語とロシア語は、本来は豊かな文化背景が混ざり合い、コスモポリタンな文化が花咲いていた」と梶山先生はおっしゃっていた。
ウクライナがソ連から独立した1990年代は、ロシアとウクライナが共同制作した作品が多いとのこと。お互いが協力して、復興していったのだ。その姿が一刻も早く見られることを祈っている。
ロシアの文化も尊重する
注目するべきなのは、ウクライナ作品だけではない。「ロシアのアーティストたちも苦境にある」と矢田部さん。
梶山先生いわく、今のロシア映画は面白いらしい。というのも、若手監督たちが「反戦」をテーマに映画を撮っているからだ。ロシアではタブーである、シリア内戦の様子を撮っているという。
「ロシアだから」と一括りにして、文化などを闇雲に排除してはいけないと思う。ひとつの作品として向き合い、適切な評価をくだすべきだ。
ロシアの文化人から「反戦」のメッセージ
ロシアの映画雑誌編集長のアントン・ドーリンさん、俳優のユリヤ・アウークさんなど、「反戦」を表明しているロシアの文化人(もちろん、文化人だけに限らない)はいる。
ただ、ロシア内で「反戦」と声を大にして言うことができないことが現状だ。著名人たちは「反戦」を表明したあと、他国に亡命している。
ただ映画を観ているだけでいいのか?の答え
連日テレビで報道されているウクライナの被害状況を見ていると、胸が苦しくなる。同時に、何もできない自分にやるせなさを感じる。
そんな時に見つけたのが、本プロジェクトだった。「ウクライナの映画人を救いたい」一心で参加した。
だが、苦しみながら戦っている人がいるのに、自分は映画を観ているだけでいいのか、というジレンマもあった。
自分の葛藤が少しだけ軽くなったのは、『アトランティス』上映前に流してくださった、ヴァシャノヴィチ監督によるコメントである。
大変な状況の中でも、私たち日本人の鑑賞者のためにメッセージを残してくれたのだ。そして、最後に監督は「映画をお楽しみください」という言葉で締めくくったのだった。
「ただ映画を観ているだけでいいのだろうか」と感じていたが、「映画を観て、知ること」こそが監督がカメラを回した意味かもしれない。
ヴァシャノヴィチ監督は、カメラを持って戦っている。きっと今日も、どこかでカメラを回しているかもしれない。
映画を通して、想像できる。
アフタートークの終盤で、梶山先生が「ウクライナ作品を、日本人の観客が集まって観る意味」について話していた。その言葉が印象的に残っているので、ここで紹介させていただきたい。
梶山先生いわく、ヴァシャノヴィッチ監督の映像のように「考える思考のプロセスを生じさせる」触媒となるのが優れた映画である、とのこと。
全てがわかりやすく描かれている作品から学ぶことは、もちろんある。
だが、「想像しなければ、わからない」作品をこれから多く観て、考えていきたいと思う。
最後に、本プロジェクトの応援メッセージとして寄せた、映画監督の今泉力哉さんの言葉を紹介して、このnoteを締めくくりたい。
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