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「僕が読みたいから書く」、文章を書く理由なんかそれで充分さ
noteを書いていると、「なんだか上手く書けないなあ…」とよく考えます。
次に何を書こうか分からなくなったり、適切なワードがでてこなくなったり。
そしたら、こんなことも考えてしまうんです。
「文章上手い人は他にもいるんだから、自分の文章なんか読まれない」
「読まれない文章を、なぜ書くんだ?」
…この問いに対して、今朝ぼんやりしているときに答えが出ました。
自問自答になりますが。
文章を書く理由に、他人が読むかどうかは関係ない。
自分の文章を読むのは自分だけ。
自分が読みたい文章を、自分で書けばいい。
僕の身内で、僕がITエンジニアしてることについて、こんな発言をした人がいました。
「パソコンの仕事なんかしても、パソコンには勝てないんだぞ」
…まあ、意見自体が的外れというか、そもそも比べるべきではないというか。
ここで身内の話を持ち出したのは、的外れな話の具体例を挙げるためです。
僕自身の『文章を書く理由に対する思考』が的外れだってことを、伝わりやすくするために持ち出しました。
そもそも、他人が僕のnoteを読んだって、どうやって証明するんでしょうね?
スキしてくれたから?
コメントしてくれたから?
フォローしてくれたから?
どれも証明になりません。
読まなくてもできることですから。
クオリア的な話にまで持っていくと、他人の主観的な『読む』行為と、僕の『読む』は、一致しない。
人間が唯一疑わずにいられる主観は、個人的なものだけです。
自分の書いた記事を読むのは、自分が最初です。
他人が先に読むことはありえません。
ならば、自分を読者に見立てて、自分が読みたいものを書いてしまえばいい。
他人が読みやすいように整えて書くことは、確かに大事です。
ですが、『読みやすさ』すらも、所詮は自分の主観に過ぎません。
文章術の本は大量にありますが、それらを駆使して文章を書いても、「読みやすくなった!」と評価するのは、結局は自分です。
僕がこの記事を投稿しているということは、
「この文章は僕が読みたいものだ」と評価したということです。
こう書くと気恥ずかしくなりますが、事実です。
じゃなきゃ、公開ボタンなんか押せませんから。
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