ももこ

熊本在住:1977生まれ | 結婚後ひとりで仕事をはじめて20年ほど | 爪と写真を…

ももこ

熊本在住:1977生まれ | 結婚後ひとりで仕事をはじめて20年ほど | 爪と写真を仕事にしています | 小さなものをメディウムにしてああだこうだ。▶︎▶︎▶︎▶︎▶︎▶︎http://Instagram.com/neruoso_lab

マガジン

  • works

    撮影記録

  • 不完全な素敵な人々

    「不完全」「アンバランス」という魅力。魅力的なすてきな人々のはなし。

  • project NO.24

    自己制作でつくる写真集NO.24ができるまで。 を綴っていきます。

  • 日々の徒然

    日々の感じたり思考したりしたこと

  • フリーランス15年 わたしの軌跡。

    フリーランス15年 わたしの軌跡シリーズをまとめています。

最近の記事

  • 固定された記事

project NO.24

私は湖の近くで12年ほど「KiccA.」という、看板もアートサンプルも無い小さなネイルサロンを営んでいます。勤務していたネイルサロンを辞めて独立したのが32歳の時。それから2年ほど自宅サロンを経て今の店舗形態になったので、自宅サロンの頃からお付き合いのあるお客様とは14年ほどのおつきあいになります。(ネイリスト歴は16年ほど) 当時32歳だった私も今年46歳になりました。こんなに長くネイリストをやっているとは当時は思いもしませんでした。(というかいつまでやるのかは考えてなかっ

    • 光と影が織りなす色彩のパレット

      「光の食卓」を主宰するk.k_paletteの青居佳代さんを撮影しました。 佳代さんと初めて出会ったのは去年の春の頃。その次に会ったのはその年の夏でした。その時はまだお互いのこともよく知らず。ただ「なんかすごい感性を持ってるとんでもなく可愛らしい人」という印象だけは強く残っていたように思います。 そんな佳代さんから「ホームページを作ってるんだけど、ももちゃんに写真を撮って欲しい」というメッセージが来て、やり取りが始まったんだけど。なかなかにイメージの共有がなされず。笑

      • project NO24を撮りはじめての雑記

        5ヶ月前に「こういうものをつくる事になりました」というnoteを書いた。 超短的に書くと「ある日、更年期のあれこれの会話から着想を得て『私の24番』というテーマで写真集を作ることにしました」というものです(ざっくり)。 今日は、この5ヶ月で感じたことや進捗?のようなこと。何となく見えてきたものやまだ答えが見えないこと。などなど書いておこうと思う。 写真集とはなんなんだろう? サロンワーク(私は小さなネイルサロンを営んでいます)や仕事での撮影、家のこと。の合間にマイペース

        • 星空のパラソル

          毎晩サロンの鍵がしまっているか確かめる。ガチャガチャとノブを回したあとサロンの前で少し空を見る。もう10年くらいほぼ毎晩この作業をしてるからすっかり習慣になってしまった。 雨の日も曇りの日も星が見えない日も身体は自然と空を見上げていて、数分間何も考えずに真っ暗な空を見てしまう。 空を見ながら時々思い出すビューティフルマインドでみた風景。不器用な数学者が好意を寄せている女性と空を見てる。彼は彼女の手を取って無数に見える星の中からひとつひとつ星を指さして点を繋いでパラソルを描

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        project NO.24

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        • project NO.24
          2本
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        • わたしの生い立ち
          0本

        記事

          家とサロン

          普通の日のいつもの場所の写真。断捨離しようと思い立ってやってるうちに謎に撮影会。

          家とサロン

          天使とオロナミンC

          生命力あふれる花束を作る友人の紹介で出会った女性がいる。驚くような緻密さと遊び心が混在した甘い焼き菓子を作る女性。 すごく小さくて華奢だけど体のラインが出るような服は着ないだろうな。と言う感じ。仕立ての良い生成りの服と毛糸が似合う少女のような人だった。 初めて会った時も、とてもピュアで優しい音が焼き菓子のようにホロホロと口から溢れていた。けれど甘い声色に対比するように仕事に対する真摯さが際立っていた。出会ってから1年ほど経った先日。花束を作る友人のお手伝いで、その焼き菓子

          天使とオロナミンC

          梅雨の合間

          熊本は例年より19日早い梅雨入りだったそうな。 週末買い物へ出かけるたびに麦畑を見て、ちゃんと乾くのだろうか。ちゃんと収穫時期に晴れるのだろうか。と、気になっていた。 今日、麦畑が広がる道を通ったら無事にどこの畑も麦刈りを終えそうな風景だった。先週と今週週末。晴れて良かった。 無事刈り込まれてた。 梅雨入りする頃はまだ黄色くなったばかりだった。麦の刈り込みが遅れると、米の田植え時期が遅れちゃうってお客さんが言っていて気になってたんだけども。よかった。 田舎道の風景は

          梅雨の合間

          ロマンとカメラ

          カメラの嗜み方。というハッシュタグを発見したからカメラについて書いてみる。 わたしと一眼レフカメラの出会いは19歳の時。それからずっと付かず離れずの距離でお付き合いが続いていて、今年で25年目。あれ。これって銀婚式って言うんだっけ?夫と結婚したのが22歳の時だったから夫よりもカメラの方が付き合いは長い。コンパクトカメラとなると、もう中学生の時からの付き合いだからもっと長いのかも。 付き合いが長いからと言って「お前のことは何でも知ってるぜ」という事もなく、いつも「理解したい

          ロマンとカメラ

          圧力鍋とお灸

          「私たちの年代が怖いと思い込んでるものって、圧力鍋とお灸じゃない?」という話になった。サロンで同世代のお客様と向き合いながら、毎回たわいもない話をする。 どんな話題からその話になったのかは覚えてないけど2人で顔を見合わせて「たしかに〜!」ってなった。1970年後半生まれ。 使い古された、でも綺麗に手入れがしてある台所で祖母はいつも忙しく何かを作っていた。自分の畑で取れた作物を丁寧に下処理して一番美味しい何かに変身させるのを見るのが好きだった。 時々、大きな桶に入れられた

          圧力鍋とお灸

          下書きになっていたもの。

          最近、また無性に書きたくて書きたくて。という気持ちがあったけどこの「私のnote」の方向性がガラリと変わってしまってなかなか書く場所を得られずにいた。 SNSには随分長い間日々のなにそれをツラツラと書いていたけど、しっくりこなくなってしまった。ここは自由だと思っていた場所が庭の池だった。みたいな窮屈さを感じてしまう。 そんな訳で再びnoteのページを整理しようと思ったら。昨年2月にひっそりと吐き出して未公開になっていた記事があった。もう書いたことすら忘れてしまっていたけど

          下書きになっていたもの。

          私のロックスター

          今年の5/2を忘れていた 痛恨のミス。hideの命日。 先日何気なく流していたラジオから 若いミュージシャンが「僕のルーツはhideです」と言った言葉が聞こえて、耳が反応した。 そしてラジオから紅が流れた。 その後その若いミュージシャンが「hideのフロントマンとしての姿に惹かれた」 と言うコメントを述べていたんだけれども。 うっかり 「いやいやいやいやいやいやいやいや!!」 と、私は声を出してしまった。 隣で夫が「え?褒めてるじゃん?!」 「なに?なにが違うの?」 っ

          私のロックスター

          フリーランス15年。わたしの軌跡⑥

          わたしの軌跡シリーズ⑥。 シリーズはマガジンにまとめています。↓ 10ヶ月ぶりの更新なのに、なにもなかったかの様にすれっと再開しちゃおうという感じですけども。え?どんな話だったっけ?ですよね…。以前までの記事は上記マガジンにまとめているので、アレだったらさらーーーーーっと見てもらえたりすると…うれしいです。前回までは、当時の私の事や環境についての事や実際販売するまでにどんな事をやっていたのか。などを書いてきました。このペースだと15年分書くのに、途方も無い記事数になるので

          フリーランス15年。わたしの軌跡⑥

          10ヶ月放置

          昨年(2018)の年末から書き始めたnote。 今年の1月終わり頃から更新ストップ。 2月に入って、私の誕生日の前日に祖母が他界して、何かの扉が開いた様にいろいろな感情がばーんと出てきた。 そのまま、私は受講を予定していた長期の講座に突入して娘も大学進学のために家を出た。私にとっては、心が追いつかないうちに色々な環境の変化が巻き起こって、お仕事もペースダウンしてしばらくは身の回りのことに取り組んでおりました。現在高校3年生の息子の大学受験が終わったら、やっとひと段落かな

          10ヶ月放置

          フリーランス15年。わたしの軌跡。⑤

          今回から、コラム名を「フリーランス15年。わたしの軌跡。数字」と書くことにする。 なぜかと言うと、途中から見てくれる人が「過去記事がいくつある」とわかるように。(読んでもらえるように。とも言える) これから箸休め的に以前ブログで書いた「わたしの生い立ちシリーズ」も転載していこうと思うので読みやすいように、それぞれ「マガジン」にもまとめていこうと思います。やっと少しnoteの仕組みがわかってきた…。 さて。「作ったものを見せる場所」としてホームページ作成に取りかかった私。

          フリーランス15年。わたしの軌跡。⑤

          なんで夫婦のことも書くの?

          フリーランス15年 わたしの軌跡。その④ 計画も目的もないまま書き始めた、わたしの軌跡シリーズ。まだ3記事。 さて。今日は当時の育児のことや夫婦関係。そして当時の私について振り返ってみようと思います。 当時の私25歳前回まで書いた「ミシンを手に入れてホームページ作るぞ!」な頃。私は25歳でした。正確には26歳前後くらいかな。娘は2歳になったばかり。息子は1歳になる前くらい。夫は10歳年上の35歳。私は22歳の時に結婚して、翌年に娘が産まれたのですが不安だらけの毎日でした

          なんで夫婦のことも書くの?

          知らなかった世界を知ったわたし。

          フリーランス15年。わたしの軌跡その③ ミシンを手に入れて、布と戯れる日々。とても楽しかった。元々手先が器用なタイプらしく、緻密な作業は好きな方なんだと思う。メキメキと腕を上げていくにつれて、色々なものを作ることが出来るようになっていった。 裁縫と同じくらい夢中になったネットの世界「作ったものを見てもらう場所」を作るべく、最初に着手したのが「ホームページを作る事」。色々調べて「ホームページビルダー」と言う作成ソフトを購入。その説明書には「サーバ?」「FFFTP?」「HTM

          知らなかった世界を知ったわたし。