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【輝ける老人】

いまではすっかりベテランと呼ばれるようになった私にも、ケアマネジャーとして、新人だったころがある。教材だけでなく、人々との出会いにより多くを学び、教わって来た。

簡単に私の仕事について補足をさせて頂くと、ケアマネジャーとは、介護や援助を必要とするご高齢者の生活を快適にするために、どのようなプランが最適であるかを、当人またはご家族などと話し合い、実際に実行へと導くための、いわば命のサポーターといった仕事である。
そのプランに合わせて、在宅なのか入院なのかといった選択肢や、ヘルパーさんがどれだけの頻度で訪問するか、またはナースが必要な程体調に悩みを抱えていないかなど、出会った瞬間から、その方の「老後の人生」をお預かりし、共に考えるパートナーとなる。

「マネージャー」と書くと、部活やお店などで裏方として切り盛りする姿を想像しやすいかと思うのだが、国の定めた正式名称では「マネジャー」と表記する。

「高齢化社会」が「高齢社会」に変化した現代では、どうしても人材や時間が不足してしまう仕事と言われている。

そのご婦人と出会ったのは、私がケアマネジャーとなって二年目の秋のことだった。私は市の要請により、ひとり暮らしのその老人のお宅を訪問し、お話を伺うこととなっていた。

玄関に通され視界に入ったのが、近所の公園で摘んできたのだろうか、野に咲く小さな花が、こぢんまりとキレイにディスプレイされていた。その上の壁には、手のひらサイズの額があり、鮮やかなタンポポが描かれていた。

「できれば、在宅が良いのよね…」
とても物静かで、小さく見えたそのご婦人は83歳で、ご家族はなく、ご主人も六年前に亡くなったとのことだった。
「ですけど、お歳もお歳ですし、独りで在宅は、何かと心配ではありませんか?」
頑固そうには見えなかった。
「ひとりでいる方が、静かで落ち着きますし、何より…」
「…何より?」
何やら想いがあるようだったが、あまり主張をされる方ではなかった。
「できれば、詳しくお話下さい。でないと、私たちもお手伝いができませんし…」
私は心のどこかで「家から離れたくない」、または「想い出が多いこの場所にずっといたい」といった、老人特有の願いなのではないか、と想像していた。ご婦人はその先の言葉を続けなかった。
「また来週来ます。その時にもう一度お話しましょう」
そう言って、その日は帰ることにした。次回会う時までに考えて頂くように。

そのお宅を出た時、スーパーのビニール袋を持った、ひとりの女性とすれ違う。
「あの…すいません、こちらのお宅のお知り合いの方、ですか?」
ご家族も、身よりもいないと聞いていたので疑問に思う。
もしかしたら家政婦さんや、何か宗教的なモノだとか?
「あ、いえ。あの、彼女の友達です」
友達?どうみても、この女性は30代。近所の主婦といった感じだろうか。
「お友達というと、どういう?」
「創作活動、と言いますか、同じ趣味を持っていまして…」
「創作活動…」
そういえば、お宅に入った瞬間、生活臭とは違う美術学校のようなにおいがした。
「絵画ですか?」
「いえ、私は立体物なのですが、実は彼女、もの凄く趣味が多くて」
話によると、絵画・立体物・書道・俳句・詩など、ご老人は幅広い趣味をお持ちだという。
「あの歳で、本当に精力的に作品を作っていますよね」
「そうなんですか…」
「私が出会ったのも、市が行うセミナーで隣に座って、ご高齢なのにスゴイですね、と話し掛けたのが、きっかけなんです。彼女いわく時間はあるから、色んな事に挑戦したいって、すべて独学なんですって」
あの物静かなご老人からは想像が付かなかった。訪ねてきた女性は、軽く会釈をして、家の中に入って行った。

約束の一週間が来て、私は再びご婦人のお宅を訪れた。
「先日訪問した際にお会いした方から、お話は伺いました。創作活動をされているそうで…」
物静かなご婦人は、少し照れたように話し出した。
「きっとあなたは、私が老人だから暇を持て余して時間潰しをしている、なんて思っていらっしゃるでしょう?」
正直そう思っていた。しかし彼女は違っていた。
「確かに創作活動をするから家が良い、というのもあるのですけど、この歳になって、同じ趣味を持つ、たくさんお友達ができたんです。しかも若いお仲間が。主人が居たときは、家のこともありましたし、子供もいなかったのであまり表に出ることもなかったんです」
「とても積極的で良いことだと思います。どうですか、ケアホームなどで同じような趣味の方に囲まれて過ごすという選択もあるかと思うのですが」
ご婦人は静かに下を向いた。口もとには静かな笑みを残したままだった。

「あの、失礼な言い方になったらごめんなさいね」
そう前置きをした上で、静かにゆっくりと、文章を読むような落ち着いたトーンで話続けた。
「若い人達と会うことで、夢とか元気とか、いっぱい頂くんです。今度はこれをやってみよう、とか、向上心とか。鏡を見なければ、周りにいる若い人達と同じなんじゃないか、と思えたりとか。難しいことをやっているわけではないし、プロになりたいワケでもない。好きなこと、興味を持った瞬間から、次々新しいことをやって行きたい。周りに、私と同じようなお婆ちゃんや、お爺ちゃんがいる空間では、ダメなんです…」

口もとの笑みは消えていたが、その目は五十、六十のまだまだ人生を楽しもうという人達と同じ輝きを、失っていなかった。
「自分のこともゆっくりとできますし、たくさんの若いお友達が話し相手になってくれたり、食事をしたり…」
彼女の静かな感情起伏を感じる。

「老人は、老人と過ごさなくてはいけないのかしら?老人は、誰かの支えがないと、生きてはいけないのかしら?老人は、新しいこと、好きなことをしてはいけないのかしら?」

あの物静かなご婦人の中で、これ程までに強い想いが秘められていたことに驚き、ケアマネジャーとしての、あまりにも無力な自分に涙が溢れていた。
「いえ、ごめんなさい…ごめんなさい。人はいくつのなっても、自由に生きる権利も、必要もあると思います…」

そう、私は決まり切った考えに縛られていたのかも知れません。
「老人」と一括りにしていたのかも知れません。
生きることに、勝手なルールを作っていたのかも知れません。

その後、私は仕事として、定期的に彼女の様子を見に行くという役割でヘルパーさんを頼むプランを作成しました。
「家で独りでゆっくりと居たい」という彼女の願いを最大限に配慮したモノでした。
それは仕事として。

そして、私も趣味を増やすことにしました。
ケアマネジャーというストレスの溜まる仕事だからこそ、趣味を充実させたかったからです。
私は、詩を書くことにしました。
先生は、あのご婦人です。
ご婦人は、人に教える程の技量はないと、大いに嫌がりましたが、「お友達」にして欲しい、と伝えたら小さく微笑み、うなずいてくれました。
仕事として、ケアマネジャーとしての訪問とは別に、お友達として訪れる。私にも「高齢のお友達」が、少なからず良い相談相手になっていたのだと思います。

彼女が亡くなる、その日まで、その関係は続きました。

私にとっては、忘れることのできない、
大きなことを教えてくれた先生です。

     「つづく」 作:スエナガ

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