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【読書日記】毒親からの完全解放【親は聖人でなくて良い、ただ善人であってほしい】

全ての人間に刺さる本は無いし、同じ人間が同じ本を読んだとしても、タイミングによって響き方は違う。
それで言うと、先日たまたま手に取ったこの本は、今の私にぴったりはまった。

「子どもであっても、心の底では『自分の親はすごいんだ』と思いたいものです。 毒親育ちの子どもも同様に、心の奥に怒りや憎しみを抱えながら、もう一方で親を尊敬していたいという思いは同じです。毒親はそんな子どもの純粋な思いを踏みにじります。自身の浅ましさ、卑しさをこれでもかというほど子どもに見せつけて、恥じるところがありません」

この言葉を目にした時、ああ、これだったんだと腑に落ちた。
そう、私はどこかで、親への期待を捨てられなかった。親が本当に卑しい人間だったら、自分も卑しいのではないかと思ってしまうから。

親は聖人でなくて良いが、善人であってほしい。
だらしなく酔っ払ってもいい。テレビを見ながら政治家をこき下ろしたっていい。小市民だなあと笑ってしまうような人でいい。
ただ、卑しい人間ではあってほしくない。卑しいのなら、せめて子供の前では見せない努力ぐらいしてほしい。
浅ましく卑しいという自覚がないのは、「俺はどうしょうもない父親なんだ」と酒浸りになるよりも、ある意味ひどい親の姿だ。

ぱっと見、優しい父親だと思う。クリスチャンだし、 酒タバコはやらないし、子供に手を上げることもなかった。
けれど、人を見下すことにかけては天下一品。悪気がないからと言って許されるようなことではない。
高卒、貧乏、片親など、息をするように見下し、私の知人や芸能人、親戚、目に映る全ての女性の容姿をジャッジした。大人同士の軽口ならともかく、まともな親は子供の前で「同級生の誰々は残念な顔だ」とか「あれは駄目だ、太ってる」とか、言わないでしょう。

母は貧乏な出自であることに酷いコンプレックスがあったので、そんな父に過剰に乗っかるという手段をとった。
それは、元いじめられっ子が、もういじめられないようにと、他の人へのイジメに加担してしまうのにも似ている。
そして、他人を馬鹿にしては、「パパが〜」「軽井沢が〜」「ホテルの◯◯というレストランが〜」と嬉々として口にする母の姿は、三文芝居のようだった。

老人になってからは専ら、未婚や子無しを見下しては喜んでいた。
娘と息子がいて、孫もいて、いわゆる勝ち組なんだと思っていたことだろう。残念ながら娘は、あなた達の毒に耐え切れず、逃げました。

「毒親からの完全解放」影宮竜也


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