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project NO24を撮りはじめての雑記

5ヶ月前に「こういうものをつくる事になりました」というnoteを書いた。
超短的に書くと「ある日、更年期のあれこれの会話から着想を得て『私の24番』というテーマで写真集を作ることにしました」というものです(ざっくり)。

今日は、この5ヶ月で感じたことや進捗?のようなこと。何となく見えてきたものやまだ答えが見えないこと。などなど書いておこうと思う。


写真集とはなんなんだろう?

サロンワーク(私は小さなネイルサロンを営んでいます)や仕事での撮影、家のこと。の合間にマイペースに24番の撮影をしながら6名ほどの撮影を終えた。その都度「こんな撮影をしました」と、いくつかの画像を載せながらnoteに記録を残していこうと思っていたけれど、何となくしっくりこず。日々の忙しさを言い訳にしながら「何がしっくりこないんだろうか」という問いをほんのり小脇に抱えつつ撮影だけを進めた5ヶ月だった。
19歳の時に一眼レフを手に入れて写真を撮るようになって46歳になった今日まで。お気に入りの写真集はそれなりに増えたけど、多分そんなにたくさんの写真集を持っている方ではないし、特に「写真集」という「形」に特別な思い入れを持っていたわけでもない。いざ「自分で作る」となって、そもそも私にとっての「写真集」とはなんだろうか。どんなものを作りたいんだろうか。とも、あらためて考えてみた。「撮影の記録を残す事がなぜしっくりこないのか」「私にとっての写真集とはなにか」ふたつの問いを抱えつつ過ごすうちに「撮影の記録」を書くことに小さな違和感があった理由が見つかった。

どのように書けばいいのか、まだうまく言葉にできる気がしないけど。撮影の記録を書いていくことに違和感があったのは、現時点で簡潔に言ってしまうと出来上がる前にあれこれと書いてしまうと、いざ写真集が出来上がった時にそれを見る人の「解釈の余地を奪ってしまうかもしれない」ということだった。上に貼ったproject NO24 という記事でも”「色々な人の中にもあるわたしたち」になり得るような気もしています”と書いたけれど。
この写真集に写る世界を通して、写真集を見る人がなにを捉えて、それがどのように繋がって物語が宿るのか。写っている被写体をみて、その人の中にどんな人物像が立ち上がるのか。そのイメージをどんなふうに感受するのか。その風景を見てみたい。と思っている事に気がついた。
そうなると必要以上の事前情報は、無い方が断然良いのだ。私の解釈を事前に書きすぎてしまうのは邪魔になってしまうかもしれない。だからどこまで、どんな風に撮影の記録を残せばいいのか境界線を見出せずにいたんだなと理解。個人的に私が撮影を通して感じた事は残しておきたいから、いつか公開するかもしれないけど現時点では、まだ答えが分からないから非公開にして残しておこうと決めた。もっといい形で公開できるアイデアが浮かぶかもしれないし、考えが変わるかもしれないしこの辺りはもうちょっと寝かせとく。

撮影後にはじまったまいちゃんによる「BTSのメンバーの名前をレクチャー」の時間。BTSを見るために買い替えられた大画面のテレビ。この後3日間、自宅でも動画を見続けてとうとう私はメンバーを覚えた。「まじめ」だと誉められた笑

点を線で繋ぐこと

ちょっと話が逸れてしまうけど。私の中にすごく印象に残っている映画のワンシーンがある。不器用な数学者が好意を寄せている女性と空を見てる。「愛してます」と言えない彼は、彼女の手を取って無数に見える星の中からひとつひとつ星を指さして点を繋いでパラソルを描いてみせる。そんな風景。言葉は無いけど確かに女性に何かが伝わったようなシーンを時々ふと思い出す。
そして私は小さい頃から「星占い」が好きだった。幼かった自分の夢を叶えてみようと、大人になってから占星術も学んだりした。だけど学んで思ったのは、私は「占い」が好きなわけではなくてそこから紡がれる「ものがたり」が好きなんだな。と言う事だった。占星術を学ぶなかで「これはこういう風に解釈してください」というルールに触れると「つまらん」みたいな反骨心がでたりして「一旦好きに読ませてくれ」みたいな気持ちになったりして時々悶々とした。(先生ごめんなさい)でも、はるか昔の人が星と星を繋ぎ、そこに意味を持たせ神話を作ったという「営み」に触れると、時間や距離を超えて「人は昔から物語を見出したいのだ」という気がしてきゅんとした。「占い」としてではなく、小さな星を繋げて物語を生む事や、天の星を、地の事象や人と結びつけて共通点を見出し、暗闇の中で足元に小さなあかりを灯すように道標にしようとする営みに私は惹かれていたんだなと気がついた。
そして、私にとって写真もそういうものに少し似てる。「写真群」にする事でそんな星座のようなものが作れるかもしれない。と、撮影を進めるうちに思い始めた。色々な女性を撮っていると本当にみんな違う色合いがある。そして多面的だ。ひとつの星座がいくつもの星で出来上がっているように、いろんな要素が「その人」を形作っている。そして、ひとつひとつの「星」は地球から見たら「面」で点在してるけど、実際は前後に奥行きがあって距離が違う。時間軸が違うのだ。でも、そんなのお構いなしで星たちは人によって線で結ばれている。人も先祖からのDNAだったり環境だったり経験だったり美意識だったり。いろんな要素が混ざり合って「今のその人」を作っている。
できるなら写真群を使って、星座と同じように「複数の写真」という「点」を自由に「線」で繋いで物語を見出すことができるような物を作ってみたい。写真を使って星座を作りたい。撮影をする中で私の中でも少しづつ色々なことが繋がっていって、ある日そこに漂着した。

動物がいるとうっかり動物ばかり撮りそうになるあぶない

製本をまなぶ

自分で写真集を作るとなると「製本」も学ばなければいけない。念願だった糸綴りをやってみたい。でも折角学ぶならこの際「紙を折る」ところから学んでみたい。今の私には「写真集を作る」という大義名分がある。そう思いたって5月から製本教室に通うことにした。2ヶ月に一度、熊本から京都に通い「紙を折ること」から始めた。最初の日は一枚の紙を折って、糊もハサミも使わずに封筒とCDケースを作った。紙の目にそって折り目を決めて、何かの骨で作られたひんやりとするヘラを使って折り目を作る。その後圧をかけて真っ直ぐにおる。そして、それを繰り返していくうちに、今度は線と線が交差して面ができて立体になっていく。点という印が繋がれて線になって面ができて、平面だった一枚の紙が姿を変えるという当たり前のことに、改めて感動した。一枚の紙に点とは何か、線とは何か。みたいなことを体感を持って教えられる46歳。そして実際に紙を触っているうちに、幼稚園の頃に折り紙を折っていた記憶や千代紙や美しい紙や包装紙を集めていたこと。高校生の時に自分でイラストや絵を描いた紙を使って封筒と便箋を作って手紙を書いていたことなんかを思い出した。音楽雑誌やファッション誌を分解して封筒を作ったりもしてたな。とか紙にまつわるいろいろな記憶が次々に思い出された。「写真集を作る」というきっかけで、思いがけず自分の色々なルーツっぽいことに触れることにもなった。五感の記憶というのはすごい。そして何十年たっても子供の頃と同じ事をやりたがる自分にも驚く。

レパートリーが少しずつ増えてきた紙折り

言葉にしないということ

言葉というのはとても便利で、物事の本質や意味をわかりやすく伝える事ができる。けど、時々ことばにした途端に、そのまわりにあったものが質量を失って薄っぺらくなってしまう気持ちになる時がある。木の幹だけが残されて葉っぱがパラパラと落ちてしまうような感じというか。
写真と言葉というのは、凄く似ていて親和性がある。世界観を強くしたり伝えたいことが伝わりやすくなったり。逆にことばの強さや内容を、写真を使って曖昧にしたり柔らかくする事もできる。落ちてしまった葉っぱを写真で補強したりもできる。そして私は実際に、写真と文章で自分の感じた事や空気感みたいなものを表現するのが好きだ。写真集にも言葉を入れたほうがいいのだろうか?と、迷っていたけど。でも、いろいろ方向性が見えてくるにつれて、今回作りたいのは多分そういうものじゃないっぽいことがわかってきた。逆に、たくさんの葉っぱを集めていたら幹の輪郭が集めた葉っぱによって見えてきたかも。みたいな感じがいい。真ん中を描かずに自然と真ん中が浮き上がるような。実際にどういうふうに作るか。は、まだあまり固まってないし、どうやればいいのかもわからないけどとりあえずほんわりと北極星みたいな物は見えてきた感じがある今日この頃。とりあえず直接的な言葉はあまり必要ないのかもしれない。
とりあえず非公開にして寝かせておこうと決めた「撮影で感じたことを書いたもの」を寝かせたのちビハインド的なもの(または補足的なもの)として見たい人だけが見れるように別で展開できたらいいのかもしれないな〜と書きながらまたぼんやり。

友人たちを撮影したくて夏の初めに北海道にもいった。
人生初の北海道。

「新しい」をたくさんつれてくる24番

今回は、私の中に起こった気づきや雑記を、まとまらないままいくつかザクザクと切って皿に並べた感じになったけど、これはこれでよしとしよう。その他にも24番の撮影をはじめてから色々な「初めてのこと」や「知らなかったこと」に触れる機会も増えた。枕が変わると落ち着いて寝れないタイプだと思っていたけど、撮影のために友人家族の自宅に泊めて貰うことになったりそしてそれが楽しかったり。知らない人がたくさんいる場は結構避ける種族だったのに「アーミーが集う会」に誘われて意気揚々と参加したり。BTSのメンバーの名前覚えた!BTS前とBTS後のKPOPのプロモーションの違いをリサーチしてるとかを、サロンでお客さんに報告しまくってたら「このアーティストの曲も聞いて感想聞かせてほしい!」「実はストレイキッズが好きなんです。ももこさんにも聞いて欲しい」「ミンヒンジ知ってる?」とかKPOP界隈の情報や実はアイドル好きなんです報告がお客さんから相次ぎだしたりした。(相変わらずBTS以外は見分けがつかないけど)。
泊まるなら1人部屋しか嫌だ!だったのに友人数人と一軒家を借りて合宿する事になったり。生まれて初めて撮影で「六法全書」を見て「思ってたよりちっさ!」ってなったり。絵を描いたり何かを作っている人の世界を間近で見ることができたり。地元ではどこに行くのかよく分からず怖くてバスは断固乗車拒否だけど、京都であっさり乗れるようになったり(下車するバス停を間違ったりはするけど)。K-POPの音楽産業を調べ始めたら逆に日本の音楽産業の市場の広さを知って驚いたり。あと、お仕事での撮影依頼がふえたり。自分が「何」を撮りたいと思っているのかを知るきっかけがあったり。美意識とは何か?が写真のボケと繋がったり。思いがけずフィルムの中判カメラが手元にやってきたりもした。とうとう大きな写真用プリンタも買った。まだいっぱいある。その様なことも、また書いていけたらいいな。(夏はのぼせてスケジュール詰めすぎて先週とうとう発熱して寝込みました。反省)

お邪魔した色々なお宅で手料理もたくさん頂きました

9月10月はお仕事撮影も兼ねて関西と東京に行きます。年末までまだまだ撮影は続くのだ。カメラはわたしを色んなところに連れて行く。そして24番はいろんな知らなかった事を私のところに連れてくる。

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