フリーランス15年。わたしの軌跡。⑤

今回から、コラム名を「フリーランス15年。わたしの軌跡。数字」と書くことにする。

なぜかと言うと、途中から見てくれる人が「過去記事がいくつある」とわかるように。(読んでもらえるように。とも言える)

これから箸休め的に以前ブログで書いた「わたしの生い立ちシリーズ」も転載していこうと思うので読みやすいように、それぞれ「マガジン」にもまとめていこうと思います。やっと少しnoteの仕組みがわかってきた…。

さて。「作ったものを見せる場所」としてホームページ作成に取りかかった私。よく覚えてないけど2.3ヶ月くらいで、簡単なホームページが出来たような記憶。ちょっと制作期間の記憶が曖昧。

「わたしのサイトの名前。なんにしよう」

私は高校生の時にバンドを組んでいたのですが。まだLIVEも出来ないような状態の時から「ステージ名」と「サイン」を猛烈に練習するような女子だった。「いずれ表に出る設定」で、物事を進める金星牡羊座。要するに、好きなことに関しては「先しか見てない」幸せな性格。もちろんこの時も、まだサイトも出来上がっていない頃から「作ったものを売るときは、この名前にしよう」と言う「ブランド名」も決まっていました。はずかしい。

そして「せっかく可愛い名前なのにゴシック体みたいな変なロゴは嫌!」と、「見た目も大事」な月天秤座。どうしても「変なロゴは嫌!」と言う部分が「そこ譲れない!」だったので「どうすれば解決できるのか?」と言う一見どうでもいいことを解決すべく、数日情報収集に明け暮れました。そこで「持っている画像を作るソフトには入っていないフォント」の存在を知ることに。(最初に使っていたのは、たぶんホームページ作成ソフトに同梱されていた、しょぼい画像作成ソフト)

そして、色々な「フォントを無料提供」しているサイトを発見。海外のサイトだったりしたので「え?これどうやって使うの?」と思いながら、色々四苦八苦。日本のサイトで検索して「ダウンロード」して「解凍」して「フォントフォルダに入れる」と言うことを、そこで覚えた。お気に入りのフォントは見つかったものの、しばらくは「フォントを探す旅」が楽しくて仕方がなくて「サイト作り」から脱線したりした時期もある。この頃から「そもそも何してたんだっけ?」な現象が多発。今もそう。

あ。肝心の名前。色々考えたんだけど「英語はありきたりすぎる」と言うのがひとつ。そして「角ばった感じより、丸い感じの方がなんとなく可愛い」というのがふたつめ。そして「可愛すぎるのも嫌」というみっつめ。その「3つ」を叶える名前は無かろうか。という事で「フランス語はどうだろう?」と思って検索。ある日「coquine」と言うフランス語を発見。意味は「おてんば」とか「コケティッシュ」みたいな意味らしく「あ!まるでうちの娘みたいな雰囲気!」「これにしよ!」と言うわけで「coquine」に決まる。(コキーヌと読みます)

当時は「同じ名前のブランドが無いか、検索する」と言う事さえ思いつかなかったので「気に入った!」と言う理由だけで採用となりました。出来上がったサイトのトップページに、お気に入りのフォントで作ったロゴを置いて、無事完成。

メニューも、ロゴと同じフォントで作ったりしてとても楽しかった。今思うと「濃ゆすぎでは?」と思うけど、当時はとてもお気に入りでした。できたーーー!と思ってプレビュー見たら「ああ!デザイン崩れてる!」な出来事もあったけど、それも今思うと良い勉強になったなー。

因みに「jpeg」で画像作って拡大すると、なんか角が潰れる。なんで?とか、Macで見ると画像崩れてるよ!とか。色々ありました。ほんと色々笑 。うちMac無いもん!知るか!とか思ってた。

作ったものを売るまで

サイトが出来てからは「やっとお気に入りサイトに書き込みができる!」と思って、とても好きだったサイトの掲示板に「いつも見ています!」みたいな挨拶を書いた記憶。なぜ「自分のサイトが無ければコメントしてはならない」と思っていたのかは謎。

「できれば友達になりたい」とか、そういう下心は全くなくて純粋に「とても好きです!」と言う「感嘆の意」を伝えたかったサイトがいくつもあったのです。「すごいなあ」「かわいいなあ」と言う、単純なファン。だって舐めるようにいつも見てたから!

そうする内に私のサイトにも「いつも来てくれてありがとう。私もあなたのサイト見てます」みたいなコメントが付くようになって、ある日見ず知らずの人までコメントをくれる様になった。なぜ?いずこから?と、謎に思っていたら「あ!私が他所のサイトにコメントした時ホームページのアドレス欄にアドレス書いたからだ!」と、ある日気がつく。

そっかー嬉しいなー!と思った記憶。そんなこんなで、毎日書く育児日記とお裁縫日記にコメントをくれる人が増えていって「乳飲み子が居て、身動き取れなくても人と繋がれるんだなー」って嬉しかった。

実際はパソコンを触れるのは子供が昼寝している時と寝静まった後。それと朝起きて、まだ誰も起きていない時間だけ。それでも当時の私にはとても大事な時間だった。

お腹がすいた、おしめが気持ち悪い、なんか知らんけど機嫌悪い。それだけで、わんわん泣き叫ぶエネルギーの塊な年子2人に、ご飯と離乳食を与えて気がつけば絵本やビデオを片っ端から取り出して散らかしていく。やっと息子が昼寝したかと思えば、娘が「まま遊ぼう」と袖をひっぱる。ちょっと遊んでやっと2人とも昼寝したかと思えば外で大きな声を出す宅配便の人の声で目を覚まして泣く息子。年子って怖い!!!!

そんな中で「こんなにイライラする私はダメな母親なんだ」と思いながら夜、寝顔を見て「今日も叱っちゃってごめんね」と思う。「ちゃんとした母親」になりたいのに。とイライラして夫に話すと「頑張ってくれなきゃ困る」と言われて労っても貰えないんだな。と、愕然とする日々。そんな中で何かに集中できる時間と、誰かと繋がってると思える事は私にとって支えだった。

今思うと「いやいやいや!ちゃんと言おうよ!」「夫にもっと甘えなよ!」「はあ?何言ってんの?」って言おうよ!と思うけど。当時は「ちゃんとしなきゃ」の呪いを背負ってたから無理だった。でも私はあの道を通らなければ大人になれなかったな。とも思う。

そんなこんなで「自分の時間」のお裁縫とサイト運営は私が唯一「わたし」であれる場所だったのかも。「作ったものを売る」前は、主に「娘の子供服」や「息子の身の回りのもの」を作るのが楽しかったから、その制作日記をサイトにせっせと書いていた。欲しい布を買うにも「子供のものを作る」と言う前提があると夫に気兼ねなく買えるし、一石二鳥だった笑

この頃はビジネスのことなんか、なーんにも考えて無かったけど改めて分析してみると「子供服を作って日記を書く」と言うことで「同じような年頃の子供を持つお母さん」がよく見にきてくれるようになっていて、時々作る雑貨も「オムツ入れポーチ」「プレイマット」「ブランケット」みたいな「子供周りのもの」が多かったから、自然とターゲット層が絞られていたんだと思う。

そして、一昔前に、コンサルタントが言っていたような「とにかくコメント書きまくれ」みたいな現象の結果が「意図なく」出ていたのかな。実際は「とにかく書きまくった」訳では無くて「すきなサイト」にコメントしていただけだったけど。

そして「このフォントどうやって作るの?」みたいな質問も結構来たりしていました。実際は作った訳ではないけど「ここで見つけたよ」みたいなやりとりもあったなあ。と言う記憶。当時は今と違って情報が少なかったから、そこまで「フォントに拘っている主婦」が居なかったから、そういう興味で見に来てる人もいたっぽい。今よりも「ブランディング」が容易だった時代だったのかもなあーと、書きながら思った次第です。

売るものが無くても、何気にサイトが賑やかしかったので「いざ!販売するぞ!」な「第一回目」の「ネット販売」の時には、20点ほどあった商品は完売したのでした。自分でもびっくりして「ビギナーズラック!」と喜んだ記憶があります。改めて振り返ってみると、案外導線が出来て居たんだなあと思いました。

次回は、アナログすぎるネット販売と、どんな販売形態で、どんな物を作って売ったのか。みたいなことを書きたいと思います。(そんなの書いて面白いのかな?って、ちょっと不安)


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