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毒実家と絶縁しました。 前向きに生きるため、解毒日記を書いています。 私立一貫校へのヘ…

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毒実家と絶縁しました。 前向きに生きるため、解毒日記を書いています。 私立一貫校へのヘイト多め。

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【読書日記】毒親からの完全解放【親は聖人でなくて良い、ただ善人であってほしい】

全ての人間に刺さる本は無いし、同じ人間が同じ本を読んだとしても、タイミングによって響き方は違う。 それで言うと、先日たまたま手に取ったこの本は、今の私にぴったりはまった。 「子どもであっても、心の底では『自分の親はすごいんだ』と思いたいものです。 毒親育ちの子どもも同様に、心の奥に怒りや憎しみを抱えながら、もう一方で親を尊敬していたいという思いは同じです。毒親はそんな子どもの純粋な思いを踏みにじります。自身の浅ましさ、卑しさをこれでもかというほど子どもに見せつけて、恥じると

    • タンポポ

      桜が散って、タンポポの綿毛が飛んでいた。 娘がまだヨチヨチ歩きの頃、タンポポの綿毛を楽しそうに吹いて飛ばしていたことがあった。それを見た母が私に、「綿毛が肺に入って大変なことになった子供がいるのよ」と言った。 私の実家のリビングには、「家庭の医学」という厚い本がいつでも置いてあって、少しでも何かあると母はそれを引っ張り出してきては、血眼になってページをめくった。 そして、その症状から考えうる最悪の病名を見つけてきては、私を脅かしてくるのだった。 今なら、ちょっと笑えるか

      • 悪夢

        たまに見る悪夢のパターンがあって、「大声を出しているつもりなのに出ていない」というもの。 何の暗喩でもなく、苦笑するほど直接的でわかりやすい。 月曜の朝から久しぶりに実家の夢を見て、気分が悪くなった。 もう二世帯になった実家の一階で、母と向かい合って話をしている。穏やかな時間。母の腕には、赤ちゃんがいる。また弟夫婦に子守りを押し付けられたようだ。 お茶が出される。飲んでいる途中で母が、ちょっとした愚痴を言う。そこで私が激怒するという夢。 私は、「あなたは自ら奴隷になったんで

        • ある人にとっては最高の日、ある人にとっては世界の終わり、またある人にとってはただの一日

          両親や弟にとっては晴天の霹靂だったかもしれない、去年末の絶縁だが、私にとっては長く長く悩んできた末の決断だった(彼らは忘れてもう楽しくやっているだろうけれども)。 あの日、雨上がりの、もわっとした空気を覚えている。十二月なのに気温はわりと高く、私の気分を表したかのような黒いダウンコートは暑かった。 絶縁にあたってずっと相談していた遠い親戚に、電話しながら二駅分歩いた。ついにやってやったという高揚にも似た気持ちと、ここまで絶望的に分かり合えなかったという現実と。 急におなかが空

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        【読書日記】毒親からの完全解放【親は聖人でなくて良い、ただ善人であってほしい】

          「自分を大切にする」

          なんて使い古された、陳腐でありふれた、それでいて解釈の難しい言葉だろう。最近そう思い始めた。 私は、身なりには気を遣っている。 定期的に美容院にも行くし、特別こだわりがあったり高価な物を身に着けたりしているわけではないが、服は好き。たまにマツエクやネイルサロンにも行く。太りにくい体質だが、筋肉がないので、たまにスポーツもするようにしている。 仕事は週3しかしていなくて、仕事のない平日は友達と会ったりマッサージに行ったり。休日は家族と出かけるし、頻繁に旅行もする。 あくせくせ

          「自分を大切にする」

          【読書日記】統合失調症の一族【見栄っ張りという病巣】

          まだ三分の一ぐらいしか読めていない、厚い本。 精神的な病は、遺伝子によるものなのか、それとも環境によるものかというノンフィクションなのだが、ここまで読んだ中でも、自分の実家を想起させる部分が多々ある。 カトリック信仰を持つ両親のもとで育てられた、12人もの子供達。華やかな生活の陰では、抑圧された兄弟達の鬱憤が充満するが、両親はあくまで社交に精を出す。 青年期以降の子供達は、次々と統合失調症を発症する。 精神的な病気が忌むべきもの、恥ずかしいものと考えられていた時代とはいえ

          【読書日記】統合失調症の一族【見栄っ張りという病巣】

          世界の端

          子育てしている中や、仕事上の関わりや犬友など、日々本当に色々な人と話す。 夫と娘ともよく会話するし、友達とも長話する。 夫とは一緒にいて楽しいから結婚したわけだし、娘は自分の子だから無条件にかわいい。友達とも気が合うから続いているわけだけど、 はじめましての人と話すのも苦にならないどころか、大体は面白いと感じられる。私は人見知りではなく、むしろ、子供の時から、あんまり気構えずに誰とでも話せるタイプ。 そして、他人と話せば話すほど、自分の親兄弟の異様さを感じる。 もちろん、肉

          世界の端

          専門家と話す

          ごちゃごちゃの部屋で片付けをしているとなかなか片付かないが、引っ越し等でいったん荷物をまとめてから次の部屋に移すと、なぜか片付いたりする。 そんな感じで、心療内科のお医者さんと話して、少し頭が整理された感覚があった。 残念ながら、引っ越しと違って、不用品を捨てることはできないけれど、自分の頭の中にあるごちゃごちゃを一旦外に出す感覚。 不要なもの(過去の記憶、親兄弟のあれやこれ)は急には消えてくれないが、見ないように心がけたら、そのうち溶けてなくやっていくだろう。そ思いたい。

          専門家と話す

          梅がきれいですね

          犬の散歩をしていると、季節の移り変わりに気付く。 今月頭から、梅がほころび始めた。朝晩見る梅の花は、なんてきれいなんだろう。そう感じられる感性は、私だけのものだ。 大嫌いな親兄弟、心から消したいのに、ついつい心の中で「あいつらとは違う」と思ってしまうのが、悲しいし悔しい。究極の救済は、思い出しもしないことなんだと思う。 まだまだ難しい。

          梅がきれいですね

          失敗作

          長年、入眠障害を患っている。 昼間は楽しく過ごせていても、夜になるとストンと心が落ちてしまうので、睡眠導入薬は毎晩飲んでいる。 薬なしで過ごせた時期もあったのだが、結局舞い戻ってしまった。 自分の家庭には、本当に何も不満はなく、安定した生活と、優しい夫と娘がいるのに。そう思うたび、家族には申し訳ない気持ちでいっぱいになる。 病院に行くほどの不眠に悩まされたのは、娘がまだ幼児だった時期だった。振り返ると、母からあれやこれや育児に口を出されていた頃と重なる。その後、夫の転勤で、

          言葉の刃

          自分達の狭い価値観に合わない人間を、「くだらない」「下品だ」「おかしい」と、すぐに言う両親だった。 誰にだって、合わない人間はいる。私にもいる。到底受け入れられないような価値観もある。が、両親はそれが極端だった。 そして、その言葉の刃が、子供にとってはどれだけ深く突き刺さったことか。 とんねるず、ダウンタウン、小学校の時に見たかったテレビ番組はみんな禁じられた。謎のNHK信仰。今となっては笑って話せるけど、正直、ずっと許さない。 スマホもYouTubeもなかったあの時代、テ

          言葉の刃

          天啓

          大切な言葉はいつも、ある日突然現れる。 たまたま手に取った本だったり、流していただけのテレビ番組だったり、普段は話さない人との会話だったり。 不定期に通っているヨガのクラスがあって、更衣室でよく一緒になる五十代か六十代の女性と、当たり障りのない世間話をするようになった。 背筋が伸びた上品なその方は、英語の先生をしていたということで、ある時、レッスンの後に、学校の話になった。女子校なんですよと行ったら、あら中学受験したのねと言われて、いや小学校から入れられましたと答えたら、お

          良い顔

          四十過ぎて、肌はかさつくし、目は小さくなったし、皺はできたし。 でも私は、今の自分の顔が好き。 昔の写真の方が、若いから肌も綺麗で華やかだけど、目つきが険しい。今はリラックスして笑えている気がする。 実家にいた頃は最悪だった。常に緊張して、揚げ足を取られないように、弱みを見せないように、鎧をまとっていたように思う。 6歳であの学校に入った日から、空虚だった。人から変な風に見られないか、親に怒られないか、ビクビクしていた。 実家から離れても、呪いは続いた。 今は、誰にどう思わ

          家族になるより、家族でなくなることの方が大変なんて

          絶縁して一ヶ月以上経ち、少しずつ怒りや恐怖が薄れていくのを感じる。四十年来の感情は簡単には消えないが、後退はしていないのではないかと前向きに捉えている。 一昨年あたりから、まず弟を、次に父親をLINEでブロックして、母だけは窓口としてやり取りを続けていた。が、先月の話し合いでもう付き合うだけ無駄だとわかり、母もブロックした。 親兄弟から連絡が来ないと、少し気が軽くなる。早くこうすれば良かった。 娘のLINEには、お年玉の件で連絡があり、年末にお年玉が送られてきた。そこは私の

          家族になるより、家族でなくなることの方が大変なんて

          呪い

          最近、ペーパードライバー講習に通い始めた。 私が運転免許をとったのは、まだ二十代で、実家にいたので、父の車で練習させてもらった。父は外車好きで、その時もボルボだかフォルクスワーゲンだった。なぜだか無免許の母も同乗してきて、その時に私の心はボロボロにされた。 あんな言い方をするなら、むしろ運転させないで欲しかった。思い出したくもない。 一事が万事、私の両親はいつもそうだった。 親なら子が心配なのは当然だが、彼らの場合、心配をはるかに通り越して、私の自信をことごとく叩き潰した

          お行儀の悪い子供

          私の両親は、「躾のされていない子供」が大嫌いだった。 そりゃ誰だって、キーキー声を出したり、店の中をドタバタ走り回ったりする子供は好きではない。私も元々が子供好きな方ではないし、全ての子供がかわいいと思えるほど人間もできていない。それでも、特に母のあれは、異常だったと思うのだ。 例えば一緒に出かけた電車内で、幼稚園から小学校低学年ぐらいの子が、「ママ、ここ空いてるよ!」と走って来るとする。すると母は、眉をひそめる。のみならず、相手の親子に聞こえるような声で「いやあね」とか言う

          お行儀の悪い子供