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タンポポ

桜が散って、タンポポの綿毛が飛んでいた。

娘がまだヨチヨチ歩きの頃、タンポポの綿毛を楽しそうに吹いて飛ばしていたことがあった。それを見た母が私に、「綿毛が肺に入って大変なことになった子供がいるのよ」と言った。

私の実家のリビングには、「家庭の医学」という厚い本がいつでも置いてあって、少しでも何かあると母はそれを引っ張り出してきては、血眼になってページをめくった。
そして、その症状から考えうる最悪の病名を見つけてきては、私を脅かしてくるのだった。

今なら、ちょっと笑えるかな。でも、当時は本気で嫌だった。
程度問題の話で、二択ならネグレクトよりはマシだろう。けれど、「お母さん心配症なのね」と他人に言われるたび、この人にはもう話すものかと絶望した。そんな微笑ましい範囲の話じゃないんだよ、でも伝わらないよね。

私の待ちに待った子供、初めての子育て。靴下履かせろとか脱がせろとか、危ないと頻繁に言うぐらいなら、お祖母ちゃんとして、いや単なる子育て経験者の中高年として、許容できた。母は、その範囲を大きく超えていた。
私の判断力を根底から否定し、自尊心を削いでくる。私が夫と子供を持って、ついに自分オリジナルの家庭を持ったことで、やっと体感したのだった。母は毒だ、と。

それでも何とかごまかし、やりすごし…これを書きながら気付いたけれど、私はずいぶん擦り減っていたのだな。やっぱり色々ともう限界だったのだと思う。
正面対決したけれど、やっぱりあの人はおかしかった。そして父も。変わる余地はないのだと、はっきり認識できた。
四十過ぎるまで削られ続けて、もっと早く逃げれば良かったと後悔の念も湧くけれど、あれがタイミングだったんだと思う。
これからは自分自身の家庭を、自信を持って育んでいきたい。

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